小説
血路を開け乙女もどきの花
 ───一分かかったか、一時間かかったか、一日かかったか。
 あるいは、ずっと起きていたのかもしれないが。
 いずれにせよ、ノアはこの瞬間、自分が王城の廊下にいない事に気が付いた。

(天国って殺風景なんだな…)

 自分が床に寝そべっている事に気付き、天井が高い事をぼんやりと認める。白い画用紙に白い絵の具をべったりと塗り潰したかのような主張の強い白は、ノアの視界いっぱいに広がっていた。

 怪訝に眉をひそめる。というのも、天井の白さを目で視認出来ているのに、灯りらしきものが一切存在しなかったからだ。まるで天井自体が光を帯びているかのようだった。

「大丈夫?ノア君」

 知らない場所に見知った顔が割り込んできて、ようやくここが天国などではないと気付く。まあ、ここが天国の入り口で彼女が天からの使者だとしても、結構信じてしまうかもしれない、と思えるのが不思議だ。

 ノアは恐る恐る体を起こした。少し頭がぐらつくが、とりあえず目に見える形での不調はなさそうだ。

「ここは…?」
「オレの隠れ家だ」

 彼女に訊ねた問いかけは、男が答えていた。

 ぐるりと見回せば、ノアの側には男と女が一人ずつ腰を下ろしていた。女の方はリーファ、男の方はカール。言わずもがな、共に本城の廊下で死線を踏みしめた者達だ。

(あの暗闇の中はぐれたと思っていたけど、ずっと側にいたんだ…)

 当たり前だ、と思っていても、安堵の吐息は静かに零れて行く。

 恐らくだが、カールの魔術発動直前にノアを引き寄せたのはリーファだったのだろう。声は随分大人びて聞こえたが、爆風の雑音に紛れたらああ聞こえていてもおかしくはない。

「隠れ家………そう言えば、以前師匠がそんな事を言っていましたね。城を好きに改造すればいいとか、秘密の部屋を作ればいいとか。…もしかして、あれが?」

 渋い顔をしているリーファを見て、カールはにんまりと口の端を吊り上げた。

「師匠が革命以前に拵えた、秘密基地の基礎、だそうだ。
 整地をして資材を運ぼうとした途端に革命が起きたらしくてな。そのまま放棄したものを、オレが貰い受けたんだ。
 ここまで整えるのは苦労したんだ。空調設備は生きていたが、他のライフラインは全部駄目になっていたからな。
 そもそも扉も窓もないから、空間転移を使えないと出入りもままならないしな。師匠が亡くなってしばらくは途方に暮れたものだ」

 カールの苦労話を聞き流しつつ、ノアはぼんやりと隠れ家とやらを見回した。
 単純な広さなら、演習場の外周くらいはあるだろうか。天井も壁も床も、一面真っ白な建材で構成された箱型の空間だった。

 ある程度生活出来るように考えたらしく、木製の衝立で空間を仕切っているようだ。
 今いる中央部が最も広く作られており、左側には机や本棚などが置かれた書斎スペースが、右側にはキッチンやトイレなどの水場が設けられているように見える。
 これだけ広いと移動に不便を感じそうだが、水場の匂いや湿気などから他の空間を守る意図はあるのかもしれない。

(あの柱…どこかで見たような…)

 中央の突き当りの壁には、半分程めり込む形で巨大な柱が鎮座していた。のっぺりした白い空間にありながら、あの柱だけがレンガ造りになっている為、より悪目立ちしている。

「そういえば、空間転移───あんな高等な魔術、カールさんが使えるだなんて思いませんでした」

 リーファ達の会話は、カールが使用した魔術の話に切り替わっていた。
 空間転移───言葉通りならば、特定の場所へ移動する魔術、になるだろうか。しかも、扉も窓もないこの場所へ移動出来た事を考えると、遮蔽物の存在を全て無視した事になる。

「な…なんか良く分かりませんが、すごいですね…!」
「技術自体は確立してるらしいけど、個人でここまで扱える人はそう多くないと思うの。
 私は空間転移は苦手だし、カールさんみたいにはきっと出来ないと思うわ」

 ノアとリーファが一緒になって感心していると、カールは頭を掻きつつ照れた様子で顔を綻ばせた。

「ま、まだまだ制御は覚束ないんだ。座標を明示して精度は上げているが、時々おかしな場所へ飛ぶ事もある。
 幸い土中にめり込んだ事はないが………昇降機の縦穴に転移した時はあったな。あれはさすがに死を覚悟した」
「………それって、ひょっとして………?」
「あ、まあ、うん。”終わり良ければ…”だからね」

 言葉を濁したノアに対し、リーファは苦笑いを浮かべて曖昧に答えてくれる。つまり失敗していたら、おかしな場所で圧死か窒息死か落下死をしていたかもしれない、という事らしい。

 知らず知らずの間に危険な綱渡りをさせられていたと知り、ノアの全身からぶわっと嫌な汗が吹き出てしまった。