小説
血路を開け乙女もどきの花
 一方、シェリーを見送ったアラン達はと言うと───

「よ、よろしかったのですか、陛下。メイド長殿一人を行かせて…」
「心配するな、スハルドヴァー大尉。守る者を得た女は強いものだ。何の問題もない」

 シェリーの背中を目で追っているミロシュ=スハルドヴァーに、アランは事もなげに答えた。

 実際、シェリーの実力は誰もが認めるものだし、リーファが作った花飾りもちゃんと身に着けていた。その上でアランは魔力剣を預けたのだ。シェリーが退き際を見誤らない限り、問題が起こるはずがない。

 ただ───

(戻ってきたら、シェリーから何かしらケチが飛ぶかもしれんな…)

 残党の中に、あのグレーゴーア=バッケスホーフの姿があった。故にグレーゴーアが、解雇した際に話した諸々をシェリーに話してしまうかもしれない。

 あの時は、シェリーをいいようにされた腹立たしさも相まって、色々と喋りすぎたような気がしていた。それがまるっとシェリーに伝わったらと思うとゾッとするが。

(………………まあ、何か言われたら、その時に考えるとしよう)

 起こってもいない問題は後で考えるとして、一先ずアランはシェリーが残していった長剣を拾い上げた。アロイスの一団の品らしく、刃こぼれは目立つが護身用に持っておいても良いだろう。

 アロイスが乗った馬車は、既に討伐隊の包囲が済んでいた。キャビンの扉の左右には兵が陣取っており、正面には不測の事態に備えて盾兵も構えている。

「開けろ」

 アランが短く命じる。扉の側に構えていた兵がこちらを向いて頷き、ノブを回して勢いよく開けた。
 幸い内側からロックはされておらず、籠城される事は無かったが。

「う、動くなぁっ!」
「「「!?」」」

 キャビンの中の光景に、アランを除いた討伐隊の兵達が息を呑んだ。

 中にいた従者らしき老人が、アロイスと思しき少年の後ろに回り込み、腕で首を締め上げていたのだ。従者が持つナイフはアロイスの首に添えられており、今にも喉元に食い込みそうだ。

「い、今すぐに兵を引けぇ!先代ラッフレナンド王の第四子、アロイス=ギースベルトの命がどうなっても良いのか?!」
「あ、兄上!どうか助けて下さいぃ!お、オレはただ、こいつらに脅されて連れてこられただけなのですぅ!」

 従者の恫喝とアロイスの必死の懇願に、兵達が動揺する。投降か抵抗だろうと踏んでいた為、従者がアロイスを人質に取るなどとは考えもしていなかったのだ。
 従者がアロイスを引きずるようにしてキャビンからゆっくり出ようとすると、馬車の側で構えていた兵達は困惑に顔を歪めて後退していた。

「へ、陛下。これは一体、どうしたものか───陛下?」

 張り詰めた空気の中、逡巡したスハルドヴァーを無視して、アランは足元に転がっていた手のひら大の石を拾っていた。
 手の中で転がし、重さと形をじっくりと見分すると、大きく振りかぶってアロイス達へ向けて投げつける。

 ───ヒュッ

 周囲に威嚇していたあちらは、アランの挙動を注視していなかったようだ。弧を描いて飛んできた石に直前で気付き。

 ───ゴッ

「おぎゃっ?!」

 どちらかに当たれば良い、と考えていたが、石は従者の額に直撃した。そこそこ程よい衝撃を受けたらしく、従者は白目を剥いて昏倒してしまった。

「「「………………」」」

 脱力して街道に沈んだ従者の姿に、アロイスは目を丸くしていた。いや、討伐隊の面々も、アランの暴挙に狼狽しているようだった。
 確かに、アロイスが脅されて出兵し人質となったのであれば、あまりにも雑な救出方法だったかもしれないが。

「た、た、たた、助かりました、あにうえ…」

 アランと従者を交互に見ていたアロイスだったが、やがてふらふらとよろめきながらアランに近づいて来た。金縁のサレットの下にある表情に怯えが見え隠れしているのは、解放された安堵故か、アランの乱暴な助け方故か。

「お許し下さい、兄上…。オレは、リタルダンド国の間者に脅され、連れて来られたにすぎないのです。婚約者のハイデマリー様が人質に取られ、兄上に、戦争を仕掛けろと言われ…!」

 御託を聞き流し、アランは無表情のままアロイスへと近づいて行った。
 剣の間合いよりも半歩だけ離れた位置で立ち止まり───

 ───ドスッ

「おごっ?!」

 アランは一気に踏み出し、その勢いでアロイスを蹴りつけた。
 鉄靴の足裏はアロイスの腹部を強かに抉り、くの字に体を折り曲げる。少しは宙に浮いたかもしれないが、着込んだプレートメイルの自重が力を逃がしてはくれず、アロイスはその場に崩れ落ちた。

「ぐ、げぼっ、が、おええっ…!」

 胃の腑を打ち付けたか。アロイスは吐瀉物をその場に撒き散らしていた。体を震わせ、激痛に悶絶している。

 兄弟の和解の瞬間でも望んでいたのだろう。スハルドヴァーの嘆きに満ちた悲鳴が響き渡った。

「へ、へへへ陛下ぁ?!」
「騒ぐな。よく見ろ」

 アランは剣の切っ先を、蹲っているアロイスの右手首に向けた。

 プレートメイルと同じ意匠のガントレット───その関節部の隙間から指先にかけて、鋭利な刃が顔を出している。

 怒りに興奮していたスハルドヴァーが、今度はサッと顔を青くした。

「し、仕込み武器…?!」
「私が近づいた途端、一突きするつもりだったのだろう。なかなか剛毅だな。さすがは我が弟、と言ったところか」

 アランの”嘘つき夢魔の目”には、アロイスと従者が拙い演技をしている事を知らせてくれていた。先の会話の全てが、真っ黒な嘘だった、という訳だ。そして───

「ぎゃあっ!」

 仕込み武器を使わせないよう、アランはアロイスの右手を踏みつけた。苦痛に悲鳴を上げるアロイスを無視して、顎を持ち上げサレットを剥ぎ取る。

 吐瀉物で汚らしいが、顔立ちそのものは整っていると言えるだろうか。やや日焼けした肌の中央にすっと鼻が伸びている。
 苦悶の表情を浮かべながらもアランを睨み上げる瞳は、ラッフレナンド王家の血筋にはよく見られる藍色だ。しかし。

 出発直前に染めたのだろうが、この数日で髪が若干伸びてしまったようだ。ほんのりと波打つ金髪の生え際は、わずかに黒くなっていた。

(…やはり、偽者か)

 目の前の少年の正体に、アランは苦々しく目を細めた。

 やはり、と思えた要素は幾つか存在していた。
 ヘルムートが偽者だと断じた事や、実母ヴィクトワールの懐疑的な反応も気にはなったが。
 一番に引っかかったのは、”アロイス=ギースベルト”という名義で書状を寄越してきた事だった。

 ”ラッフレナンド”という家名は、ギースベルト公爵家が最も尊んでいる名だ。神聖視している、と言っても良い。
 その名を冠する者はラッフレナンド王家の血を引いている事が前提であり、出自に粗があれば悪し様に言うのがいつもの連中のやり方だった。

 そんなギースベルト公爵家の中で、現状最も”ラッフレナンド”の家名に相応しいアロイス名義の書状に、”ラッフレナンド”の家名を充てて来なかったのは違和感しかなかったのだ。
 何処の馬の骨とも知れないこの少年に”アロイス”の名を与える事は出来ても、”ラッフレナンド”の家名まで名乗らせる事はどうしても憚られたのだろう。

(ならば、本物のアロイスは何処に…?いや、今はそんな事を考えている場合ではないか)

 不安材料は残るが、まずはこの場の収束を最優先にすべきだ。
 アランは偽者のアロイスの頭にサレットを押し付けて立ち上がり、少年の手を踏みつけたままスハルドヴァーに命じる。

「…アロイス=ギースベルトを従者諸共拘束しろ。猿轡も忘れるな!」
「は、ははっ!」

 呆けていたスハルドヴァーは慌てて胸を張り、兵達に手を振って作業を促した。従者と偽アロイスに兵達が群がり、用意していたロープと猿轡で拘束していく。

 アランは改めて周囲を見回した。

 騎馬と歩兵の残党処理は未だ続いていたが、殆どの箇所で取り押さえや拘束が始まっていた。敵兵への自動追尾に切り替えていたアランの幻影達も、魔力の枯渇によってその多くが消失している。

(…少し、魔力を使いすぎたな)

 安堵した途端気が抜けたか。意識が後ろへ引っ張られかけ、アランは首を振って気力を奮い起こした。
 先の戦場へ向けて手をかざし、左から右へと空を撫でる。それで幻術そのものが解除され、残っていた幻影が即座に霧散した。

「全ての捕虜を拘束次第、根拠地へ退却。一泊後、事後処理をレックス=ウォール大尉に一任し、我々はラッフレナンド城へ帰還する。───陣鐘を鳴らせ、勝鬨を上げよ!!」

 ───カンッカンッカンッ、カーンッ!

「「「おおぉおぉぉおぉおおぉぉおおーっ!!!」」」

 アランの号令により陣鐘が高らかに奏でられ、討伐隊の兵達が続々と武器を掲げ鬨の声を上げていく。日が落ちかけたライゼ平原に、勝利を謳う雄たけびがどこまでも響き渡る。

 短いようで長かったこの決戦の日が、どうにか最良の形で終わる。その事実に、アランもまた溜息と共に愁眉を開いた。そして。

(リーファ…待っていてくれ…!)

 アランはラッフレナンド城がある北西へと仰ぎ、ただリーファの無事を願うのだった。