小説
血路を開け乙女もどきの花
 ───バンッ!!!

 場が混乱で停滞した中、唐突に破裂音が響き渡り、一瞬でテント内が静まり返った。
 音の先を見やれば、シェリーがテーブルに手のひらを叩きつけている。

「───少しお黙り下さい」

 言葉遣いこそ丁寧だったが、将校らに向けられたその目は殺気立っていた。実戦経験が殆どないはずの令嬢から、歴戦の将すら生唾を飲み込む程の威圧が投げかけられる。

 騒がしい男達が黙り込むと、シェリーは背筋を正し、アランに向き直った。
 口を開けて惚けているアランの視界の中で、彼女はそのか細い手をゆっくりと握り拳に形作る。

 そして、優雅な足取りで近づいてきたかと思えば、

 ───ゴッ!!

 顔面に加わった強い衝撃によって、アランの体は後方へと転倒させられていた。

「っ?!」

 驚愕している内に、視界がテントの天井をぐるりと仰いでいた。側に積んであった木箱を咄嗟に掴んだが、慣性には逆らえずに地面に倒れ込む。

 どこかを打ち付けたのか、目がチカチカした。目眩に似た不快感が気持ち悪い。
 顔をしかめながらも首を振り、何が起こったのかとアランはゆっくり顔を上げた。

 シェリーは踏み込んで拳を向けた体勢を崩し、両手を前で重ねて姿勢を戻していた。こちらを気遣ったのか籠手を外して殴ったらしく、その右手は赤みを帯びている。
 ちなみに視界の中には若い将校達もおり、顔を真っ青にして口をパクパクと動かしていた。

「…っつ」

 鼻から何かが垂れていると気付き、指で拭うと真っ赤な液体がべったりとついていた。どうやら鼻っ柱を殴ってきたらしく、鼻血が出ていたようだ。遅れて、ずきりと鈍い痛みが追いかけてくる。

「…陛下、お忘れですか?あの、リーファ様のお言葉を」

 淡々とシェリーに促され、アランは巡りの悪い頭を奮い起こす。
 昨夜、僅かな時間の内に交わされた、リーファとの微かな逢瀬を。真綿に触れるようにさりげなく、花のような香りを残して唇に触れて行った瞬間を。

『…アラン様。寂しくても、決着がつくまで帰って来ちゃダメですからね?』

 あの時は、まだ日付は変わっていなかったはずだ。マウリッツの報告が確かならば、まだ襲撃が発生していない段階だと考えられる。
 ただの激励だと思い込んでいたが、あれがアランをこの場へ繋ぎとめるものだとすれば───

「リーファは、知っていたのか…?城が…自分が、狙われている事を…。分かった上で、あんな事を…?」
「…それはどうでしょう?しかしそうであるのならば、わたし達はリーファ様の為にあの約束を守らなければならないでしょう。………それこそ、死ぬ気で」

(死ぬ気で、か…)

 アランはシェリーの言葉を胸中で反芻した。

 兵の数に関わらず、あの魔力砲を前に正攻法で打ち勝つのは難しいだろう。不意打ち、強襲、だまし討ち。そうした搦め手を使わなければ、打倒が出来ないのは確かだ。
 それに───

(リーファは、私の死は何年も先だと言っていた。死に際にはリーファがいて、子供もいると。
 ならば、城の襲撃でリーファが命を落とすはずはなく、私の命がここで潰える事もない…)

 この死に際は、外れる事もあるという。迫るアランの死を回避するべく、リーファは独り模索し続けていた程だ。確実なものではないのかもしれないが。

(打開の一手が、必ずある…!)

 答えを知った上で計算方法を探るような気持ち悪さだったが、今はそれに縋る他ない。

 鼻がムズムズすると思い指で拭い直すと、血が殆どついてこない事に気付いた。どうやら鼻血が止まっていたようだ。左手の薬指に治癒の力を込めた指輪をはめていたから、その効果が現れているのかもしれない。

(…血は止まったが、きっと酷い顔をしているのだろうな。せめて、後で身だしなみくらいは整えて───)

 あの正拳突きで自分の顔がどう変わり果てたのかと想像しようとして、アランはハッとした。

(自分の、顔………鏡、か)

 少し前に、鏡をずっと見続けた時期があった事を思い出す。
 別に自分の顔の良さを再認識したくて眺めていた訳ではない。ほんの少しだけリーファを困らせてやろうと考えた、悪ふざけの一つだった。

『誰にも教わらずにそこまで発展させているのなら、十分過ぎますよ。
 先日見せて頂いた幻術も細部まで精巧に出来ていましたし、もう私から教える事はなさそうですね』

 紙吹雪の幻術を披露した際に、リーファからそちらに関しても一定の評価を得ていた。笑われもしたが、出来自体には自信がある。

(…試す価値は、あるかもしれない…か)

 アランの頭の中で、一つの情景が浮かんで行った。アロイスの一団を出し抜く為の、あまりにも都合の良い発想が。
 だがこうした突飛な発想が、殺伐とした戦場ではピタリとはまる場合がある事も、アランは知っていた。

(…あれが、必要だな)

 考えがまとまれば、後は動くだけだった。アランはふらつきながらも立ち上がり、丁度側にあった木箱から手当たり次第に開け始めた。

 いきなり動き出したアランを見て、成り行きを見守っていたレホトネンが恐る恐る声をかけてくる。

「…あの、陛下?」
「城は後だ。先にアロイスの一団を止める。動けるものだけで良い。兵を集めてくれ」

 荷物漁り中のアランが下した命令に、ウォールを始めとする若い将校達が一斉に動揺した。

「そ、そんな。城はどうなさるのです?」
「自棄になるものではありませんよ、陛下!」
「い、今からでも城へ向かえば、きっと間に合いま───ひゃっ?!」

 宥めるように説き伏せてくる若い将校達へとアランが顔を向けると、スハルドヴァーから女のような甲高い悲鳴が上がった。

 アランは、笑っていた。
 鼻に血の跡をつけて目をギラギラさせ、波打つ金髪の幾房かで顔を隠しながらも口の端を吊り上げた形相は、美貌も相まって乱心を疑われても仕方がなかったかもしれない。

 怯えて身を寄せ合ってしまった将校達から、アランは木箱へと目を落とした。

「…あの城にはな、敵に回すと恐ろしい女がいる。
 権力に阿らず、欲が無く、一途でありながら、敵と見なせば一切の容赦がない。
 あの在り方に私は今まで散々振り回され、そしてこれからも振り回されるのだろう。
 まさに───と呼ぶに相応しい性分だ」
「ええっと………何と?」

 濁した部分をレホトネンに問われ、アランは苦笑いを浮かべた。丁度木箱の片隅から出てきた手のひら大の麻袋を見つけ、それを手に取り振り返る。

「城には、私が頼りにしている者達がいる。易々と陥落はしないと私は信じている。
 ………だからまずは、目先の者共を潰すとしよう。私ももう手段は選ばん」
「…それは?」
「祝砲代わりに使おうと、魔術研究室からくすねておいて正解だったな。
 リーファには『心臓に悪い』と言われたが、虚仮威しだろうと、無策よりはマシだろう。
 ───おい、マウリッツ。お前にも手伝ってもらうぞ」

 麻袋の紐を解き、アランは手の中でそれを───虹色に輝く大振りの魔晶石を───転がした。