小説
血路を開け乙女もどきの花
「カールさン、おかえリなさイ」
「「!?」」

 不意に女性の声がわいて、ノアとリーファはびくりと体を竦ませた。
 この閉じられた空間に、自分達以外の誰かがいるはずはない───そう思い込んでいたものだから、唐突な人物の登場に緊張が走る。

 書斎スペースの方を見やると、人の形をした何かが近づいてきていた。声はそれが発したようだ。

 身の丈はノアとそこまで変わらないだろうか。ゆったりとした白い長袖のワンピースからは、女性的且つ控えめなボディラインが覗かせており、腹に当たる部分にはほんのりと膨らみが見て取れる。

 指先を見ると、関節毎に球状の部品が埋め込まれていた。ちゃんと動かしやすくなっていて、細かな作業も難しくなさそうだ。

 艶のある茜色の髪は左右で編み込まれ、後ろで一つに結わえていた。編み慣れているのだろう。丁度カールとお揃いだ。

 陶磁のような透明感のある肌に、瑪瑙をそのままはめ込んだような瞳が瞬いている。唇にはほんのりピンク色のグロスが艶めいて、幼い顔立ちに色っぽさを加えていた。
 ただ、表情を変化させるのは難しいのだろう。その面持ちは、柔らかい笑みのまま貼り付いており、場も相まって恐怖すら感じさせる。

「──────」

 目線をちらりと隣に移せば、リーファが顔を青くしてソレを凝視していた。
 黙してはいたが、彼女が言いたい事は痛いほど伝わってきた。まさにソレは、現実に存在する悪夢そのものだっただろうから。

 全体的に見れば、瓜二つ、とまではいかないが。
 しかし体の部位の特徴をそれぞれ見て行けば───ソレは紛れもなく、リーファの姿を模した動く人形だった。

「ああ、ただいま。リーファ」

 恋人のように、あるいは家族のように。カールは立ち上がって柔らかく微笑んで見せ、胸に飛び込んできたソレを優しく抱き留める。

 リーファと呼ばれたソレは、カールとの抱擁を嬉しそうに満喫し、唇を動かさずに鈴を転がすような声音で囁いた。

「おフロにしマス?それトモ、おシょくジ?ソレとも………わ、た、シ?」
「言わせるな………まずはリーファ、お前だよ」
「う、フフ」

 お互いに分かり切った合い言葉のようなものなのだろう。カールはソレに身を寄せて、頬に撫でるようなキスを落とした。

 そこまでしてようやく、この場での通過儀礼的なものは終えたようだ。ソレはあっさり身を引いて、カールの前で姿勢を正した。

「…リーファ、お茶を淹れてくれないか?三人分だ」

 名を呼ばれて、ピクリ、とこっちのリーファが反応しかけたが、自分の事ではないと思い直したようだ。居た堪れない気持ちを押し隠して目を逸らしている。

「はぁイ、わかリましタ」

 そしてカールから命令を受けたソレは、スカートの端を摘んでお辞儀してみせ、キッチンの方へと歩いて行った。

「…さあ、支度はあの使い魔に任せて、オレ達はそっちへ行こうか。人が来ることを考えていなかったから、椅子の数は足りないが───」

 言いながら振り返ってきたカールの目には、こちらの表情がどう写って見えたのだろうか。
 ノア達を見て一度は怪訝な顔をしたカールだったが、自分がやらかしたあれやこれやを思い出し、即座に顔を真っ赤にした。

「ち───違うんだっ!!」

 詰め寄ってくるカールを威嚇するように、ノアはリーファとの間に立った。腰に手をやった途端、剣を落としていた事を思い出し、やむを得ずベルトから鞘を外していく。

「な、何が違うんですか!?リーファさんにそっくりな人形を作って、”リーファ”だなんて名前もつけて、あんな…あんな、いかがわしい事を…!!」
「いかがわしくないっ!使い魔とのスキンシップは、疑似人格の成長を促す重要な要素の一つで…!」
「使い魔ってそんな事もしないと駄目なんですか?!何かもうちょっとやり方ってもんがあるでしょう!」
「い、いつもこうしてるのに、急に変えたら使い魔が混乱するだろうっ?!………そ、側女殿ならオレの気持ち、分かるはずだ!」

 急に話題を振られ、リーファはビクッと肩を震わせた。顔を青くしたまま、しどろもどろと答えている。

「え、ええ、まあ。使い魔との接触は、大切です、から。私も、ラザーにはそうしてましたし。………………でも、何で、私…?」
「な、名前と外見を寄せる事で、より本物に近い人格となるかの実験に決まっているだろう?側女殿の毛髪も核に混ぜ込んでいるからか、半年程で人格の形成を確認した。
 かなり側女殿に性格も寄ってきていると思うんだが…どうだろうか?」
「うわ」
「わ、私の髪………いつの間に…?!」

 特に悪びれもないカールに、ノアはドン引きした。使い魔の素材に自分の髪を使われたリーファは、困惑と共に髪に手を置いている。

 引かれるとは思っていなかったのだろうか。同意を得られなかったカールの言い訳は止まらない。

「つ、使い魔の核に、主の毛髪や血を使うのは基本中の基本だ。使い魔の性格がそれで決まるのならば、特定の人物の体の一部を取り込めばそちらに寄るのでは、と思ったんだ。
 研究室に落ちていた毛髪の十本や二十本、別にいいだろう?一時期は、爪や垢や体液なども貰えないかと考えた時もあったんだ。これでも我慢した方だ」

 カールの倫理観の無さに、鳥肌が立つ。
 彼の言動は、研究の為ならば何をしても許される───そんな気持ちが透けて見える。

 そしてあの使い魔の造作だ。
 この閉ざされた空間に置く程に秘めたものだったのかもしれないが、それを差し引いても愛情が偏執的だった。

 この男は危険だ、と心が訴えていた。
 ベルトから外れた鞘を構え、ノアは後ろで放心中のリーファに声をかける。

「リーファさん、やっぱりこいつヤバいやつです。きっとこの部屋に閉じ込めて、欲望の赴くままにリーファさんを辱める気です。僕…僕、どうにかやっつけますから、下がってて下さい」

 ノアの言葉は、カールにとって戸惑いを怒りに切り変える程の禁句だったようだ。心外だと言わんばかりに、大きな舌打ちが聞こえてきた。

「ちっ、どいつもこいつも…っ!そんな事する訳ないだろう!?オレは側女殿をそんな目で見ていない!」
「あんなもの作っておいて、よくそんな事言えますね!?
 何なんですかあのお腹!どうせあの使い魔とイチャイチャして、リーファさんを孕ませる妄想でもしたんでしょう!?」
「あれは原因が分からないんだ!何か、勝手に膨らんで行って………気にはなるが、腹を捌いてやるのも良くないような気がするし…」
「嘘だッ!」

 ノアが鞘を振り上げようとしたその時、鞘の先の方が後方に引っ張られ、思わず後退っていた。

 体重をかけて鞘を掴んでいたのはリーファだった。彼女はおっかなびっくりしながら苦笑いを浮かべ、ノアを宥めてきたのだ。

「だ、大丈夫よノア君。カールさん、私にそういう気持ちを向けてる訳じゃないから」
「で、でもっ!」
「大丈夫、大丈夫なのよ。
 カールさんは、肉付きのいい、綺麗な年上女性が好みなの。身長は百七十センチくらいで、バストは九十五センチ以上で、化粧が映える華やかな女性がいいの。
 師匠とかシェリーさんみたいなスレンダーな人が好みらしいんだけど、エリナさんも『あの子は愛想がいい』って言ってたし、ぽちゃ…えっと、マシュマロ女子でも自分の駄目な所とかちゃんと叱ってくれるしっかり者な人が好きみたいで…。
 とにかく、私なんかとは全然真逆だから。多分ピクリともしないから、大丈夫」

 そう言い切って、リーファは、えへへ、と何故だが泣きそうな笑みを浮かべていた。

 複雑そうな彼女の表情を見て、ノアはモヤっとした感情と共に鞘に込めていた力が鈍くなった。

 年頃の女性が、見目は良い妙齢の男性に『そんな目で見ていない』と言われたらどんな気持ちになるだろうか。例え自身に恋人がいたとしても、そこそこ、それなりに傷つくような気はする。

 カールもウンザリしているし、恐らくお互いにこの手の誤解は日常茶飯事なのだろう。全部が全部彼の言動の所為なのだが。

 一人で騒いでいるのが何だか馬鹿らしくなって、気付けばノアは留め置かれた鞘を下ろしていた。
 代わりにカールへ向き直り、哀れみと蔑みを込めて問うてみる。

「………その、好意を全く持っていない女性にそこまで理解してもらうのって、正直どうなんですか…?」
「理解、してもらうのは、嬉しいん、だが………………どうなんだろうな………?」

 どうやら不甲斐ない自覚はあるようだ。赤くなった顔を手で覆い、カールはただただかぶりを振るのだった。