小説
血路を開け乙女もどきの花
「…ん?ここにある粒は、誰のものだ?」

 ノアが自己嫌悪に陥っている中、カールは術具に反応しているそれを指差していた。
 見れば、ノア達と思われる黄の粒から少し西側に、一つだけ人の反応がある。

「庭園…にしては近いですね。私の部屋か、この下にあるヘルムート様の部屋のベランダ───?」

 ───ガシャーンッ!

 陶器が壊れたような甲高い音が鳴ったのは、その時だった。

(…まさか!)

 音の発生源が側女の部屋だと気付いた瞬間、手勢が退いて行った理由に思い当たり、ノアの体は勝手に動いていた。扉に手をかけ、目を皿のようにして部屋を見渡した。

 視界に入ってきた違和感は、そう多くはなかった。
 割れたガラス窓、ベランダから落ちていく人の影、部屋の中央に転がっている黒い塊。
 ───そして、黒い塊からバチバチと飛び散っている火花。

 ノアの顔から即座に血の気が引いていった。
 夜襲の失敗を悟ったギースベルト派は、城諸共リーファを吹き飛ばす、爆殺という手段を選択したらしい。
 扉を勢い良く閉じたノアは、転倒しそうになりながら走り出し、リーファ達に絶叫した。

「ば、爆弾です!」
「側女殿、下がりながら全力で守りの魔術を!急げ!」
「え?えっと───は、はいっ!!」

 戸惑うリーファの腕を掴み、カールは北の廊下を走り出した。引きずられるように走り始めたリーファも、徐々に状況を呑み込んで追従する。

(ヘルムート兄上が心配だ…!寝室から離れていて下さればいいけど…!)

 次兄の事も気がかりだったが、知らせる手段がない以上彼の強運に頼る他ない。

 そして、ノア達にとっても他人事ではないのだ。
 さすがに城が全壊するような代物ではないと信じたいが、ギースベルトの手勢がかなりの距離を置いたのだ。爆風に煽られて身動きが取れなくなる可能性はあった。

「三人………出来るか………師匠、オレ達を導いてくれ…!」

 北の廊下を東へ抜けて行く二人にどうにか追いつくと、カールは首にぶら下げたネックレスを握り締め、祈るように詠唱を始めた。

「”現出し開き給え黄金の扉、揺蕩えども沈まず、標なくも迷わず、我が運命諸共、望む先へと導き給え、此処に座標を示す”───」

(なんだ?これ───)

 流暢にかなりの早口で唱えている文言は、爆発の衝撃を防ぐ為のものではなかった。ノア達が使うような小手先の魔術ではない。もっと規模が大きい、常識の外にある何かを引きずり込むような詠唱だ。

 ───ズドンッッ!!!

 想定よりもずっと遅く、対象を粉々にせんと放たれた破裂音が、ラッフレナンド本城を大きく揺るがした。

「「「───ッ!!」」」

 北の通路の真ん中辺りまで到達していた三人は、大地そのものを打ち砕いたかのような振動に足を取られる。
 そして、爆発の余波は戸締りをしただけで治まるはずもなく、廊下を伝い曲がり角を潜り抜けてノア達がいる場所まで襲い掛かってきた。

 迫りくる爆風に手をかざし、リーファとノアは同時に魔術を発動させる。

「”守れ”!」
「”アルマディーノ・テスタ”!」

 守りの一言魔術は、リーファの方が一足早く、ノアが追う形で展開される。半円のハチの巣状に構築された光の防壁が重なり合い───

 ───ビリビリビリ───ッ!

「ぐっ?!」

 直後に押し寄せた黒煙と爆風に反応して、防壁が耳障りな悲鳴を上げた。
 かざした手から肩にかけて痺れが走り、ノアは痛みに顔をしかめる。どうにか砂埃や瓦礫の侵入を防いでいるが、あまり長くは持ちそうにない。

「”三五四〇五七、一三九四五一〇、−三五〇〇───”」

 黒煙に呑まれ防壁の光のみが視界を独占する中、姿無きカールの詠唱が不気味に響く。そう距離は置いていないはずだが、吐息はおろか人の影すら闇に溶けた世界では、その声すらも遥か遠い。

(もしかして、二人とはぐれた?いや、置いていかれた…?!)

 リーファの姿はなく、カールの声も遠い中で過った仮説にぞっとした。

 思惑はさておき、『リーファを助けに来た』というカールの言葉は信じても良いかもしれない。
 だが、そこにノアは含まれない。含まれるはずがない。
『リーファを助ける』という最優先事項を完遂する為ならば、ノアを置いて行く事ぐらいはしていてもおかしくはないのだ。
 ノアが抱えている事情など、今のカールには知る由もないのだから。

(…ま、まずい…集中、が…)

 手が震え、眼前の防壁の光が濁り始めていた。体が負担を訴えているのだ。
 そもそも一言魔術は、長時間の発動に向いている代物ではない。加えて、『こうして耐えていても意味などない』という一抹の不安が、維持を不安定にしていたのだ。

(あぁ………何で僕、独りで頑張ってるんだろう………?)

 永遠にも似た中、絶望感がノアの心に黒いシミを広げていく。明ける事のない黒煙の檻を見上げ、脳裏に闇が満ちる。
 隣を見ても誰もいない。振り返っても何もない。ならば頑張りは無価値なのではと、誰の為にもならないのだと、誰かに囁かれているような気すらする。

(………もう、いいか───)

 諦念と共に意識が飛びかけた時、風を切ってノアの首根っこを掴む手があった。
 一言魔術が解け、体の力が抜けた途端にノアは後方に引き寄せられ、誰かの腕の中に留め置かれる。

 甘い匂いが鼻をかすめた。柔らかい感触が頬に触れた。背中にほんのり膨らんだ何かが当たった。
 それが何かは分からなかったが。

((ああ、よぉく頑張ったねぇ。大したもんだ))

 リーファではない、しっとりとした大人の女性の惜しみない賛辞が、耳朶ではないどこかから響いて来た。そして───

「”エタグ・フォ・シサツァテム”!」

 発動した魔術の光は乱暴に視界を白く染め上げ、瞬く間にノアの意識も奪って行った。