小説
血路を開け乙女もどきの花
 ───ヒュッ!

「ぬ、うっ!?」

 こちらの接近は目で追えていたのだろう。ノアが振り下ろした剣を、カールは寸での所で後退して躱した。しかし衛兵の前掛けは風で流され、剣の切っ先に触れて縦に数センチ裂けて行く。

 前掛けの腰から下までが綺麗に切り裂かれ、カールはノアの明確な敵意を感じ取ったようだ。腰のロングソードを慣れた手つきで抜き、凍り付くような目で構えてくる。

「オレの事は分からない…か。どうやら、人相書きは渡されていないようだな。『目につく者を全て殺せ』とでも命じられたか?
 ああ…それであの手紙か………ならば納得だ。オレが城の外で成り行きを見守っていると思っているのか…」

 カールのうわ言のような呟きから意味は見出せない。恐らくノアに理解を求めているのではないのだろう。カールが自身に言い聞かせる為の呪文のようなものだ。それがまた怖いのだが。

(魔力の輪郭だって、そうはっきりとは見えていないはずだ!不可視化が発動している内は、まだ勝ち筋がある!)

 ノアは心を奮い起こし、落としていた切っ先を斜め左上に向けて振り上げた。

 カールは剣を構えたまま数歩後退し、ノアの剣の間合いから距離を置く。空振った剣の筋を視界に入れるように顎を引き、一歩だけ踏み込んできた。正面に構えた剣を軽く上げ、ノアに向けて打ち下ろしてくる。

 ───ギャンッ!

(重いっ?!)

 躱されると睨んでいたから、返した剣でカールの剣を当てる事は出来た。しかし受け止めた剣の異様な重さに、ノアは顔をしかめてしまった。勢いで体が浮き、後ろに押し込まれる。

 怯んだノアの姿に、カールは目敏く反応した。恐らくさっきの打ち合いで距離感を計っていたのだろう。まるで剣の持ち手が見えているかのように、右手目掛けて突きを放ってきた。

 ───ッキン!

 ノアは何とか鍔に近い剣身で受けたが、止める事は出来ない。気付けばノアの剣は宙に放られ、不可視化の範囲を超えていた。形無き剣はただのロングソードへと姿を変え、ノアの後ろの床へ転がって行く。

 追撃は止まらない。空手となって動揺しているノアに更に踏み込んだカールは、その手を勢いよく突き出した。剣を持った右手ではない。いつの間にか鞘を握りしめていた左手だ。

 ───ドウッ!

「───ッ!!」

 焦ったのも束の間だった。ノアの腹の中心に、カールの鞘の差し入れ口が突き刺さった。

 鞘の差し入れ口と先端は、金属で補強されている事が多いが、それは剣の刃で鞘が傷まないよう補強する為のものだ。言うまでもなく、人を突く為のものではない。

 剣で突き刺すよりも遥かに殺傷能力は低かっただろうが、それでもノアの動きを止めるには十分過ぎた。チェインメイルで防ぎ切れなかった衝撃は背中まで伝わり、ノアは目を剥いてその場に崩れ落ちた。

「───ッ、───ァ、───」

 意識はあるが、呼吸の仕方を忘れてしまったかのように空気を吸う事も吐き出す事も出来ない。声を発するどころか、これから何をすべきなのかも頭から飛び散っていた。

 やがて、ノアの体が纏っていた不可視化が解除されていく。元より、人との接触などが規定数を超えると解けるようには出来ていたから、早かれ遅かれだろう。

「ん、巡回兵…?しかも、子供か…?」
「!」

 こちらの姿を認めたカールのどこか蔑むような物言いにノアは気色ばむも、やはり打ち付けられた腹の痛みに顔を上げる事も出来なかった。

 蹲り動けなくなっているノアを見下ろし、カールは憮然としながら剣を鞘に収めている。もう戦う気はない、という事らしい。

「…まあいい。シーグヴァルド=ラーゲルクヴィストに伝えてくれ。
 同じ派閥であっても、意見の相違はままある事だ。貴方は怒るだろうが、オレも覚悟の上。オレはオレのやりたいようにやる───と」

 頭上から告げられた言伝とやらを、ノアは反応出来ないまま鈍った思考の中に溶かしていく。カールの勘違いはさておき、相対した当初にノアが想定していたものとも違うと、頭が訴えてきている。

(ギースベルト派の手勢じゃない…?!)

 そうとも感じたが、彼が発した文言の一つ一つにギースベルト派との繋がりも感じられたのだ。全くの無関係、ではない。まるで途中から離反したかのような物言いだった。

「っぐ、ごはっ、は、はぁっ、───!」

 空気が不意に喉を叩き、ノアの肺へ大量に押し入ってきた。どうやら体が呼吸の仕方を思い出したらしい。些か乱暴な再始動に激しく咳き込みながらも、ノアは懸命に息を整えた。少しずつ、視界と頭を曇らせていた何かが取り払われていく。

(だからと言って、リーファさんに危害を加えないとは言い切れない…!)

 正直な事を言えば、これだけ頑張ったんだから逃げてもいいんじゃないか、と思っている自分がいた。
 リーファを助けられたとしても、自分が死んだら、あるいはギースベルト派に囚われたら何の意味もない。
 ノアが望む以上の成果を出したリャナには顔向け出来ないが、『互いに自分で出来る範囲で』と条件をつけている。自分の限界をここで定めても、問題はないかもしれない。
 でも───

(僕の限界は、ここじゃない!)

 体の其処此処から上がる悲鳴は、歯を食いしばって無視した。勢いをつけてノアは起き上がり、こちらに背を向け廊下を北に歩いていくカールに向かって走り出す。

「うおおぉぉおぉぁあぁぁっ!」
「ん、な、───ほぐあっ!?」

 奇声と共に走って来ているというのに、カールは直前まで反応らしい反応を起こさなかった。廊下の先に気を取られていたか、亡き師の言葉に夢中になっていたか、どちらかは分からない。
 いずれにしても、ノアに背後から飛びつかれたカールは、何の抵抗もなく顔面から転倒した。

「い、つつ………は、離せ!」
「い、いやだーっ!」

 慌てて引き剥がそうとしてくるカールの背中を、ノアは必死にしがみつく。ノアの方が明らかに体重は軽いはずだが、カールもノアもそこそこの重装備だ。全体重をかけてしまえば、起き上がりを多少は阻害する事は出来た。

 とは言え、ノアとていつまでもこうしている訳にはいかない。

(騒ぎに気付いて、巡回兵が来てくれれば、リーファさんが起きてくれれば、それまで持ちこたえられれば…!)

 どちらも、オチはロクな事にならない予感はある。こんな時間にうろついていたカールも大概だが、夜勤ではないノアがいるのもそれなりに問題だ。
 今日と言う日が何事もなく過ぎたとして、この珍事が始末書程度で済めば良いな、と思わずにはいられない。

 ───バタンッ!

 深夜にそぐわない派手な音が聞こえてきたのは、そんな時だった。