小説
血路を開け乙女もどきの花
 鍔迫り合いになり、シェリーは真正面からグレーゴーアを睨みつけた。剣に体重を傾けてはいるが、グレーゴーアの剣を押し返せる気がしない。

「太刀筋、速さ、重さ、この短期間でそれだけ出来れば大したもんだが、持久力がねえな。
 いいねえ、その余裕のない顔、息遣い。初めてやらせてもらった日を思い出す。そそるぜ」
「…先程まで、名前も出て来なかったでは、ないですか。いい加減、忘れてくれません…?!」
「あんたに恨まれた覚えはなかったからなぁ。なあ、あの夜あんなにいやらしく啼いたんだ。俺のは好かっただろう?王様よりもよ」

 つまらない猥談に興じる気は毛頭なかった。折角グレーゴーアが手を抜いてくれているのだから、出し抜く方に考えを巡らせたい。

 シェリーは腕に力を込め、反動で大きく後ろに引き下がった。息を整えながら、間合いを探る。

 戦いにおいて最も重要なのは、場を支配する事だと聞く。相手の挙動を先読みし、二の手三の手を用意しておく事で、戦いを優位に進められるのだと。

(知覚しろ、先を読め、剣が触れる瞬間に最適解を導け!)

 駆け出しつつ突きを仕掛けたシェリーに対して、舌打ちしたグレーゴーアはラウンドシールドで受け流そうと左腕を突き出してきた。右手の剣を強く握りしめており、こちらの剣先を逸らした後に剣で迎撃しようとしているように見えるが。

(足が来る!)

 ───ガンッ

 ラウンドシールドに接触してシェリーの剣先が逸れた途端に伸びてきたのは、剣ではなく鉄靴の足裏だった。腹を狙った足蹴は、シェリーがギリギリのタイミングで身を捻って躱し、空を切って行く。

「ぐっ!」
「うおっ?!」

 互いに目標を見失い、バランスを崩す。シェリーは前のめりによろけただけですぐさま体勢を立て直したが、足に比重を傾けていたグレーゴーアは平原に転倒していた。

「あぁああぁあっ!」

 半ば倒れ込むように、シェリーはグレーゴーアに飛びかかった。剣を逆手に持ち、頭上高く掲げ、全体重と落下の力を込めてグレーゴーアに切っ先を突き立てる。

 ───ザンッ

 剣を介して、手に抉る感触が伝わる。力を込めれば込めただけ沈んで行く感覚に、シェリーは渋い顔をした。こんなはずではなかったが、そう上手く行かないものだ、と自分に言い聞かせた。

 もつれる形で、シェリーはグレーゴーアに馬乗りになっていた。両脇の下に膝を差し込み、胴に尻を乗せている。グレーゴーアが着ているプレートアーマー自体も相当に重いが、そこへチェインメイルを着たシェリーが乗っているのだ。まず起き上がりは不可能だろう。

 そして───シェリーの剣の切っ先は、グレーゴーアの首の数センチ右の大地にめり込んでいた。

 突き立った剣を眺めていたグレーゴーアは、呆けた顔でシェリーを見上げてくる。

「…殺さねえの?それとも殺せない?俺の事好きになっちゃった?」
「馬鹿も休み休み言いなさい。あなたこそ、全力を出していなかったでしょう?何故剣を使わずに蹴ろうとしたのです?」

 シェリーが放った突きは、言わば捨て身の一撃だった。グレーゴーアがラウンドシールドでの受け流しに成功すれば、剣の間合いに入った隙だらけのシェリーを切り伏せる事は十分可能だった。

 しかし、先の剣の打ち合いでグレーゴーアが手を抜いている事に気付いたシェリーは、『彼はこちらが致命傷になるような剣の使い方はしてこないのではないか?』と考えたのだ。

 後は簡単だった。隙が出来たこちらを何らかの形で転倒させてくるだろうと見越して、シェリーは回避に徹した、と言う訳だ。

「そりゃあ、後々の戦利品は無傷で残しておきたいもんだろ?
 王様が死んで、誰のもんでもなくなったあんたを賜る権利くらいは、主張してもいいんじゃねえか?」

(ええぇ………?)

 シェリーの肩から急激に力が抜けて行く。
 こちらは命を取りに来たと言うのに、この男はシェリーを戦利品として確保する事ばかりを考えていたのだ。既に組み伏せられ、側に凶器がそびえ立っているというのに、グレーゴーアは舐めた態度を改める気はないらしい。

(いえ…考えようによっては、アロイス様の即位に絶対の自信がある、と言う事なのかしら)

 状況的には考えにくいが、恐らくこの一団は然程重要ではないのだろう。城の襲撃の方が、ギースベルト派にとって重く考えられているのだ。
 ───それはそれとして。

「誰が、誰のものですって?」

 聞き捨てならない言葉が耳を掠めて、シェリーは思わず訊ねていた。

 アランの『王城メイドは王族のものである』という発言は知っているが、それはあくまでも王城メイドを守る為の方便だ。
 そしてシェリー自身、アランに体を捧げた事は否定しないが、それはあくまで仕事の一環と思っている。
 それを、”アランのもの扱い”されているのは、些か気持ち悪い。

 しかしグレーゴーアは、渋い顔をしているシェリーを見て笑っていた。

「なんだ。あんた知らないのか。
 あの王様、解雇前に俺を呼びつけて『私が馴らした女は好いものだろう?』って彼氏面してたぜ?」
「…はあ?」
「『お前が受けた秘戯は大体私が仕込んだもの』とか『むしろ任せた方がすごいものが見れる』とかも言ってたっけな。
 俺が言うのもどーかと思うが、若い女に乗り換えた癖に、捨てた女を未だ自分の女扱いするような男は、やめといた方がいいと思うねえ」
「───はあぁああぁあ?」

 二人の間で交わされた会話に、シェリーは唖然とした。

 アランは、恐らくもう二度と顔を合わさないと考えて、シェリーの”務め”をある事ない事織り交ぜて話したのだろう。
 グレーゴーアはそれを真に受け、妬心も相まって先のセクハラ発言の数々に繋がったらしい。

(ばっかじゃないの?!)

 男達の下らない見栄の張り合いに、シェリーは戦慄いた。どうしてこう、体の関係しか持っていない、恋人として慎ましく付き合った訳でもない女の事で張り合えるのか。

「俺は、あんたが石女だろうが年増だろうがぜーんぜん気にしない。むしろ妊娠しない方が、俺は長く楽しめるしな。
 貴族達から高嶺の花と呼ばれ、レイヴンズクロフト家の灰簾石の眼を持った美貌の令嬢だ。その異名だけでも側に置いとく価値はある。
 まあ俺も男だし?余所に女を作ってもいいって言うなら、広ーい心で嫁にしてやっても───」

 下衆の屑発言も聞き飽きて、シェリーは立てていた剣を引き抜いた。グレーゴーアの鼻先に突きつけ、自分でも驚く程底冷えした声音を吐き出す。

「その鼻、削ぎ落しますわよ?それとも、足の間にある粗末なモノから落としましょうか?」
「だあああぁっ、やめっ、止めろっ、降参だ!怖えなぁもーっ!」

 狂気すら孕んだシェリーの目を見て、グレーゴーアは彼女の本気を察したらしい。慌てて両手を上げる仕草は、犬の服従のポーズに良く似ていた。

 そんな形ばかりの仕草でシェリーの怒りが収まるはずもないが、ふう、と一息つき周囲を見回せば、残党処理は概ね片付いていた。既にアランの幻影は消え失せており、敵方の拘束に奔走している討伐隊の姿がちらほらと見られたのだ。

 そして、遠くから勝鬨があがる。一時はどうなるかと思ったこの戦いも、どうにか勝利する事が出来たようだ。
 この状況なら、グレーゴーアが暴れた所でどうなるものでもないだろう。

 ───ゴッ

 シェリーは剣を鞘へ納め、籠手をしたままグレーゴーアの横っ面に裏拳を叩きこみ、一先ず昏倒させたのだった。