小説
天空の貴人
 1週間後。
 リャナはどこへ行くとは聞かされていなかったのだが、その理由はすぐに判明した。
 目の前。頭上。魔王城のすぐ上を巨大な土の塊が蠢いている。
 土の塊は幅だけなら魔王城をすっぽり覆うくらいはあるのだろうか。いびつなボウルのような半円状の土塊から、時折土埃が落ちてくる。 
 さすがにここからでは、上面にある屋敷の外観までは分からない。
 魔王城最上階。城の上部をまるまる利用した闘技場中央は、今魔王とリャナの出立の場所になっていた。
 仕事があるだろうから多くはないが、休憩がてらその様子を覗きにきたギャラリーがちらほら見られる。
「リャナ、おいで」
 闘技場中央に待機させた翼竜の腹に乗っている魔王が、リャナに声をかける。
 背中の大きく開いたスカート丈の短い黒いドレスを身にまとったリャナも皮翼をはためかせ、魔王のすぐ前に着地。翼竜の腹にまたがる。
 腰に帯びた細身の長剣を気にして撫でていると、魔王が声をかける。
「今日は剣はいらないと思うのだがね」
「いざという時があるかもだし。あたししかいないんだからあたしがパパを守らなきゃ」
「───」
 鼻息荒くそう訴えると、目を左手で覆い隠し、右手でリャナの頭をなでなでする魔王。顔から感情は読み取れないが、リャナの目にはピンクのもやっとしたものが噴出している。喜ばせる事に成功したようだ。
 少しして気持ちが落ち着いたのか、魔王が眼下にいる配下に声をかける。
「───で、では皆の者。後の事は任せた」
「お気を付けていってらっしゃいませ」
 見送りにきていたアズワが、微笑ましそうな表情で恭しく頭を下げる。
 魔王がその腹を軽く蹴ると、首長翼竜は大きな皮翼をはためかせその場を飛び立つ。
 翼竜は垂直に上昇し、ある程度の高さまで上がったら旋回しながら土の塊を目指す。
「もし自分の翼で飛んだらどうなるかなー?」
「やめておきなさい。あの島には自動迎撃システムがある。
 下手に近づけばあっという間に蜂の巣になるのが関の山だ。
 魔王の、私の側にいるから何もされずにいる」
「だよね」
 そんな会話をしていると、視界に島の上面が見えてくる。
「わあ…!」
 リャナは思わず歓喜の声を上げた。
 最初に目に留まったのは島の8割を占めるであろう森林だ。地形自体は平たく、起伏はほぼない。水場がいくつか点在して、穏やかな風情を感じさせる。人はいないようだが、ウサギや鳥など小動物のようなものが時折見える。
 中央には人工物が見えた。白を基調とした、青い屋根の屋敷だ。
 建物大きく分けて2つ。まず中央に円柱状の建物がそびえ立っており、壁面に輝くガラス模様が一際目を惹いた。
 その建物を囲うよう、"コ"の字状の2階建ての瀟洒な建物が建てられており、建物同士を繋ぐように渡り廊下が伸びている、という具合だ。
 建物同士の隙間と手前には庭園が広がっているが、周囲の森林との垣根はなく、領地としての境界は曖昧だ。
「ここにその貴人さんは一人でいるの?」
「そのようだ。以前来た時は、身の回りの世話は機械仕掛けの人形達にやらせていた」
「人一人住むには広すぎじゃない?」
「かつては人が多く住んでいたのかもしれん。
 …以前は中央の建物で打ち合わせをした。居住区は奥の建物なのだろう」
 そう言って、翼竜を中央の建物へと向かわせる。

「ありがとう、フルゴル」
 翼竜から降り、その顎を撫でてやるとグルル、と甘えた声をあげる。
 魔王が翼竜の長い首にそっと手を当てると、手を当てた部位に魔王の紋が浮かび上がった。
 リャナは知っている。魔王権限で一度だけ攻撃を防ぐ絶対防御の紋だ。
 翼竜はその場で体を丸めて待機した。首だけ、建物の方を眺めている。
「パパ、それ…」
「ん、念のためな」
 はにかんでみせる魔王だが、そこまでしないといけない可能性があるという事かと、リャナの表情が曇る。
「行こう」
「うん」
 促され、リャナは居館へと足を進めた。
 遠目には気にならなかったが植物の浸食がすすんでおり、庭はもちろん屋敷へ続く道や屋敷の壁にツタが絡まっている。ほったらかしているわけではないようだが、手入れが追い付いていないようだ。
 正面の扉もツタの浸食が酷いが、扉は開く。勝手に開いた扉の先で、白くのっぺりした服すら着ていないマネキンのようなものが優雅に頭を下げていた。
「魔王御一行様ですね。お待ちしておりました」
「ああ、リグレットはいるか」
「どうぞこちらへ」
 流暢な言葉遣いの自動人形に促され、奥の方へと移動する。
(リグレット…後悔・残念・悔恨…)
 名前の意味を反芻する。親が名付けたにしても、自分で名乗ったにしても、酷い名前だ。
 前者なら望まれない子だったのか。後者なら相当な皮肉屋か。
 ほどなく到着したのは建物の奥だった。足元は円形に百合を模したステンドグラスの床。
「到着までの間、我が居館が誇るステンドグラスをご観覧下さい」
 自動人形はそう告げると、円周に沿って柵が出てきて、ゆっくりと床が上昇する。エレベーターらしい。
 外のツタに隠れてその良さが褪せて見えたステンドグラスも、手入れがされた内側なら遜色はない。何となく上を見たら、天井もステンドグラスで装飾されていた。ここの主が好きなのだろうか。
 さほど時間もかからず、目的の階へと到着する。
 応接のフロアなのだろう。壁面はステンドグラスが映え、真っ赤な絨毯の上を細長い細かい彫りの白地のテーブル。同じ白地の椅子がいくつか並ぶ。
 一番奥にある椅子には一人の男性が座っている。
 床までつこうかというほどのサラサラの長髪は藤色で、光に照らされてオーロラのように煌めいている。
 どこか虚ろな菫色の双眸。限りなく白い、ともすれば青白くも見えるきめの細かい肌。
 幼いというよりは中性的か、見た目の年頃なら20代、下手したら10代後半にすら見える。正直、魔王よりずっと若い。
 自動人形がエレベーターで下の階へ降りていったとほどなく、リグレットは朗らかに笑って手を振ってきた。
「やあ、待ってたよ」
 立ち上がる事無く、座っている椅子ごと近づいてくる。車いすのようにも見えるが車輪はなく、そもそも宙にふんわり浮いている。
「次の移動ルートについて打ち合わせをしたい」
「せっかちだな。そんなに慌てなくてもいいじゃないか」
「わ…俺も忙しいんだ。さっさと帰りたい」
「つれないな。…まあそういうところ、あるよね。君は」
 そういってリグレットは肩をすくめるが、それでも嬉しそうだ。
 つっけんどんな魔王の態度に、リャナはちらりとその顔を見やった。機嫌悪そうな面持ちをしているが、実は額から汗がこぼれている。
 リグレットが「旧友の魔王」と思い込んでいるというが、魔王のこの態度を見る限り、かなりフランクな間柄だったのだろう。あるいはリグレットに苦手意識を持っている人物だったか。
「そこにいるのはフィンかな?」
 話を振られ、顔を戻す。リグレットはリャナに好奇の目を向けていた。
「ああ。連れてきた」
「よく顔を見せておくれ」
 魔王がリャナを見下ろし小さくうなずいたので、リャナはリグレットの側へ近づいた。
 件の旧友の娘については、じゃじゃ馬、という事以外は何も聞かされていない。魔王もその辺りの事は聞き出せなかったのだろう。
 つまりぶっつけ本番。アドリブでなんとかしろ、という事だ。
 とりあえず、スカートの端をつまんで恭しく頭を下げる。
「ごきげんよう。ご無沙汰しております、リグレット様。フィン、ただいま参りました」
「ごきげんよう、フィン。ふふ、これはまたずいぶんとかしこまって。
 彼があれではロクに最低限のマナーも教わっていないと思っていたけど?」
「んー。それが意外にもパパってばそういうのうるさくって。中途半端はダメ、何事も上を目指せと」
「ふうん?それは本当に意外だ。
 …いや君の母親は、彼から色んな事を学んだというし、案外そういうものなのかもね」
「あら、それってエッチな話ではなく?」
「ふふふ、さあどうだろうか。
 …ああ本当に懐かしい。さあ、もっとその顔を見せておくれ」
「はーい」
 会話のやりとりは上々か。自分でそんな風に評価しながら、リャナはリグレットの側へ近づいた。
 椅子のひじ掛けに手をついて、リグレットの前に笑顔差し出す。
 リグレットはリャナの頬を愛おしそうにそっと手を添えて、
「ああ。愛らしい。君の性格は残念ながらどこまでも父親似だが、ちゃんと母親の顔立ちも受け継いだね。
 実に…実に……」
「…?」
 リグレットがリャナの目を見ながら、何かを考えている。リグレットの瞳孔が、広がったり縮んだりして。
 貴人の表情に疑念が生まれた。
「───きみは、だれだ…?」
「リャナ!」
 後ろで魔王が叫ぶのと同時に、リャナとリグレットの間に黒く丸い塊が現れた。
 絵の具で塗りつぶしたような、どこへも光を差し込めないそれが何かは分からないが、ざわりと鳥肌が立つ。
(あ、死ぬ)
 直感で、そう思った。その直後。

 ───ゴ

 と、自分の耳が受け入れられる最大音量の音が聴こえた。
 死んだと思ったから、目を閉じたし、意外と痛くないのねとか思ったし、天国ってあるのかな、父さんと母さんに会えるかなとも思ったし。
 そんな事を考えているうちに、誰かに抱き寄せられている事に気づいて目を開ける。
「─────────」
 絶句した。今まで立っていた、いや、今いた場所がごっそりなくなっている。
 下を見れば、建物の床はおろか島の地肌すらなく、遥か下の魔王城の闘技場が見えた。
 視界を動かせば被害の規模がざっと分かる。
 島のほぼ4割ほど。地面も含めてほぼ円状に大地も建物も削り取られている。
 いや、切り取られた、が正しいのかもしれない。かろうじて残っている建物は何か鋭利なもので切られたかのように滑らかな切り口を見せている。
 崩壊は発信源と思われるリグレットの目の前でそれは止まっていたが、残った建物もバランスを崩した部分がところどころで崩れ始めた。
 島の森林、ちょうど居館へと歩いてきた場所は跡形もなく。絶対防御の紋で守られたであろう翼竜が、慌てて飛び羽ばたいているのが見えた。
 今いるのはリグレットがいた応接のフロアよりもはるか上空だ。つまり誰かが抱えてこの攻撃を受ける前に上へ回避してくれたことになる。そしてそれができるのは一人しかいない。
「無事、か?」
 頭の上から声が聞こえた。よく聞く、魔王の声。
「パパ、ありがと、───」
 そう考えて声をかけたが、見上げた魔王が顔面蒼白なのに加えて違和感を感じた。改めて足元を見やる。
「パパ、───足」
 ごっそりと。魔王の、腰から下がなくなっていた。
 ついでに自分の尻尾も途中からしっかり刈り取られていた事に今気づいた。膝ごと抱えられた為足は無事だ。
「───、ぐ、う」
「パパ!」
 魔王の意識が飛びかけ、バランスを崩す。魔王個人に飛空能力はないが、魔王の力を使えば空中に足場を作る事が可能だ。しかし集中が飛び切れた事で、その足場も崩れ、リャナを抱えたまま真っ逆さまに落ちていく。
 このまま落下すれば、激突先は先ほどまで島だった場所を突き抜け、その下の魔王城闘技場だろう。
 助けられたからには助けねば。リャナが皮翼を広げて、今度は魔王を抱えなおした。
「ぬうう!」
 普段自身の体しか支えて飛ばないから大柄で重装備な魔王の体など支えらえるはずもない。
「荒れ狂う嵐のように!怒り狂う雷鳴のように!我が腕に宿れ、万力!───フェルシュテルケン!」
 みしみしみし───
 リャナの細い両腕が、胸筋が、腹筋が、何倍にも膨れ上がり、筋肉を作り上げる。拡張に耐え切れずドレスが破けてしまうが構っていられない。
「う、あああああっ!」
 魔王の鎧の首根っこをつかみ、皮翼の抵抗と落下の慣性と腕力を使って勢いよく上空へ放り投げる。
 重みから解放されて体が軽くなったら、すぐさまリャナは翼を広げて魔王を追いかけた。
 空中に放り投げた魔王の腹に抱き着き、島の、残っている建物の奥───応接フロアのリグレットの真後ろへ飛び込んだ。
 どごしゃっ
 派手な音を立てて建物の柱に激突して、リャナの意識が一瞬途切れる。同時にかけていた瞬間強化の魔術も解け、上半身がしぼんでいく。
 瞬間強化の反動で強化していた箇所にヒビが入り、血がにじみ出て痛みが走る。寝ていられないと精いっぱいの気力で覚醒し、リャナは魔王に呼びかけた。
「パパ!───パパ!」
 魔王は上半身だけしか残っていない状態にも関わらず、意識はしっかりしているようだ。起き上がれないが、リャナの頬を魔王の手が優しく撫でる。
「…そんなに心配しなくとも大丈夫だよ、リャナ。
 私の核は胸の中央…ここに破損がなければ時間はかかるが傷は癒せる。
 しかし、瞬間強化か…アリシアも使っていたが、そんな魔術をよく覚えたものだ…」
「かわいくなかったから使ってなかったの!
 服破けちゃうし痛いし!でも、そんな事言ってられなかったし!
 ねえ、パパの下半身元通りになる?なるよね?!お膝の上乗れるようになるよね?
 パパの下半身ないと生きていけない〜!!!」
「…その発言は誤解を招くから他所でしてはいけないよ」
 抱き着いてわあわあ泣くリャナをだいぶ呆れた様子で見上げ、魔王はその頭を撫でる。
 ふと、こつ、と何かが鳴った。
 涙と鼻水をごしごし拭いて威嚇を込めてリャナが振り向くと、椅子に座ったままのリグレットが近づいてきていた。
 ぐるるるとうなり声をあげてみせると動けない魔王が窘める。
「リャナ、やめなさい」
「だって…!」
「彼が殺す気なら、とうの昔に我々は死んでいる」
「………それは…そうだけど」
 頬を目いっぱい膨らませ、リャナは渋々殺気を抑え込んだ。
 そんな2人を見下ろし、リグレットは頬をかく。どこかバツが悪そうに、申し訳なさそうに。
「ああ、ええと───取り乱して悪かったね。
 その、夢を見ていたようだ。こう長く生きていると、起きているのが億劫でね。
 起きているようで、寝ている…そんな事が、よくあるんだ。
 …ああ、そんな話をしていても仕方がないね。
 まずは魔王、君の傷から癒そう」
 先ほどまで虚ろだった菫色の双眸には、意思を示す光が灯っていた。
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