小説
対なる者との邂逅
 魔王城の10階。
 先程いた11階と内装はあまり変わらないが、配置が微妙に変わっている。リャナもよく見慣れた光景が広がっていて、少しだけ気が休まる。
 ディートヘルムの先導で謁見の間へ向かいながら、リャナは女性に話しかけた。
「あたしリャナ。お姉さんのお名前は何て言うの?」
「私はリーファと申します。リャナ姫様」
 そう言って彼女はにこりと笑う。
 甲冑に身を包んでいるが、体のラインを見る限りグラマラスな肢体をしている。頭には空色の額当てと白い羽飾りをつけていて、いかにも戦士という風体だが帯剣はしていない。腰まで伸びた橙の髪と、瑪瑙色の瞳は甲冑の色に良く映えている。リャナの目からみても十分過ぎるほどの美女だ。
「姫様なんてつけなくていいの。あたし別にパパ…魔王様の養女ってだけで、お姫様じゃないし。それに語呂悪いし」
「ふふ、語呂は大事ですよね」
「そう、語呂は大事なのよ。だから、皆には呼び捨てか、お嬢、って呼ばせてるの」
「さん付けはどうですか?」
「他人行儀っぽくって、嫌」
「う、うん…分かりました。頑張って呼び捨てで呼べるように頑張ります」
 ちょっと困ったように微笑んだリーファに、リャナもにっこり笑い返した。
「はい、頑張って下さい。
 …ところでリーファさんは何ていう種族なの?死霊系かなって思ったんだけど」
「ええ、似たようなものですよ。グリムリーパーという種族なんです」
「ぐり、む…?」
「死神、っていう呼び方の方が分かりやすいですかね」
「死神!それなら分かる!生き物の魂を取っちゃう種族ね。
 …じゃあお姉さんも人の魂を刈り取るの?」
「ちょっと違います。グリムリーパーは、死んだ人の魂を、あるべき場所へ送る種族なんですよ」
「あるべきって?」
「私も詳しくは知らないんですけど、ちゃんと送ってあげないと魂達が集まって悪さをしてしまうんですよ」
 リーファの言葉に、リャナは小首を傾げた。
 ムアトの村にいた頃に聞いた御伽噺では、死神は夜に徘徊して人間に死の宣告をし、宣言どおりに魂を刈り取る魔物という位置付けになっていた。
 だが、彼女の物言いからすると、人間に対してそれほど敵対する立場にある魔物という訳でもないようだ。
 人間の存在がないと生きていけない魔物、というのは意外と多いので、グリムリーパーという種もそういう類の者達なのかもしれない。また1つ、調べる事が増えた。
「…何か、魔物っぽくないよね。人間にも魔物にも必要な種族な感じがするっていうか」
「そうですね。私達にとって、人間も魔物も、同じ魂を持つ生き物でしかありませんからね。中立の立場という感じですかね。
 そもそも、魔物と人間の線引きって結構いい加減なんですよね」
「それもそうだよね。あたしみたいに、魔物と人間のハーフだっているし」
「リャナ様…じゃなくて、リャナも、なんですか?」
「も?」
「私もグリムリーパーと人間のハーフなんですよ。今日は家に置いてきてますけど、人間の体も持っているんです」
「へー、そうなんだ!じゃあ今は離脱してる状態なんだね。リーファさん、すごい!」
「…すごい、ですか?」
「離脱って、結構難しい技術だって聞いたよ。体から精神を切り離すと、形状を維持するのが難しいとかって。
 あたしも、サキュバスと人間に見た目を変える、変異、っていう術は使えるんだけど、これは人間の体をベースにしてるからそんなに難しくはないんだって」
「でも、リャナの年齢でそれが出来るっていうのはとてもすごいと思いますよ。
 私は最近グリムリーパーの修業を始めたばかりで、まだ術とか全然覚えれていませんから」
「そ、そうかな。えへへ」
 何だか恥ずかしくなって、リャナが照れくさそうに頭を掻く。
「私達、何だか名前がちょっと似てますね」
「そうだね。あたしは、リャナンシーっていう妖精から名前を取ったんだって。
 何か、英雄とか有名な人の名前から文字を借りると、その人の才能にあかやれる…あれ?」
「あやかれる?」
「そうそうそれ。…になるらしくって。
 でも、美人だからって、取り付いた人を早死にさせるような妖精からあかやる…じゃなくてあやかるのはどうかと思うの」
「美人な妖精の名前がついてるだけまだいいんじゃないですか?
 私なんて、グリムリーパーのリーパーからもじったらしくって。もうちょっと可愛い理由があると思ってたのに、残念です」
「もうちょっと考えて名前つけて欲しいよねー」
「本当ですねえ」
「…何だか、胸がちくちくするなあ」
「子供は皆、ああして名前に対して文句がつくものなのですよ」
 リャナとリーファのやりとりを、先に歩いていたエセルバートとディートヘルムが話し合っている。
 そうこうしている内に、目の前に大きな扉が見えてきた。扉の側にはベヒモスが仁王立ちしていて、周囲に殺気を撒き散らしている。
 と思っていると、リャナの姿を見つけたベヒモスからその殺気が霧散した。駆け寄ってきてリャナの前にひざまずき、今度は愛想の良い笑顔を振り撒く。
「やや!お嬢、お帰りですね!
 なかなか戻られないので、このホルスト、迷子になられたのかと心配しておりました!」
「ま、迷子になんてなってないもん!
 そ、そう、巡回に行ってたのです。いつ勇者が攻めてくるか分からないから、8階から11階をぐるーっと見回りしてたのです!」
「さすがはお嬢!なかなか勇者が侵入する事のないフロアにも目を向けるとは!このホルスト、感激ひとしおでございます!」
「でしょ?もっと褒めてもいいのよ」
「最近の剣術にも磨きがかかり、魔術もめきめき上達されていて、まさに向かうところ敵なしでございますな。もはや魔王様の右腕といっても過言ではありません!」
「そーよ、そーよ」
「…この茶番はいつ終わるのかな。リーファ」
「しーっ」
 エセルバートのさりげない突っ込みを、リーファが黙らせる。
「それでねホルストさん。あたしがちょっと前に間違って取り付けちゃった、謁見の予約の人が来ちゃったから、パパに会わせたいんだけど」
「なるほど、そういう事ですか。
 今陛下は政務中ですが、お嬢が戻られたなら喜んでお会いになりましょう。ささ、どうぞこちらへ」
 ホルストはそう言いながら、謁見の間の扉へと向かっていく。
 エセルバートとリーファが後を追う中、ディートヘルムがリャナに声をかけてきた。
「それではお嬢、私はこれで失礼致します」
「ありがとう、ディート。とても助かりました」
「また機会がありましたら、お声をおかけ下さい」
 礼儀正しく頭を下げ、ディートヘルムは廊下を戻っていく。自分の巡回フロアに行くのだろう。彼を見送って、リャナはホルストの後をついていく。
 ホルストは、扉のすぐ横にある壁のレバーに手をかけているところだった。力を込めてレバーを下げると、物々しい音を立てて扉が開かれる。
「失礼しまっす!」
 扉の前で敬礼をして、リャナは謁見の間に入る。
「「失礼します」」
 エセルバートとリーファも彼女に倣って間へと入ってきた。程無く、扉が閉まっていく。
 魔王は玉座に座り、足のないガラスのような透明なテーブルに書類をいっぱいに広げて事務仕事に追われているようだった。側には側近であるグレムリンのアズワが書類を抱えて立っている。
 仕事のキリがついたのか、アズワは小柄な体を更に小さくして頭を下げ、間を出て行こうとする。
「リャナ様、ごきげんよう」
「アズワ様、お仕事お疲れ様です」
 すれ違い様に頭を下げるアズワに返事をして、リャナ達は魔王の前に進んだ。
 魔王の前のテーブルは、その上に乗ってる書類や道具ごとくるくるっと丸まっていき、霧のように消えていく。
 書面に目を通して疲れたのか、魔王は首を何度か回して席を立つ。リャナのいる下段まで降りて、サキュバスの少女を軽く抱え上げた。
「ユーリヤの所に書類は届けたようだな。えらいえらい」
「お城の中なら自由に好きな所が見れるからって、覗き見は良くないよ、パパ」
「ん?そ、そうか?リャナの事が心配でついな」
 頬を膨らましてそう言ったリャナの心証が悪くなったと思ったか、魔王は少し困ったような顔をする。
「あのね、パパ。お客さんなんだけど…」
「ああ、話は大体聞いていた」
 リャナを床に降ろし、ひざまずき頭を下げていたエセルバートとリーファに声をかけた。
「2人とも、楽にして良いぞ。
 この度は私の不手際で混乱させて済まなかったな、エセルバート」
 促され、エセルバートとリーファは立ち上がる。にこやかな笑顔で、エセルバートが口を開いた。
「いえいえ。しかしいくら簡単な仕事であっても、そこそこ重要な書類を子供に任せてほったらかしはどうかと思いますな。ちょっと気が緩みすぎなのでは?魔王陛下」
 リーファも眉根をひそめる物言いに、魔王はたまらず苦笑いをした。
「お前は相変わらず言動がキツいな。もう少し言葉を選ばんと、仕事に差し支えるぞ」
「生まれて300年余り、特に仕事で困った事もありませんのでご心配には及ばないかと」
「…お前ももう少しラダマスに似れば良いのにな。……………それで、そちらのお嬢さんは?」
 話を振られたリーファは、緊張した面持ちで敬礼した。
「は、はい。わ、私リーファと申します。ち、父がその…いつも、ご迷惑をおかけしております」
「こらこらリーファ。私がいつ魔王陛下に迷惑をかけたって痛った!」
 リーファの鎧の靴底で思いっきり足を踏まれたエセルバートが、大げさに悲鳴を上げてうずくまった。
 そんな彼をちらっと見た魔王は、柔らかな笑みを浮かべてリーファに握手を求めた。少し恥ずかしそうに、その手を取るリーファ。
「そうか。噂には聞いていたが、人間とのハーフの女性グリムリーパーとはそなただったか。
 私は魔王。
 人間でもありグリムリーパーでもあるそなたの場合、何かと困る事もあるだろう。必要があればいつでも尋ねてくるといい」
「お心遣い痛み入ります。魔王陛下」
「そなたは母親に似たようだ。
 ───良くできた娘を持ったな。エセルバート」
 未だ痛そうに足を抱えているエセルバートが、ぼそりとぼやく。
「…父親の足を踏み砕く娘っていうのは、良く出来た娘なんでしょうかね…?」
「親の困った言動を注意できる子供って、良くできてると思うよ。おじさま」
 エセルバートのすぐ側で、リャナもしゃがみ込んでそう告げる。
 リーファは手を離し、魔王に恭しく頭を下げた。
「…この度、グリムリーパーの王ラダマス様より任じられ、グリムリーパーとして地元であるラッフレナンド城下に配属される事になりましたので、今日はそのご挨拶に。
 人間としても生活していますので、不慣れな事もあるかと思いますが、頑張って任を全うしたいと思います」
「うむ。
 ラッフレナンドは水源にも恵まれた鉱物の豊富な土地と聞いている。軍備の増強の為、出来れば領地を幾分か奪っておきたかったが。
 …ふむ。そなたが人間でいるうちは、領地侵攻は控えておいた方が良さそうだ」
「そ、そこまで気を遣って頂かなくても…。確かに、国が傾くと色々困る事もあるかもしれませんけど…っ」
「ああ、深く考えなくて良いのだ。軍備は重要だが、今は魔物全体の頭数を増やす事が優先だ、という話でな。
 先の暗黒年間では、魔物も人間も、あまりにも多くの命が散って行ってしまったからな。休息する期間は、どの道必要なのだ」
「…そう言って頂けると助かります。やっぱり、生まれ育った場所が戦火に呑まれる光景は、見たくありませんからね…」
「まあそれ以前に、あちらの軍勢に勝たねばどうしようもないのだがね。何でも、一騎当千の女傑がいるとか」
「…女性、ですか?さあ…兵士の人たちは男性ばかりだと思いますけど…?」
「ん?そうか…聞き違えたかな」
 ようやく痛みが楽になったのか、エセルバートがゆっくり立ち上がった。リーファを挟んで、魔王が声をかける。
「エセルバート、この後、用事はあるか?」
「いえ特には」
「では、1つ用事を頼まれてくれるか。…そうだな。出来れば、リーファ。そなたも一緒に」
「私…ですか?」
「グリムリーパーでなければ頼めない用事なのだよ」
 含みのある物言いに、エセルバートが怪訝な顔をする。
「それならマルセルがいるでしょう。我々ではなくとも」
「…面倒臭がって雲隠れしてしまってな」
「そこを何とかするのがぐふっ」
 何か余計な事を言いかけたエセルバートの土手っ腹を、リーファの拳がめりこんだ。
 再びレッドカーペットの上に沈んだエセルバートを尻目に、リーファが愛想を浮かべて魔王の方を振り向いた。
「喜んでお引き受けします。魔王陛下」
「そう言ってくれると助かる。それでは、行こうか」
「どちらに行くんですか?」
「この魔王城の南に、ムアトという村があってな」
 自分の故郷の村の名前が不意に出て、すっかり蚊帳の外だったリャナが顔を上げた。
 魔王もまた、優しい顔でリャナを見下ろし、手を差し伸べてくる。
「リャナ、そなたにも知っておいて貰いたい事がある。───おいで」
「は…はい」
 ここに来て何をするのだろうか。不安と期待入り混じった顔で、リャナはその手を取った。
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