小説
血路を開け乙女もどきの花
「マったク、アンタってやツはー」

 書斎方面からまたも声が上がり、ノアは再び身構える。カールがこんな性格だからもう何が出てきても驚きはしないが、万が一を考えて鞘を強く握りしめた。

(廊下で聞こえた声に似てる…?)

 そんな気もしたが、この声音はどこか語調がおかしく舌足らずだ。多分関係ない、と思いたい。

 視界を移した先にいたのは、石粉粘土で造ったと思われるマネキンだった。
 マネキン、と表現したのには理由がある。それは、人の形をギリギリ形作ってはいるが、誰か特定の人物の特徴を持っている訳ではなかったのだ。

 背丈は、ノアよりは高くカールよりはやや小柄だろうか。女性らしいなだらかな曲線を縁取っているが、服を着せられていないにも関わらず性的に興奮させる要素はない。

 唯一目を引いたのは、顔についている青紫色の双眸だ。先を見通せる程の透明度の高い宝石は、”掃き溜めに鶴”と言うべきか。ソレの価値が唯一そこにあるのだと強く主張しているかのようだ。

 球体関節を駆使してフラフラと歩いてくる姿は、状況次第ではなかなかに怖い光景と言えるだろう。
 しかし既にそれ以上の恐怖体験をしてしまったノアにとっては、この品質の低さは首を傾げるしかない。

「ええっと………そちら、は…?」
「………ターフェアイトだ」

 リーファからの問いかけに対し、カールはソレの頭を撫でてやりつつ不満そうに自身の師の名を答えた。

 ノア自身は大魔女ターフェアイトと接点があった訳ではないが、同僚のアハトからそれとなく話を聞いていた。
 下心丸出しでターフェアイトの魔術の個人レッスンに参加したアハトは、『目が合った瞬間、オレの童貞が盗まれた…気がした』と訳が分からない事を言っていたが、そう言わしめる程に蠱惑的な女性だったらしい。

「なんか、あっちの使い魔との格差がかなり酷いですね…。やっぱり、想像だけでは制作は限界があるんですか…?」

 亡き師の姿形だけでも使い魔という形で蘇らせたい───そう思う中、想像で制作を補うしかないという切実な現状に悩まされているのか、と思ったのだが。

「オレだって、ターフェアイト師に相応しい美しい使い魔を作ってあげたいんだ!
 習作した”リーファ”が満足行く形で完成して、この技術なら師匠を美しく再現させてあげられる!って思った!
 ………でも師匠が、『鼻はもっとつんと高く』とか『胸はもっと大きいしずく型で』とか無理難題ばかりを突き付けてきて、なかなかうんと言ってくれなくて…!」

 カールが咽び泣きながら指し示した先には、石粉粘土で作られた人形の素体が山となっていた。
 腕、胴、頭などの大まかなものから、耳や指などの細かなパーツも散らばっている。中にはかなり丁寧に造られた全身の素体もあったが、それすらも没になってしまったらしい。

 つまりこの使い魔ターフェアイトは、肉付けをする前の大元の姿なのだろう。

「師匠の言う事を真に受けたらダメですよ。どうせ師匠だって、あの格好が本当の姿だったはずがないんですから。この辺を適当に使って、胸はとりあえず盛れるだけ盛っておけば黙るでしょう」

 同じターフェアイトの弟子だというのに、リーファは師の扱いが辛辣だ。素体の山の前に腰を下ろし、胸と思われる無駄に膨らみの大きいパーツを嫌そうに摘まんでいる。

「その適当が問題なんだ………最後の弟子として、オレには師匠の偉大さと美しさを忠実に後世まで伝えて行く義務があるんだ…!」

 敬愛する師を小馬鹿にされても、カールは特に腹を立てたりはしていないようだ。リーファの隣にしゃがみ込み、腹部と思われるパーツの滑らかな曲線を愛おしげに撫でている。

 そんなカールを───正確には、カールの首辺りを───、リーファは睨みつけるようにして目を細めて見ていた。普段の穏やかな彼女からしたら、ちょっと珍しい表情だ。

「………忠実に再現したいのなら、晩年のしわくちゃ師匠ならよく覚えてますけど………」
「…ああ。『リーファへの質問は一切禁止』と言われてしまってな…」
「………はあ。結局、自分好みの体を『大魔女ターフェアイトだ』って言い張りたいだけなんですね………」

 肩を落としたリーファのぼやきには、カールの性的嗜好への呆れと、亡き師の我が儘に対する嫌味両方が込められているような気がした。

(………ちょっと、羨ましいかもな………)

 大魔女の弟子達の背中を眺めながら、ノアは彼らの内にある熱意というものに憧憬の念を抱いていた。

 カールにとっては魔術とターフェアイトが、リーファにとってはアランがそれにあたるだろうか。

 時には倫理すら無視して。時には自身すら犠牲にして。
 尊ぶものに対して誠実であろうとする気持ちは、彼らの側にいれば自然と伝わってくるものだ。

 そうした存在との出会いがまだないノアにとっては、彼らの在り方は少し眩しい。だからこそ、憧れてしまうものなのだが。

「せめて疑似人格の成長を促したくて、墓から遺髪でも…と思ったんだがな。それは師匠から猛反対されてしまったし…!」
「あ、当たり前ですよっ!」
「マったク、アンタってやツはー」

 リーファからは怒られ、使い魔からはベシンと頭を叩かれたカールは、叩かれた痛み以上に落ち込んでいるように見えた。

(───いや、あれは羨ましく思ったら駄目なやつだ…!)

 ノアは早々に思い直し、彼らから目を逸らしたのだった。