小説
血路を開け乙女もどきの花
 隠れ家の存在、使い魔の研究、更には性的趣向までもがバレてしまい、多少へこんだ様子を見せたカールだったが、どうにか落ち着きを取り戻すと書斎スペースへと案内してくれた。

「側女殿はそっちの椅子に座ってくれ。アーネル一等兵…だったか?はクッションでいいな。オレはベッドに座る」
「すみません」
「ありがとうございます」

 招かれた空間は、書斎と言うよりは寝室と表現するのが正しいのかもしれない。自分で考えて整地した訳ではないからか、空間を持て余している印象を受ける。

 中央の突き当りには机とキャビネット、そして少し離れてベッドが置かれている。家具の造りはノアが兵士宿舎で使っているものと同じなので、改築時に余分に作っておいて運んだのだろう。

 キャビネットの隣には本棚が置かれているが、書籍はそう多くはないようだ。代わりに、研究内容を認めたと思われるノートが棚の多くを占めていた。

 足元には、大分使い古した感があるベージュ色の薄手の絨毯が広がっていた。ベッドがある事だし、寛ぐ為に敷いているという訳ではないのだろう。使い魔のパーツを作る為の作業場、といった所だろうか。

 机が面した壁の上の方には、ガラス製と思われる板が十台程かけられていた。ぱっと見は、演習場の訓練風景を視聴出来る視聴板に似ている。今は何も映っていないが、これも操作すれば何かが見えるのかもしれない。

(ちょっと、いいな)

 誰の目を気にする事なく、作業に没頭する事も、訓練に明け暮れる事も、思う存分寛ぐ事も出来る場所がここにある───そう思うと、ノアの心がちょっとだけ疼いた。王家の脱出路を秘密基地として使っていた頃を、つい思い出してしまう。

「あ、この本…!」

 カールに椅子へと促されたリーファは、机に置かれた一冊の本に目を丸くしていた。

 リーファが指で撫でているその本は、紺青色の古めかしい風合いが感じられる表紙をしていた。背には金文字でフェミプス語が刻まれていたが、ノアからはよく読み取れない。

「カールさんが、”禁書庫の幽霊さん”…だったんですね?」

 ノアには分からない呼称だったが、カールには何の事かピンと来たらしい。リーファの為に椅子を引いた彼は、口の端を不敵に吊り上げ目尻を下げている。

「ふん、ようやく気付いたか。側女殿も案外鈍いな」
「手紙の字がとても綺麗でしたから、女性だとばかり思い込んでいました。
 ………どうしてあの時、名乗り上げてくれなかったんですか?」
「あの頃は、ここまで深く関わろうとは思わなかったからな。オレの家はギースベルト派だし、あまり手の内は見せなくなかったんだ」
「………そういえばヘルムート様が、カールさんの家名を気にしてましたね。そういう事だったんですね…」

 得心が行った様子で、リーファは頷いていた。リーファは気付いていなかったようだが、どうやら二人は大魔女ターフェアイトが来る前から少なからず接点があったようだ。

 椅子に座ったリーファがしばらく本をめくっていると、ページの間に挟まっていた栞に目を留めた。コスモスやカスミソウで白い台紙を彩ったそれを手に取り、嬉しそうに目を細めている。

「私が作った栞だ………懐かしいなぁ………。
 あ、れ?じゃあ、私にくれたあの押し花の栞も、カールさんが作って…?」

 リーファの疑問に、カールは、ぎくり、と体を震わせた。彼は一時の間手をばたつかせて言い訳を練る素振りを見せたが、隠し事は出来ないと悟ったか、やがてばつが悪そうに頭を掻いた。

「…あ、あんなもの初めて作ったからな。ひどいものだっただろう?」
「そんな事ないですよ。しっかり出来ていたのでとても重宝してるんです。今も、読んでいる途中の本に差してて───あ」
「どうした?───あ」

 ふたりして思い当たった事を、ノアも気付いていた。
 先の襲撃で、側女の部屋は爆弾の被害に遭っているのだ。さすがに被害状況までは分からないが、城全体を揺るがす威力だ。本ならば跡形もなく吹き飛んでいてもおかしくはない。

「部屋、壊されてしまいましたね………一応家具には保護魔術はかけてきましたけど、爆発は考えてませんでしたし………残ってるかな…」

 誰の贈り物なのかは分からずとも、大切に使っていたのだろう。リーファは肩を落とし、目に見えてしょんぼりしていた。

 元より静かな場所ではあったが、リーファの消沈はこの場をより沈黙へ落として行く。キッチンでは使い魔が支度を進めているはずだが、距離があるからかそれすらも耳には届いて来ない。

「………あんなものでいいなら、また作ろう」

 カールが発した細やかな慰めは、そんな静謐な場に波紋が広げるように、しっとりと耳朶に響いて行った。

「…ありがとうございます、カールさん」

 リーファの落ち込みは、表情以上に塞ぎこむようなものではなかったのかもしれない。耳まで真っ赤にしたカールの横顔を驚いた様子で見ていたリーファは、不意に顔を綻ばせた。

(…なんかすごい良い雰囲気なのに、これで本当に好意向けてないとか意味分からない…)

 二人だけの世界になり始めている中、クッションを敷いて絨毯の上に座ったノアは、居た堪れない気持ちで首を傾げた。

(それに、こんなに落ち着いてていいのかな…)

 緊急事態なのはノアも十分承知している。
 だが彼らの、友人でもない、恋人でもない、それでいてどこか近しい間柄が醸し出すこの穏やかな雰囲気は、何人も侵してはいけないような気がするから不思議だ。

 ───ベチンッ

「マったク、アンタってやツはー」

 しかし勇者は空気を読まずに現れた。使い魔ターフェアイトだった。
 人形の使い魔は、体を捻りつつスイングした腕をカールの背中へ当て、場の雰囲気を見事にぶち壊してみせたのだ。

「マったク、アンタってやツはー」

 その言葉しか学習していないのか、体を独楽のように回転させて腕をカールに当て続ける使い魔は、自分を蔑ろにする主を詰っているようにも見える。

「い、いたっ。わ、悪かったよ!そんな事よりも、城内の確認が先だと言いたいんだな。さすがはターフェアイトだ!」

 カールは逃げるようにリーファから離れて行って、キャビネットの引き出しから手のひら大の石の板を取り出した。ベッドに腰を下ろし、板に指を這わせる。

 恐らく魔力を流しているのだろう。カールが触れた板がほのかに青白く光ったかと思えば、壁に張り付いているガラス板が一斉に光を帯びて行く。

「ここは”ラフ・フォ・エノトス”を介して、城内の状況を視聴板に映す事が出来るようになっているんだ。
 師匠は”監視カメラ”…とか言っていたか。夜間は見づらいが、大体の場所は見られるようにしてあるから多少は参考になるだろう」

 そうして視聴板に次々と映し出されていった光景は、ノア自身の目を疑うものだった。

 本城の其処此処で上がる噴煙。
 小火が広がり始めている西の庭園。
 倒れ伏して血だまりと思われる黒い液体を床に広げている兵士。
 黒ずくめに剣を突き付けられ拘束されていくメイド達。

 ノアの肌が粟立つ。襲撃自体は想定していたが、黒ずくめ達がしている事は兇賊の侵略と何ら変わらない。
 これでは仮にアロイスが王に成り代わったとしても、城としての機能の立て直しに相当な時間がかかってしまうだろう。言うまでもなく、現王派や中立派の反発は必至だ。

「なんて、ひどいことを…っ!」
「人が溜まっている場所は監禁で留めているが、当直の巡回兵や衛兵はほぼ無力化させられたか………先の事を、考えているのか…?」

 ここまでの状況はさすがのカールも考えていなかったのだろう。目の前の惨状に険しい顔をしていた。