小説
血路を開け乙女もどきの花
 ノアに連れられてアラン達が訪れた場所は、謁見の受付所だった。東側に謁見希望者の待機部屋が、西側に窓口がある空間で、北の扉の先に謁見の間がある。

 言わずもがな、ここもクレマチスの浸食が激しい。アラン達の帰還である程度通行箇所は確保しているようだが、扉や壁の隙間をかき分けて這って行く姿は、逃れようもない恐怖すら漂わせている。

「驚かれてしまうかもしれませんが………どうか、驚かないで下さい。
 初めての事なので魔術の制御が難しいらしくて、『恥ずかしい』と教えてくれました」
「会話をしたのか?」
「いえ。植物と感覚が繋がっているそうで、片言ですけど葉と茎で文字の形にしてくれるんです。痛みとかもあるみたいですね」

 不穏な話に、アランは嫌な予感がした。植物と痛みの感覚も繋がるという事は───

「………それはもしかして、あの植物を焼き払うのは───」
「ああ………ははは。体に影響はないそうですけど、『ヒリヒリする』みたいですね………。
 でも、城下にいた人達の中にギースベルト派がいたかもしれないので、説明する事が出来なくて………」

 こちらの意図を察したノアが苦笑いを浮かべていて、アランはサッと顔を青くしてしまった。

 城下の兵と偵察班が、調査の為に植物の刈り取りや焼き払いを行った、という報告をアランは受けていたのだ。痛みの度合いは想像するしかないが、その時リーファはかなりの痛苦を味わったはずだ。
 先のカールが丁寧に植物を払い落としていたのは、ひとえにリーファへの配慮だったのだろう。

「よいっ………しょっ、と。どうぞ、お入りください」

 そこそこ重い正面の大扉を、ノアは全体重をかけて開けていった。やや薄暗い謁見の間へ、アラン達は入って行く。

 謁見の間は、中央のシャンデリアのみ火を灯しているようだった。広間の両端は視認出来ない程に闇が立ち込め、代わりに中央のレッドカーペットを際立たせている。

「「──────」」

 そしてアランとシェリーは、仰いだ先の光景に言葉を失った。

 リーファは、正面の階段先の玉座に座っていた。
 背もたれに体を預け目を伏しているその姿は、温もりに満たされ惰眠を貪っている、というよりは、無理矢理座らせた死体のようであった。そう思わせる程に彼女の顔立ちには生気が失せ、瞼は固く閉ざされている。

 服は、膝下まである白いネグリジェとゆったりとしたズボンを身に着けていた。妊娠してから着るようになったナイトウェアで、幼い体型の中央でほんのりと腹部が膨らんでいる。

 そしてそんなリーファの全体を、クレマチスの葉と茎と花が彩っていた。
 頭には冠のように花が咲き乱れ、刺繍を施すように細い茎がネグリジェにまとわりつき、まるでドレスアップした淑女のようだ。玉座の肘に力なく垂れた腕にも茎が巻き付いており、手の延長のように床に広がっていた。

 クレマチスに巻き取られているのではなく、リーファを中心にクレマチスが広がっている、と表現するのが正確なのかもしれない。

(ああ。これはまさに、花の精の女王───)

 思わず首を垂れてしまいそうな気高い存在に、アランの目は釘付けとなっていた。

「こ、こここれは、大丈夫なのですか?お体に、問題は…?!」
「そ、側女殿は『大丈夫』と言うばかりで………その言葉を、僕達は信じるしかないんです。
 ですが陛下がご帰還されたので、ようやく魔術の解除が出来ます」

 ノアの言い方は、まるでアランがこの魔術に関わっているかのように聞こえた。険しい顔のシェリーを宥めている少年兵に、アランは顔を向ける。

「…どういう事だ」
「え、ええっと………この魔術の解除方法は二つありまして、一つは外からの接触が必要なんです。
 側女殿は、『”まどろみの森の乙女”のように起こして下さいね』と言っておりました」
「む?」

 その言伝に、アランは思わず顔をしかめてしまった。

 ”まどろみの森の乙女”とは、ここいらでは有名な御伽噺だ。
 悪い魔女の呪いで永遠の眠りについた美しい乙女が、このまどろみの森のどこかにいるらしい───そう聞きつけたある国の王子は、波乱に満ちた冒険の末に乙女を見つけ目覚めさせ、無事結ばれる、と言った内容の物語だった。

 その眠っている乙女の目覚めさせ方が、今回の魔術の解除方法らしいのだが───

「つまり、キスで起こして欲しい、と………うふふ、リーファ様も乙女ですわね」

 シェリーは整った眉をハの字に歪め、口元を押さえて笑っていた。

 そう。件の御伽噺の乙女は、王子のキスで目を覚ますのだ。
 子供の頃はどうとも思わなかったが、年齢を重ねて改めて聞かされると、『行きずりの男のキスで目覚めた挙句添い遂げるとか、乙女があばずれなのか?』と呆れたものだった。

「何が乙女だ………精々がもどきだろうに」
「あら、年齢在り方に関係なく、女性の心には常に乙女が隠れているものですのよ?」
「ああそうだろうな。こんな非常時においても、そのように悠長な事が考えられるのだ。頭に乙女でも飼わねば説明がつかん」
「まあ」

 ”乙女”を悪し様に言われてしまい、シェリーは憤りと共に溜息を零した。
 不機嫌に頬を膨らませたメイド長を鼻であしらって、アランはノアに訊ねる。

「アーネル一等兵。もう一つの解除方法とは?」
「………側女殿の命が尽きれば、魔術は解除されます」
「実質一択ではないか………全く、私が戻らなかったらどうするつもりだったのか…!」
「あ、えっと。キスは誰でも良いという訳ではないんですが…その、陛下ではないと決まりが悪いというか…」
「ああ、いい。分かっている。言わせて悪かった」

 ばつが悪そうに言い淀むノアにそう返し、アランは玉座へ向かって歩き出した。

 要は、魔術解除の為のキスは誰でも良いのだろう。”まどろみの森の乙女”のように、興味本位でやってきて、眠っている女へ無遠慮にキスをするような下劣な品性の持ち主でも良いのだ。

(だが、私でなければお前は嫌なのだろう?リーファ。
 ならば、私の帰還が遅れていれば、お前は胎の子諸共死を選ぶのか?
 いや、それはあるまい。そういう女ではないはずだ。お前は)

 アランは胸中でリーファの想いに問いかけながら、茎と葉が敷かれた階段へ足をかけた。出来るだけ植物を踏まないようにレッドカーペットを踏みしめて行くが、茎が絡みついてくる心配はないようだ。

 恐らくこの魔術は、アランには作用しないのだろう。リーファがアランを阻む理由などないのだから。

(お前は知っていたのだ。私が無事に帰ってくる事を。
 そして自分の唇に触れてくる者は、私しかいないと確信していた)

 ”まどろみの森の乙女”の事を考える。
 一見、乙女の存在が、冒険を乗り越えた王子に対する報酬のように解釈出来るが。
 もしかしたらあれは、乙女の噂に惹かれて迷い込んだ、哀れな王子の末路を描いたものだったのかもしれない。
 それこそ、食虫植物に誘われ、囚われてしまった獲物のように。

(お前の唇を奪う権利を、私が手に入れたのではない。私がお前に、選ばれたのだ)