小説
血路を開け乙女もどきの花
 城壁を緑で埋め尽くしていた茎と葉と花は、少年兵が去ってやや時間を置いてから動き出した。
 じわじわと、下がるというよりは生長を巻き戻すように退き、石橋と城壁門を本来あるべき姿へ戻して行く。城壁にはまだ植物が密集しているが、そちらまで撤去するつもりはないらしい。

 そこからそこそこの時間をかけて、城壁門が重々しい音を立てて開いて行った。

「中へ入ってお待ちください。くれぐれも、植物には触れませんように」

 防犯上、城壁門の開閉装置は複数名で開けるように重く出来ているが、それすらも出来ない程人手が足りないらしい。城壁の内側の通路で、魔術で筋力を強化しつつ装置を調整している、ライトグレーの髪の兵が苦笑いを浮かべていた。

(三名だけ…か?)

 視界の中で忙しく動き回る者達を目で追いかけ、アランは人数の極端な少なさに訝しむ。城内に常駐していた者達はおろか、ギースベルト派の襲撃班とやらの気配も感じない。

(まさかこの場にいない者達はもう───?)

 嫌な想像にゾッとしながらアランは手綱を操り、一団と共に馬の脚を城内へと進めていく。

 城内も、城壁同様に植物で埋め尽くされていた。
 本城、礼拝堂、兵士宿舎、食堂───とりあえず目に見える範囲だけでも、茎と葉と花で満たされている。まるで施設そのものを植物で封じているかのような厳重さだ。植物自体は城壁同様クレマチスのようで、眠りの魔術が施されていた。

 しかしアラン達が立っている中央の通路は、クレマチスの浸食を受けていなかった。視界の端で避けるように後退していく植物の姿を見るに、配置をある程度調整出来ているようだ。アラン達が来る前は、この辺りも地面を這っていたのかもしれない。

 やがて本城前の通路に、討伐隊と城下の巡回兵達が集められると、城へ招き入れた者達がアラン達の前に片膝をついた。

 三階巡回担当、ノア=アーネル一等兵。
 二階衛兵担当、オスモ=ルオマ上等兵。
 そして一階衛兵担当及び魔術研究室室員、カール=ラーゲルクヴィスト上等兵。

 年齢も立場も違う、ざっくりと”兵士”という括りで共通しているだけの三人だが、胸に手を当て顔を上げてくるその姿は、まるで以前から徒党を組んでいたかのようだ。

 しかし、臣下が君主に敬意を示す一般的な拝礼も、植物に満たされた周囲の環境が色々と台無しにしている。非常識の世界に常識を持ち込んでいるようで、そのアンバランスさが絶妙に気持ち悪い。
 おかしい事は彼らも分かっているようで、顔を上げたその表情には苦笑いが浮かんでいた。

「お支度が遅れ、誠に申し訳ありませんでした。陛下、討伐よりのご帰還、お祝い申し上げます」
「「お祝い申し上げます!」」

 オスモの口上に、ノアとカールが溌剌と唱和する。

「…うむ。出迎え、ご苦労。
 ───では、まず始めに聞いておこう。
 お前達は、ギースベルト派に与する者か?それともラッフレナンド王たる私に忠誠を誓う者か?」
「………む」

 騎乗したまま冷たく問うてきたアランを見上げ、オスモは含みを込めて吐息を零した。

 オスモとノアはともかく、カールはギースベルト派を声高に主張していた。今回の襲撃がギースベルト派の者達によるものならば、カールは間違いなく襲撃班の頭数に含まれていたはずだ。

 しかし現状は、アランに城を開放し、ギースベルト派と思しき者達の姿は無く、カールはアランの前に膝を折っている。
 カールの顔は不承不承を滲ませているが、そうしている以上何らかの変化が生じた事になる。

 故に、アランは訊ねたのだった。他二名の兵も含めて、お前達はどういう立場なのか、と。
 ”嘘つき夢魔の目”によって、ある程度答えは分かった上でだ。

 騎馬分隊が警戒の色を濃く見せる中、オスモとノアはほぼ同時にカールの方に目をくれた。まるで『お前が最初に言うべきだろう』と言わんばかりの圧のかけ方だ。

 カールもそれは分かっているらしい。苦虫を噛み潰したような顔で目を伏せて、嫌々と口を開いた。

「───オレは、側女殿の、味方です!」

 ───ぎちぎちっ

 アランの後ろにいた不特定多数の鎧が軋んだ。それは肩を落としたような、拳を握りしめたような、武器を取りこぼしたような、落胆と呆気を含んだ音色だった。

 そして与えられた選択肢のどれでもないものを選んだカール自身は、鼻息荒くアランをねめつけていた。そこに崇敬の念など欠片もなく、むしろ選びようがない選択肢を押し付けてきたアランに噛みつかん勢いだ。

「…わたしも、同じく」
「ぼ、僕もです」

 合わせるつもりでいたのかどうか。苦笑いを浮かべたオスモもノアも、カールが選んだ道についていく事にしたようだ。

「お、お前らなあ!そういう時は普通陛下に忠誠を誓うものだろうが!!」

 アランの後ろにいるレホトネンが声を荒らげる。レホトネンのような近衛兵は、階級があるオスモらと違い独立した職だが、それでも兵卒と比べれば立場は上だ。上に立つ者として、彼らのふざけた返答に看過は出来なかったらしい。

 しかしアランは、彼らの愚直な姿勢ににやけが止まらなかった。

 今更、雇い主に対する礼節を説く必要性など感じてはいない。アランとて、兵達に向けて親身になって接した事などないのだから。
 渡した給金だけの働きをしているのならば、忠誠などという形のないものを更に求めるのは無粋だと考えていた。

 だが、現王として国を回しているアランや、国を脅かしかねない程の求心力を持っているギースベルト派を差し置いて、ここにいる三人はリーファの味方である事を選んだのだ。
 二年半前までは城下の片隅で穏やかに暮らしていた、少しばかり出自が怪しいだけの町娘を、だ。

 何がここまで彼らを動かしたのか───この数日中にリーファが為した偉業を考えていたら、アランから笑いがこみ上げていた。激怒を通り越した冷笑などではない、好感が持てるものに向けた笑いだった。

「ふ、ふふっ………はははははっ!」

 馬上で爆笑しているアランを、その場にいた者達の誰もが目を丸くして見ていた。
 狂ったように笑っているアラン以外、誰もが沈黙している。アランに真似て笑うのも不敬、怒ってもアランの意に反するのだ。反応に困るのは仕方がないと言えた。

 やがて一頻り笑ったアランは息を整え、オスモ達に応えた。

「………良い、許す」
「い、いいのですか?!」
「ああ。私の側女の味方でいてくれるのならば、これほど頼りになるものはないさ。百点満点だとも。私の中ではな」

 背後で呆気に取られているレホトネンにそう説いて、アランは馬から飛び降りる。必要に応じて迅速な撤退をと考えて騎乗しているのが、実に馬鹿らしくなってしまった。