小説
血路を開け乙女もどきの花
 自分達だけが騒がしい静謐な夜に起こった変化に、ノアとカールは同時に顔を上げた。

 視界の先にあったのは、リーファの部屋の扉だ。
 扉の縁を彩る高浮き彫りは、王自らがその部屋の主に相応しい柄を決めるのだという。
 この扉に施されている彫り物はスミレ。”小さな幸せ”、”誠実”、”謙虚”などの花言葉がある、慎ましくも品のある花だった。

 廊下にいたノア達の目の前に彫り込み豊かな扉がある。それはつまり、扉が開いているという事だ。
 そして、扉の向こうから顔を出してきたのは───

(リーファさん!)

 ノアの前に現れたのは、アランの側女であり部屋の主でもあるリーファ=プラウズだった。
 いつも結わえている茜色の髪は、無造作に垂れて胴の中ほどまである。純白のネグリジェに同色のズボンという、今起きたばかりと言わんばかりの格好だったが、何故か左手には木の棒を握りしめていた。胸には、青い花と白い花のコサージュが飾られている。

「リーファさ───」

 カールにへばりついたまま声をかけようとするも、そもそもリーファはこちらに顔を向けていなかった。
 リーファが凝視していたのは、ノア達がいる廊下の南側。
 彼女は廊下に出つつ、まっすぐにそちらを見据え、流れるような動きで右手の人差し指と中指を向けていた。

(あ、来る)

 魔術訓練の賜物か、ノアにも最速で編み込まれていく魔術の構成が見えた。失敗と言うものを知らない、対象を確実に抉る魔力の流れが一瞬でリーファの指先に絞られる。───そして。

「───”穿て”!」

 リーファの指先に集束した空気の塊は放たれ、伏せたまま頭を抱えるノアとカールの頭上を通過した。
 そのまま廊下の先に突っ切って───

 ───ボッ!

「ぎゃあっ!?」

 階段とここまでの途中、誰もいないと思われていた廊下の何処かに着弾し、上がるはずのない悲鳴が響き渡った。

 這いつくばったまま息を呑んだカールと一緒に、ノアも振り向く。

 ノア達が今し方剣を交えていた場所で、全身を黒ずくめで満たした人影が倒れていた。言葉にならない声を上げているから生きてはいるようだが、相当強い一撃を見舞われたらしい。体を震わせて動けないでいる。

 しかし、驚きはそれだけではなかった。

 南へ続く廊下のそこかしこから、夜闇に紛れていた人影が姿を現し始めたのだ。三人はいるだろうか。身を低くして何かを見計らうような挙動は、明らかに兵士の動きではない。

(ギースベルトの強硬派───)

「”爆ぜろ”!」

 ───ボウッ!

 ついに起こってしまった襲撃の余韻をかき消すように、リーファの魔術が廊下の北側に放たれる。そちらからも手勢が来ていたらしく、曲がり角にいた複数の黒ずくめ目掛けて、魔力の炎が炸裂した。

「うわぁぁああぁぁっ?!」
「あちっ、あちいぃっ」

 衣服に火がついて黒ずくめ達は狼狽えていたが、周囲の壁や扉には被害を一切与えていない。まるで相手の位置が見えているかのように正確さだ。

「うりゃぁあっ!」

 ───ゴッ!!

「ほごっ!?」

 怯んだ者達の中で最も近くにいた者の股間目掛けて、リーファは持っていた木の棒を打ち込んだ。
 女性の細腕とは言え、手加減など一切ない全力の一撃を急所で受け止めた黒ずくめは、泡を吹いて失神してしまう。

(た、戦い方を知ってる───)

 あまりの手際の良さに、ノアは目を白黒させてしまった。

 戦いにおける厄介なものの一つに、相手の痛みに共感してしまう事が挙げられる。
 怪我を負い痛苦に足掻いている者を前にして、自身も同じような痛みを受けているような錯覚に陥ってしまうのだ。
 これによる戦意の減衰は、物理的な負傷よりも後を引く事がままあり、確立した対処法もない。
 結局は場数を増やして共感してしまう感情を鈍らせるしかない、というのが兵士の中での通説だ。

 しかしリーファの戦い方は、躊躇と言うものが一切感じられない。まるで家に出た害虫を叩き潰す主婦のような潔さだ。
 自分と同じ形をしているだけの別の生き物である、という割り切った考え方が、彼女の思い切りの良さを後押ししているような気すらした。

「ど、どけっ!!」
「がっ?!」

 思考の最中いきなり真横から力が加わり、ノアの体は抵抗もままならず床に転がされた───その直後。

 ───ガンッ!

 金属がかち合う音に首を上げれば、仰向けに上体を起こしたカールが、剣の鞘で南側から来ていた黒ずくめの短剣の一撃を防いでいた。

 庇ってくれた、という訳ではないのだろう。あのまま凶刃がノアの背中に落ちていれば、カールとてただでは済まなかっただろうから。

 だからノアも、黒ずくめの次の標的とならないよう、自分の為に魔術を編み上げて行く。
 威力は低くていい。素早く正確に指定した場所へ届けばいい。ノアは体を起こしながら両手を黒ずくめに向け、一言魔術を解放した。

「”レオ・ルジェット”!」

 強そうな文言とは対照的に、威力は微々たるものだ。子供の全力パンチくらい、と言えば分かりやすいか。大の大人ならば、構えている者に当ててもビクともしないだろう。
 だから、当てる場所が重要だった。

 ───べしっ

「ほわっ?!」

 腰を落とし刃に力を込めていた黒ずくめは、膝の後ろから来た細やかな衝撃に抗う事が出来なかった。膝をがくんと折り、態勢を崩す。

「ふっ!!」

 カールはその好機を見逃さなかった。
 まるで剣を差し出すように、但し強い力を込めて鞘を突き出したのだ。剣は鞘から滑り出て、勢い良く射出される。

 ───ゴッ

「──────」

 飛び出した剣の柄頭が直撃したのは、黒ずくめの唇端の真下───所謂マリオネットラインと呼ばれる場所だ。顔面の急所でもあるそこを強かに打ち付けられ、黒ずくめは一言も発せずに昏倒していった。