小説
血路を開け乙女もどきの花
 バイザーを下げたサレットの下で、笑みが作られた。何故笑いがこみ上げてきているのか、シェリーにも分からなかった。
 でも恋に浮かれた乙女のように、気持ちだけが先へと向いている自覚だけは出来た。

 良く似ていたのだ。かつて、婚約者との次の逢瀬に胸を膨らませ、眠れぬ夜を過ごしたあの頃に。
 さすがに当時は、抜剣して目の前にいる者を切り刻みたいとは思わなかったが。

(ああ、胸が高鳴る)

 剣戟の音色が近くなっていく。剣と剣の鍔迫り合い、思考と思考の読み合い、意地と意地のぶつかり合いが、其処此処で始まっている。

 シェリーは、視界の先にいた討伐隊の歩兵とアロイス側の槍兵の横を走り抜けざま、剣を振り抜いた。狙いは、槍兵が持つ槍の柄と腕。金属製のガントレットは弾かれてしまうから、装甲が少ない関節部に一太刀でも入れておきたい。
 それで槍兵が怯み、歩兵が切り込む隙が与えられれば───と思ったが。

「ぎゃあっ?!」

 槍兵も、シェリーは視界に入れていたはずだ。故に、牽制と防御を込めてガントレットをシェリーの剣先に向けていたのだが。
 シェリーの剣は、ガントレット諸共槍兵の腕を切り刻んでいた。槍の柄までもが、乱切りしたゴボウのようにバラバラになっている。

 神経までは分からないが、腕そのものは繋がっているようだ。悲鳴を上げて苦痛に膝を折る槍兵の姿を確認し、シェリーは目標目掛けて走り出す。槍兵と相対していた歩兵が呆然としていたが、とりあえず無視した。

(羽根であしらった扇のように軽い………風の魔力が封じられた剣だとは聞いていたけど…)

 抜剣した瞬間ただの鉄剣ではないと気付いたが、魔力剣の訓練を受けていてないシェリーにも使える代物だったらしい。

(上手く、出来てしまった───ああもう、はしたない。やはりわたしは、剣など持ってはいけなかった)

 湧き上がる達成感に自己嫌悪が混ざりこむ。欲求に抗えずに自らを慰めてしまった時のような背徳感が、シェリーの心に影を落とす。

 ◇◇◇

 もう二十年以上前の話になる。シェリーが、エリナに願い出て剣の直弟子になった頃の話だ。
 命じられるまま剣の素振りに精を出していたシェリーに、エリナが呆れ交じりに言っていた事があった。

『…あんたの良いトコは、剣筋に一切の躊躇がないトコだねえ。
 人間誰しも、人を傷付けるのに多少の葛藤はあるもんだけど、あんたにはそういった遅疑逡巡が見られない。
 切った張ったの戦場なら、大いに活かせるんだろうけどさ。
 でも、何ていうかねえ………あんたの夢と才能に対して、あんたは性格が噛み合ってないんだよねえ』

『噛み合っていない』という点では、性別や出自で文句を言われる事はままあった。
 剣の腕前を見て、『男であったら』『貴族の生まれでなければ』など、自分の力ではどうにもならないような話を持ち出してシェリーをこき下ろす者はいたのだから。

 だから、その微妙に改善の余地があるようなないような話に、シェリーはつい食いついてしまった。『どうすれば性格と噛み合うのですか?』と。

 そうしたら、エリナからこんな答えが返って来たのだ。

『待つしかないねえ。あんたの性格を変えてくれるヤツが現れるのを、さ。
 ヒヨコは自力で殻を破って外に出るが、そもそも雌鶏が卵を産み落として、誰かが温めてくれなきゃ、殻を破るチャンスは得られない。
 産んだヤツは温める気がないんだ。ちゃあんと温めてくれる他のヤツを待つしか無いだろう?
 まあ、待てなくて腐っちまうヤツも多いんだけどね』

 その突き放す物言いに、シェリーは足元が崩れ落ちたかのような絶望を味わった。

 要は、この剣の才能を活かすのならば、颯爽と手を差し伸べてくれる王子様のような存在を待て、というのだ。
 身近にいた王子様方が、病弱、やる気ない、頼りないのも相まって、そんな存在が一体どこにいるのかと思ったものだ。

 その後、父モーガンに剣術稽古の禁止を言い渡されてからは、シェリーは諦めと共に剣を置き、レイヴンズクロフト伯爵家の令嬢として花嫁修業に重きを置くようになったのだ。
 剣の才能と、”剣に生き、誰かを守る盾になりたい”という細やかな夢に封をして───

 ◇◇◇

 ───しかし、時は訪れた。

『…ありがとうございます、シェリーさん。一緒に守って行きましょうね』

 シェリーに手を差し伸べてくれた存在と、守りたいと思える存在との、出会いの瞬間が。
 待っていた訳ではなかったし、王子様ではなかったし、犠牲も大きかった。しかし。

(あの方々の為ならば、わたしは幾らでも剣を取り、盾となりましょう)

 マウリッツが持ち込んだ城の凶報は、シェリーの心にも多少の波風を立てたが、何故だか不安はなかった。城が襲撃を受けていたとしても、妊婦のリーファよりもアランの方が危なっかしく見えていたのだ。

 きっと城へ戻れば、笑顔のリーファが出迎えてくれる気すらある。だから大丈夫だ。

(ですから、この時、この瞬間だけは、わたしの我が儘をお許しくださいね───リーファ様)