小説
血路を開け乙女もどきの花
 玉座へと到達したアランは、ピクリとも動かないリーファを見下ろし、薄く笑った。玉座に膝をかけ、リーファの顎を指で持ち上げる。

 伝わってくる温もりは、顔色以上に冷たいものではなかった。シャンデリアの明かりの弱さもあったのだろう。顔を上げた彼女の口元は、タヌキ寝入りを決め込んでいるかのように薄っすらと笑んで見えた。

(やはり乙女もどきだな、お前は)

 真綿に触れるようにゆっくりと、甘味の味わうようにじっくりと、アランはリーファの唇にキスを落とした。

 久しぶりのキスの味は、そう感慨深いものではなかった。唇はほんのりと荒れ、まとっていた香料の香りは飛んでしまっている。色気などというものは元より皆無だ。
 それでもアランの心は、リーファに触れた喜びで確かに満たされていった。

 ───オ、ォ、オォ、オオォ、ォ、オオォ───

 遠い遠いどこかから、雄叫びにも似た葉擦れの音が聞こえてくる。目覚めを知らせる鐘の音にしては、随分と禍々しい。

 しかし周囲の変化は即座に起こっていた。リーファを包んでいたクレマチスが、急速に枯れ始めていったのだ。枯死は伸び広がっていた植物にも波及して行き、壁に貼りついていた花はしぼみ、葉や茎は自重を支えきれずに落葉していく。

 魔術解除の波紋は、城内にいる者達にも無事届いたらしい。歓呼や怒りの声、そして人の気配が、謁見の間の壁を伝って聞こえてくる。

「ん…ぅ」

 徐にリーファの瞼が揺れた。目を開けようとしてシャンデリアの灯りに眩み、瞑り直している。

 アランは、枯れ草まみれになったリーファの体をそっと抱き上げ、自分が代わりに玉座へ座り直した。膝にリーファを乗せ、包むように肩を抱く。

「おはよう、私の乙女もどき」

 恐る恐る顔を上げるリーファは、まだ眩しさに目を伏していた。腕を上げる力も残っていないのか、すがるように動く手は自身のネグリジェを浅く掻くばかりだ。魔術の発動中は動けなかっただろうから、体が固まってしまっているのかもしれない。

 それでも気力を振り絞り、リーファは掠れた声で言葉を紡いだ。

「………おとめ、もと、きって…なん、れす、かぁ…?」
「ふ、第一声がそれか?」
「だっ、てぇ…」
「他に言う事はあるだろう?」
「ぅむぅ」

 一番欲しい言葉をねだるアランに対し、リーファは不満そうに唇を尖らせた。”乙女”で止めていれば文句はなかったのだろうが、”もどき”扱いは納得がいかないのだろう。

 しかしアランが発言を改めない事ぐらい、分かっていたようだ。リーファは、ふぅ、と溜息を吐いて、ゆっくりと瑪瑙色の瞳を開き、にこりと笑ってみせた。

「おかえりなさい………あらん、さま」
「ああ、ただいま」

 帰って来た者を出迎える挨拶。他愛なくも大切な言葉が聞けて、アランはようやく安堵の息を吐いた。抱き寄せたリーファの温もりに触れて、やっとここに帰って来れたのだと実感していく。

「全くお前は、私を心配させて───ああいや、そういう事を言いたいのではなく………身重の体でよくぞ城を守って───違う、そうではないな………怖い思いをさせて悪かった───うむ、それもそうだが、一番言いたい事はそうではなく。うむむ…」

 伝えたい事が全然まとまらず、思いつくままに吐き出して行くも、色々と足りない。
 せめて想いだけでも届けばと、アランはリーファを強く抱き締めた。頭に顔を埋め、柔らかい髪の匂いを嗅いでいたら、心の安らぎも得られた気がする。勢いに任せてこのままベッドで構い倒したかったが、さすがにそれは我慢だ。

 やりたい事で頭が大渋滞を起こしているアランの腕の中で、リーファは体を不自由に捻って訴えてきた。

「あ、あの、あの…あらん、さま」
「ん?どうした、おねだりか?勿論何でも聞いてやるとも。何だったら正妃の座だって───」
「のあくんの、はなしを、きいてあげて、ください………とても、たいせつな、ことなんです…」

 リーファの手が広間の方へ振られ、力なく落ちていく。

 そちらに目をやれば、ノアが広間で片膝をついて首を垂れていた。もう案内の務めは終わり、無言で引き下がっても文句はなかったのだが、少年兵はアラン達の逢瀬を待つかのように微動だにしない。

 気兼ねなくもう少しリーファと睦んでいたい、とは思ったが、感動の再会を遮るほどのリーファの訴えだ。何かがあるのだろう。

「…シェリー。リーファを休ませてやってくれ」
「かしこまりました。お部屋を整えて参りますので、しばしお待ちくださいませ」

 ノアの側で背筋を正していたシェリーに声をかけると、彼女は恭しく首を垂れ、北側の通用口から謁見の間を出て行った。

 シェリーが去って沈黙が広がる頃になって、ノアはすっと顔を上げる。
 幼くも緊張に強張らせた面持ちの中で、闇の色に染まった瞳には決然とした覚悟が秘められていた。

「…禁を破る事への罰は、謹んでお受け致します。僕の話を聞いた上で、血族が犯した大罪も含め、厳しい処分をお願い致します」

 堅苦しくそう前置きをした上で、ノアは被っていたサレットを脱ぎ、横へと置いた。

 天然の巻き毛かと思われていた髪質は、火箸などを使ってわざわざ巻いていたらしい。頭頂部から耳辺りまでは、癖のない直毛だった。
 そして髪の色は毛先こそ栗色をしていたが、根元は明るい金色をしている。丁度、アランの髪の色に良く似ていた。

「…っ?!」

 ノアと名乗る少年兵の容姿に、ざわり、とアランの肌が粟立つ。
 髪色が変わっていようが、背が伸びていようが、声変わりの時期を迎えていようが、気付けないはずはない───そう思っていたのに。

「改めて、ご無沙汰しております───兄上」

 顔を上げた少年兵ノア=アーネルの瞳は、北の極星を魅せる夜空にも似た深い藍色をしていた。
 名を偽り、身分を隠して役務に従事していた末の弟───アロイス=ラッフレナンドが、アランの前に姿を現したのだった。