小説
天空の貴人
 魔王城、謁見の間。
 昼の頃はとうに越え、そろそろ休憩の時間かという頃になって、予定はしていなかったが予想はしていた者が大仰な扉を開けて飛び込んできた。
「呼ばれて飛び出ていざ参上!リャナ、ただいま推参しました!」
 元気いっぱいポーズを決めて現れた義娘に、魔王は顔をほころばせた。
「ははは、リャナ。今日はいつになく上機嫌ではないか」
「お勉強中にパパから直々の呼び出しって滅多にないし。久々におつかいに行ってもいいのかなって」
 ちょいちょいと手招くと、リャナがてくてくと歩いてきて、魔王の膝の上に座ってきた。頭を撫でてやると、にへら、とリャナが笑う。
「おつかいではないが、魔王の側付きとしてついてきてほしいものでね」
 側付き、という言葉に、リャナの目がキラキラと輝いた。
「おお!ついにあたしも社交界でびゅー?!」
「残念ながらパーティーとかの社交界ではないが…だが魔王として、避けては通れない重要な仕事なのだよ」
「パパがそこまで言うのって相当ね。…それでお仕事って?」
「来週、とある御仁の元へ行くのだ。
 …数年単位で世界中の空を移動している島、というのは知ってるかな?」
 知っているかどうかはその目を見て分かった。どうやら初めて聞く話らしい。
「何それカッコいい!天空のお城みたいな?!」
「まあ、ざっくり言ってそうなる。城、というより規模の大きい屋敷に近いかな」
「おおおお…!」
 興奮しっぱなしのリャナを見下ろして、魔王は続ける。
「その城には一人の魔族が住んでいてね。
 年齢は数千歳、数万歳とも言われているが定かではない。
 誰もそれだけの年齢を生きた者がいないからな。おそらくは史上最高齢、という話だ。
 魔王の軍に属していない自由人ではあるが、とても強大な力を持つ貴人として、代々の魔王は敬意を表している」
 魔王の言葉の使い方が気になったのか、おずおずと、リャナが訪ねてきた。
「魔王のパパが敬ってるって…その人、もしかしてパパより強い?」
「ああ、恐らく一瞬で滅されるだろう」
 何の躊躇いもなく即答した事で、リャナの身が強張った。
 最近のリャナは勉強に武術に精を出していて、それに伴ってある程度強い者がどういうものか、というものも理解するようになってきた。
 せっつかれて稽古をつけているが、時々やってみせる魔王の全力の3割を機敏に感じ取るようになってきていて、実力差に足をすくませる事も増えた。
 それは正しい事だ。相対するものとの差を理解しないのは愚かでしかない。
 かつて魔王城へ忍び込み、無策で単身魔王に刃を向けた頃の事を思えば、この怯みは確実に成長してきているという証拠だ。
 その魔王の3割の力に震えるリャナが、魔王が全力を出しても一瞬で殺される相手のもとへ行く。ぞっとしない方がおかしい。
 少し脅かしすぎたかと、魔王は小柄なその背中をいたわる様に撫でてあげる。
「すまない。脅かすつもりはなかったのだ。
 先代の魔王が件の御仁のもとへ行って、何をしたのかズタボロになって帰ってきた、という話を聞いた事があったものだから」
「…先代魔王様の話ってよく聞くけど…なんか、結構怒りっぽい人?」
「悪い方ではなかったのだがなあ。浮き沈みが激しいというか。気が短いというか。
 …うむ、話を戻そう。
 その島は数年単位で世界を巡回しているのだが、航路の障害になりそうな物は容赦なく破砕していく。
 計画中の工事の妨げになっても厄介だからね。
 この為今後の進路について、魔王自らが相談をしに行く事にしているのだ」
「他の人じゃだめなの?」
「ダメらしい。
 どうやらかつての魔王のどなたかと知己らしくてね。
 その魔王と勘違いしてるらしく、魔王の地位にある者でないと会話にすら応じてくれないとか」
 最初に喜んで、途中で身をすくめて、次は微妙な面持ちをしている。話している内容が内容だから、仕方がないのだが。
「…あのぅパパ、その人もしかして…ぼけてるんじゃ」
「見てくれはそうは見えないのだが…そうだな。大分進行しているようだ」
「うわあ」
 今度は別の意味で顔を青くした。
「前回打ち合わせに行った際、件の魔王に娘がいるという話が出てね。
 たまには君の娘ともお茶をしたいものだ、と。次に来るときは連れて来てね、と言われたのだよ。
 適当な言い訳をして無視する事も恐らくできるだろうが、可能なら波風は立てないようにしたい。
 それでリャナにはその魔王の娘として、同席してほしいのだよ」
 そこまでざっと説明をしてみせて、リャナは顎に手を当てて少し考え込んだ。
「…来週は出かける用事があるわけじゃないし、別にいいけど。………ねえパパ」
「なんだい?」
「もしかしてパパって、そういうのを見越してあたしの事養女にしたの?」
「え」
 一瞬流れる沈黙。
 答えに窮しているうちに、リャナが続ける。
「ほら、パパってば魔王業ばっかりで女の子と話してるところ見た事ないし。
 男の子が好きってわけじゃないのは分かったけど、でもなーんか女の子を避けてるっていうか。
 お仕事の為に、女の子避けも兼ねてあたしを養女にしたのかなって。
 なんか、言い訳になる、らしいし?
 でも、パパの事好きって言ってる女の子結構いっぱいいるよ?
 お願いすれば聞いてくれると思うんだ。今回の事も、別にあたしじゃなくてもいいんじゃないかなって」
 心配そうに覗き込んでくる義娘を見下ろし、魔王の口元が引きつった。軽くショックを受ける。
(そんな風に、見えていたのか…!)
 確かにリャナを引き取ったのは、前回の打ち合わせの後だったが、それと養子の事は何ら関係がない。
 リャナの両親───先に逝ってしまった旧友のストラとアリシア───が娘の身を案じる事がないよう、つまりは旧友を想っての事だ。
 まあ、生前貰っていた近況の手紙に思いをはせて、娘って良いものだなあと思わなかったと言えば嘘にはなるし、可愛い養女を人に見せびらかしたいとかもちろん思ったが。
 気持ちが伝わっていない、というよりは誰かに吹き込まれたのだろう。
 発言の発端が誰か分かりかけてきて、魔王は頭が痛くなった気がした。こめかみに手を当てて否定する。
「い、いやいやいや。それはさすがに。
 もちろんリャナの養子話がなければ、代役を立てるつもりだったさ。
 き、聞いた話、件の魔王の娘はかなりのじゃじゃ馬というから、リャナがうってつけだと思ったまでで」
「じゃじゃ馬!」
 その単語に、リャナは素早く反応した。
 ぴょん、と魔王の膝の上から飛び降りて、レッドカーペットの上でクルクル回って見せる。
「うんうん、じゃじゃ馬じゃ仕方ないよねぇ。
 ミルッカはおべっか使ってすましちゃうしー、リリス様じゃきっとじゃじゃ馬役は務まらないと思うしー。
 うん、あたし、じゃじゃ馬!パパまっかせて!あたし頑張ってじゃじゃ馬してみせるから!!」
 すっかり機嫌を良くしたリャナを眺めて、魔王はほっとした。上手く話は逸らせたようだ。
「自覚があるのが良いのか悪いのか…。まあいいか。では決まりだな。
 打ち合わせは来週だ。粗相のないよう、今のうちに身支度は整えておきなさい」
「はーい。何着ていこうかなー」
 鼻歌混じりに皮翼を広げ、リャナは謁見の間を出ていった。
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