小説
血路を開け乙女もどきの花
 目標は目前に迫っていた。男は討伐隊の兵をいなしてやや息が上がっているようだ。
 出来れば万全の状態で戦ってみたかった、などという贅沢な考えは捨てる事にした。優先順位は変えるべきではない。

 シェリーは走る速度を緩めず大地を蹴った。剣を振り上げ、目標へ向けて振り下ろす。

 ───ギャンッ!!

 踏み込み、距離、速度は申し分なかった。相手の反応が一瞬でも遅れていれば、左肩から右腰にかけて切り裂き、胴体が落ちていたはずだ。
 しかし、さすがに自分に向けて突進してくる者を見過ごす事は出来なかったのだろう。男───グレーゴーア=バッケスホーフは、シェリーの一振りを剣の腹で受け止めていた。

「し、城で教えてる剣の型じゃねえな。誰だお前、どこの出だ?」

 衝撃に顔をしかめたグレーゴーアの問いに、シェリーは答えなかった。代わりに、彼に言い出せなかった事を告げる。

「あなたには感謝しておりますの。グレーゴーア=バッケスホーフ。
 あなたはわたしの王子様ではありませんでしたが───それでも、あの方との出会いのきっかけを作って下さいましたもの」
「あん?女…?」

 サレットとバイザーで髪と顔を隠していた為か、グレーゴーアはシェリーだと気付いていなかった。眉を顰めるばかりだ。

 腹立たしい気持ちがない訳でもないが、それはそれで好都合だった。一時の気の迷いで肌を許してしまったあの日々は、シェリーとしても忘れたい思い出だ。感触、匂い、会話の一切を、彼の記憶の片隅にも残してもらいたくない。

「思い出さなくて結構。わたしからは以上ですので」

 シェリーは淡々と言い捨てて、グレーゴーアと距離を取った。剣を正面に構え、切っ先をグレーゴーアの顔に向けると、一呼吸置いて踏み出す。

 袈裟切り、胴斬り、切り上げと、シェリーが繰り出す剣の筋を、グレーゴーアは危なげなく打ち払う。うだつの上がらない男だと思っていたが、腕はそう悪くないようだ。

「ま、ままま待ってくれ、セリア!いや、マリーヤかな?それともエイミーか?
 勝手に消えたのは悪かったが、この侵攻がうまく行けば、ラッフレナンドに呼び寄せるつもりだったんだよロッティ!」

(うっわ)

 剣をいなしながらグレーゴーアの口から出てきた女性達の名に、シェリーの顔が嫌悪に染まった。聞いた名前もあり、女遊びがそこそこ派手だった事が伺える。

(…名前も呼ばれないわたしって何なのかしら?)

 そう思うと、シェリーの内にふつふつと怒りがこみ上げてくる。グレーゴーアが自分をどう思っていたか、とか、関係があった彼女達がどう思っているのか、など心底どうでも良いが、彼女達の代わりに余分に殴ってもいいかもしれない。

「───ふっ!!」

 シェリーは突進と共に、剣先をグレーゴーアの胴に向けて突き出した。恐らくは躱されるだろう、と見越しての事だ。避けた際の癖を見て、どう攻略すべきかを見定める為だった。

 さすがに刺突を剣で打ち払う器用さまでは持ち合わせていなかったようで、グレーゴーアは剣の切っ先を左にずれて避けてみせた。
 しかし何を感じ取ったのか。こちらが間合いを取って構え直すと、グレーゴーアはどこか冷めた面差しで口元を緩めたのだ。

「───なんだ。あんただったのか、シェリー」
「っ!?」

 正体がバレてしまい、シェリーはわずかに動揺した。
 胸中で疑問ばかりがわいてくる。声で思い出されたか。喋りすぎたかもしれない。立ち振る舞いで気付かれたか───そんな、考えても仕方のない事ばかりが脳裏を駆ける。

(いえ、気付かれたからって、何がどうという訳でもない)

 こちらの精神衛生上、気付いて欲しくなかったというだけ、と心に言い聞かせた。シェリーは深呼吸で感情を整え、切っ先をグレーゴーアへ向け直した。

「…馴れ馴れしく呼ばないで頂けます?わたし達は敵同士でしょう」
「なんだよつれねえな。わざわざ俺に会いに来たんだろ?俺と一戦交えたくて隊に参加してたなんてな。いじらしいじゃねえか」

 何が楽しいのか、構えを解いたグレーゴーアはヘラヘラと笑っていた。まるで数年来の友人のような馴れ馴れしさだ。

「………………」

 否定したくなる気持ちを、シェリーは無言で否定した。感情で斬りかかった事は認めるが、グレーゴーアに会いたいだなんて湿っぽい感情とはまた違うものだ、と思いたかった。

 そんなシェリーの気持ちを見透かすかのように、剣の構えを解いたグレーゴーアは説き伏せてくる。

「なあ、あんたはどっかに退いててくれないか?
 どの道、城はギースベルト派の手に堕ちる。正妃を決める気がない、城も自分の女もロクに守れない王に、民衆は今度こそ幻滅する。
 ここで俺達が一旦引いても、あの王様に帰る場所なんてないんだよ。戻る頃には、アロイス=ラッフレナンド陛下が玉座についてるんだからな。
 どうせ王様に未練なんかないんだろ?全部片付けば、あんたを王城メイドに戻す事くらいどうとでもなる」

 その物言いに、シェリーは違和感を覚えた。
 先の馬車にいるアロイスはアラン達に包囲されている。捕縛は時間の問題だ。
 にも関わらず、グレーゴーアはアロイスの即位に確信を持っている。これではまるで───

(…いえ、今はそんな事を考える必要はない)

 時間は惜しいのだ。この場の制圧が早ければ早い程、城へ戻る日程は早まる。この男の与太話に付き合っている暇はない。

「残念ですけど、わたしは退く訳にはいきませんの。大切な方々が、城で待っておりますのでね」

 背筋を伸ばし顎を引き、鈴を転がすような声音で答えたシェリーを、グレーゴーアは眉をひくりと動かして睥睨した。余裕で満たされていた顔に、苛立ちが入り混じる。

「分かんねえ女だな。側女なら、もう死んでるだろ」
「物分かりが良ければ、こうして剣は持たなかったでしょう。そちらこそ察しなさいな」
「なら仕方がねえな───気は向かねえが、ちょっとは痛い目見てもらおうか!」

 今度はこちらとばかりに、グレーゴーアが飛びかかってきた。
 力に物を言わせて振り上げた剣が、シェリーに向かって振り下ろされる。

 ───ギンッ!!

(重いっ…!)

 両手を使って剣の腹で受け止めたが、あまりの重さにシェリーは歯噛みした。体幹がしっかりしてなければ、これだけ重みのある一撃は繰り出せないだろう。

「ぐ、うあぁあぁあっ!!」

 全力で剣を押し戻し、シェリーは続けざまに右から剣で薙ぐ。しかし左腕のラウンドシールドで防がれてしまい、弾かれた反動で二歩分下がった。

 冷笑を浮かべるグレーゴーアの追撃は続く。距離を詰め斜めに剣を振るその動きは緩慢だが、これは誘っているのだと感じる。これを好機と見なして踏み込めば、あっという間に落ちてきた剣に体が叩き折れているはずだ。

 剣の軌道から離れるべく、シェリーは右に跳ねた。そしてグレーゴーアの手首の僅かな揺れを見計らい、剣を振り下ろした。

 ───ギン、ギンッ、ギン───ギャンッ!

 幾ばくか剣の打ち合いが続いた。剣と剣がかち合う不協和音が耳に障る。
 内へ内へと入り込もうとするグレーゴーアの凶刃を、シェリーは寸での所で受け止め、またシェリーも刃を押し込み、グレーゴーアに肉薄した。

 一見、互角にも思える剣の応酬だが、剣を打ちあっている当人だから分かる事もある。

(ああ、社交ダンスでリードされているよう!気分が悪い!)

 グレーゴーアは明らかに手を抜いていた。シェリーが受け止めきれるギリギリと、自身が堪えられるギリギリを見定め、力を加減しているのだ