小説
対なる者との邂逅
 魔王城の廊下は、非常に迷いやすい構造になっている。
 道、絨毯、柱、前後左右どこを見ても似たような道が続いている。城は13階、地下は59階の全72層から成っており、おまけに離れに塔まであったりする。
 侵入者を混乱させる事に一役買っているとは言え、時には魔物すら迷う事がある為、ここの警護を務める者はまず、食堂・自室・詰め所・警護する場所だけを頭に叩き込むのだとか。
「う〜〜〜〜〜〜ん」
 40枚弱のちょっとした冊子になっている地図を見ながら、眉間にシワを寄せるリャナ。魔王のいる謁見の間は10階にあり、今見ている地図も10階も地図なのだが…辺りを見回しても自分の知っている10階の風景が見当たらない。
 となると、ここは別の階だと思われるのだが…ここがどこの階なのか、見当もつかない。
 要は、迷っているのだ。
「む、む、む」
 ついに廊下に地図を広がして、寝そべりながら考え始めた。
「そ、そこにある左のガーゴイルの像はフェイクだったのよね。そこから3つ目の柱のすぐ横に扉があってー、右側の4つ目の柱で十字路になってるのよね。だからここを左に曲がるとちょっと先に、謁見の間の扉が見えて、来る、はずなんだけど…」
 言いながら地図を引きずり、十字路の左の廊下を見るが…その先は見通せない程長い廊下だ。扉などどこにもない。
「えええええ」
 しゃがみこんで地図を間近で見ようとも、地図が自分の居場所を教えてくれるわけではない。
 時々魔物が警備に顔を出す事もあるが、『道に迷いましたここどこですか』と言うのも気が引けた。魔王城は魔物の数も結構多く、人間が見慣れているリャナにとって彼らはとても見分けがつきにくい。道を教えて貰っても、次回会った時にお礼を言える自信がないというのは、ちょっとプレッシャーだ。
 道を聞くのは最終手段と諦める。別に急いで謁見の間に行く必要も今の所はない。地図を閉じ、散歩も兼ねてリャナはサキュバスの皮翼を広げた。
 魔王城の廊下と行っても、魔物がひしめきあっているという事はない。勇者が来ればそういう状況にもなるが、それ以外の時は事務仕事やら訓練やら警備やらに当たっている。魔物だって、休憩中は自室でまったりしているし、夜になれば寝入ってしまう。人間と変わらないのだ。
 そんな事を考えていると、紫色の鱗を持つ大柄なドラゴニュートが声をかけてきた。警備をしているらしい。首にぶら下げているネックレスのプレートに『ディートヘルム』と書かれている。名前だろうか。
「リャナ姫、ご機嫌麗しゅう」
「こんにちわー。あ、姫って言ったらダメなんですよ」
「これは失礼しました。お嬢、とお呼びしたらよろしいですか?」
「そうそう、それです」
 丁寧な口調で笑いかけるドラゴニュートに、笑顔で返すリャナ。
「では次回からそのように。私はディートヘルム。どうぞディートとお呼び下さい」
「分かりました。ディートさん」
「それと、敬語は不要ですよ?名も、どうぞディートと」
「じゃあ、あたしも、リャナって呼んで下さい…じゃなくて、ね?」
「ふふ、善処致しましょう。まあ残念な事に、お会いする機会はあまりないかも知れませんが」
「?…そう?」
「私はこの階の警備に配属されてますからね。都市整備とか、農産とか、ここらの部署はあまり縁がないでしょう?」
「農産…村にいた時、畑くらいは手伝った事はあるけど………あ」
「あ?」
 ふと気がついた事を思い出して声を上げてしまうが、リャナは慌てて取り繕った。
「い、いや何でも。都市整備って言うけど、どんな事をするの?」
「私も詳しい事は知りませんが…人間の町ほどではありませんが、我々魔物だけの町もありますからね。その都市の絡みなのでしょう」
「へー、あたしも行ってみたいなぁ」
「ならば魔王陛下に相談なさいませ。きっと色よい返事を頂けますよ。今なら謁見の間にいらっしゃるのでは?」
「そうね。早速相談してみようかな」
「それでは私はこれで」
「ありがとう、ディート」
 丁寧に頭を下げ、ディートヘルムがリャナから離れて行く。リャナは彼の背中に手を振る。
 彼が廊下を曲がって姿が見えなくなったのを見計らって、リャナはすぐ地図を開いた。ページを上の方からめくっていく。
(都市整備、農産…確かどこかに書いて……………………………あった!)
 見つかった地図を見ると、階は11階となっていた。謁見の間の上の階だ。
「はー…」
 大きくため息が漏れる。道理で道が分からない訳だ。今立っているこの長い廊下も、11階の地図を見れば場所が大体分かる。下階への階段は進行方向の逆にあるらしい。
 そして、はっと気づいた。縁の無い部署のある廊下でうろうろしているサキュバスが1匹いたら、警備していればさすがに目に留まるだろう。
 ディートヘルムはリャナが迷っているのを知っていて、ヒントだけ出して去っていったのだ。
「あーーーーー…」
 真っ赤になりながらその場でしゃがみこんだ。ああ恥ずかしい。
 だが、ここで立ち止まってたらまた不審がられる。奥へ引っ込んだディートヘルムに気づかれないよう、十字路を通り抜け階段に行こう。そう考え、リャナは忍び足で歩き出した。
 十字路の側に立ち止まり、前後左右見回してディートヘルム以外誰もいない事を確認。息を止め、一歩先へ踏み出そうとした。その時。
「そこの者達、何をしている!」
「ひぐっ?!」
 いきなり声をかけられ、リャナの喉から変な声が上がった。
 ばくばくしている胸を押さえて息を整え、改めて周囲を見回すが誰もいない。
 ディートヘルムの行った廊下を恐る恐る覗くと…どうやら彼が、リャナ以外の別の者に対して発したらしい。彼の目の前には紺碧の甲冑の男性が、その頭上には空色の甲冑の女性がいた。
 人間と言っていいか、正直判断がつきかねた。ここが魔王城という場所だから、というものあるが、彼らはそれ以前に異質でもあった。特に女性の方は、姿形は人間のように見えるが上半身だけが見えていて下半身は天井に埋もれている。死霊の類かと一瞬思ったが、死霊は彼らのように鮮明には見えないし感情らしい感情も見られない。
 廊下にいた男性がディートヘルムに槍を突きつけられていると、女性の方が不満そうに、だが風に舞う帽子のように軽やかに廊下に降りてきた。
「だからこんな城の入り方は嫌だって言ったのに…」
「いや、謁見の予定は取り付けてあるんだ。後は陛下にお会いすればいいだろう?」
「普通こういうのって、受付に行って…とか、手順があるんじゃないの?」
「ラダマス様の所は直接行っただろう?あの方は何も言わなかったぞ?」
「それ常識にしたらどうかと思うんだけど…あー、ええとですね。私達、魔王様に謁見しに来たんですけど…」
「今日の謁見はないと聞いているが?」
 ディートヘルムの威圧を込めた返事に、女性が身をすくめて後ずさりする。男性は呑気に顎に手を置いているだけだ。
「…おかしいなあ」
「お、おかしいなあじゃないでしょ!これ普通に不法侵入だと思うんだけど?!わ、私達もう帰りますから、どうぞ気にしないで下さいね」
「そうはいかない。ちょっと詰め所まで来てもらおうか」
 愛想良く笑って逃げようとする女性を、ディートヘルムは持っていた槍を彼女の首下まで突きつけた。
「う…」
「待ってー」
 いても立ってもいられず、リャナは飛び出して3人の間に割って入った。ぎょっとして槍を引っ込めるディートヘルム。
「お嬢?!どうされたのですか!」
「謁見に来たなら謁見許可証持ってるよね。それ見せて!」
「こ、こんな怪しい奴らの言う事を聞いては…!」
「いーから!」
「と、父さん。早く見せて!」
「ん、あ、ああ。こ、これかな?」
 女性に促され、男性が懐から慌てて書状を出す。リャナはそれを引ったくり、文章を見始めた。
 名前はエセルバートと書かれていた。恐らくこの男性の名前なのだろう。謁見に関する必要事項が流暢な字で書かれた最後に、子供の落書きのようなサインが入っている。
 しばらくして、リャナが大きくため息を吐いた。
「やっぱり…」
「な、何か?」
「これあたしが承認したヤツなの…」
「え、ええ?!」
 素っ頓狂な声を女性が上げる。
「あ、あなたが魔王様なんですか?!」
「そうとは知らず…ご無礼を致しました」
 余計な誤解を生んだらしい。リャナはあわあわしながら手を振った。
「あ、いや。違うの。
 あたし、魔王様に養女にしてもらってるんですけど、少し前、魔王様の書類の手伝いをした事があって。
 今日外出の予定が入ってるのを知らなくって、謁見の許可にサインしちゃったのがあったんです。午前中もそれで来た人がいたらしくって、揉めちゃって。
 …まあ、今日の予定はキャンセルになったから、謁見は出来ると思うんだけど…その、ごめんなさい」
 しゅん、と小さくなって頭を下げたリャナ。3人はリャナを囲むようにして沈黙している。
 その静けさに居た堪れなくなりそうになった頃、女性が口を開いてくれる。
「ま、まあそういう事って、よくありますよね」
「ま、間違いは誰にでもあることです。お嬢、あまり気になさらずに」
「…そうかなあ。年端もいかない子供に大事な仕事を任せるなんてぶっ」
 男性が反対意見を述べようとしたところ、女性の平手が男性の唇を思いっきり叩いた。
「父さんは黙ってて」
「むぐむぐ」
 何か言いたそうな男性だが、女性が睨みつけると諦めたように黙り込んだ。
 ディートヘルムは一つため息を吐いて、構えていた槍を背中に収めた。
「…そういう事であれば、仕方がありませんね。
 彼らが入り口から入って来なかったのは問題ですが…今から下階の受付に向かったのなら更に時間もかかりましょう。ここからなら直接謁見の間へ赴いた方が早い」
「うん、あたしが魔王様に取り次いだらいいんだよね」
「はい。お嬢が魔王陛下にお取次ぎなされば、無碍にもなさいませんでしょう」
「頑張りますっ」
 気合を込めて鼻息荒く応えたら、ディートヘルムはちょっぴり笑ったような気がした。
「…それではお客人、謁見の間にご案内致しましょう。どうぞこちらに」
 そう言って、ディートヘルムは男女とリャナを誘導し始めた。2人はディートヘルムについて行く。
 リャナは彼らの行く道を眺めて足を止めた。
「…あれ?」
「お嬢、どうしましたか?」
「あ、うん。ええと…なんでもないです。えへへ」
 ディートヘルムの問いに、渇いた笑いで誤魔化して持っていた地図をさっと隠す。また地図を見間違えてしまった事だけは悟られたくない。
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