小説
物語の始まり
 なんで魔王に身の上話をしているのか、リャナはもう深く考えない事にしていた。
 仇を求めて魔王の城に忍び込んだはいいものの、武器と防具は取り上げられてしまうし、魔王は友好的だし、食事の席まで用意してくれるしで、何から何まで分からない事だらけだった。さっき見かけた門番の悪魔───ベヒモスが、焼いた肉を盛り付けた皿を持ってきがてら、「ちゃんと食べて大きくならなきゃだめだぞ」と頭を撫でて行った事も、混乱に拍車をかけた。
 だから、この後まんまるに太って魔物達においしく食べられてしまったとしても、まぁいいやって思う事にした。肉うまいし。
 一方の魔王は、こちらの話を真剣に聞き入っていた。無駄に幅広のテーブルに、リャナと魔王の二人だけが座っている。謁見の間にいた時のグレムリンは、魔王に何かを言われてすぐに間を後にしていた。まだ戻って来ない。
「どうしていいか、もう分かんなくて…魔物に襲われたんなら魔王の仕業だって思って、家にあった剣持ち出してここに…」
「倒れた父と母を放っておいてか。墓を作ろうとか思わなかったか?」
「あ…うん、思ったけどさ。あたし一人じゃ、さすがにどうにもならなくて。それに………仇の魔王先に片付けてからの方が早いかなって。近いし」
「あー…まぁ、それはそうだな………いや、そうかなぁ………?」
 一度は納得したらしい魔王だが、何か腑に落ちないらしく一人唸っている。
 実際、リャナの住んでいたムアトの村から魔王城までそう遠くはなかった。登頂するにはあまりにも凶悪な岩山のてっぺんにあるとはいえ、村近くの高台から城がはっきりと確認できる位の距離だった。例の岩場の抜け道を使えば、村から入城まで小一時間とかからない。
 リャナは頬張った肉を飲み込んで、真っ赤なジュースを一飲みすると、肉のついていた骨を魔王に突きつけた。
「それより、あんた一体なんなんだ!何で父さんと母さんの事知ってんだよ!」
 鼻の先で骨を向けられた魔王は、それをヒョイと取り上げると自分の空いた皿の上へ置いた。
「…そうだな。どのみち、そなたには決めて貰わねばならんし、そろそろ話してやろうか───ああ、その前に、こっちが先だな」
 言って魔王が指を鳴らすと、リャナの後ろの床にベチョっと音を立てて何かが落ちてきた。振り返れば、先程のグレムリンが書類を撒き散らしながら突っ伏している。
「え、あ、あれ?ワシは今廊下にいたはず……………は、陛下!失礼しました!」
「いい。私が呼んだのだ、アズワ。書類を預かるぞ」
 慌てて土下座をしたアズワを見ようともせず、魔王が手を掲げると、散らばった書類が彼の手元に集まって行く。全部集まった書類をテーブルの上で揃えると、黙々とそれを読み始めた。
「…魔王って、何でもできるんだ」
「ん?ああ、もちろんだとも。この城は私の一部にようなものだからな。玉座にいながら、今日の夕飯の献立とか、警備のインキュバスがさぼってるとか、さっきのベヒモスが1382回目のプロポーズに失敗したとか、そんな情報も逐一分かってしまうのだ」
「…割と、結構、暇なんだね、魔王って」
「失礼な。城の情報を頭に入れておかないと、昼の外食のと夕食がかぶったなんて悲惨な事にもなりかねんし、次の縁談は誰を推すべきかとか考えないとならん。何かと厄介な職なのだよ」
「とりあえず、あの、べひなんとかって人?は、そろそろ一匹狼の道を歩むべきだと思うよ」
「ううむ、やはり子供でもそう思うか」
「子供ってゆーな!」
 リャナが吠えたところで、魔王は書類をテーブルに置いて顔を上げた。
「待たせたな───さて、まず何から話したものか?」
 二人の間に、ほんの少しだけ沈黙が落ちる。改めて魔王を見れば、発した言葉に対する問いをリャナの口から待っているように見える。
 仮にも魔王だ。良い人だなんてあるわけがない。が───その目からは、偽りを感じさせない何かが見えた気がした。
「………父さんや母さん、村の皆を殺したのは、誰だ」
「…そうだな。まず、そこからだな」
 まるで答えに点数をつけているかのように言うと、魔王は溜息を吐きながら続けた。
「とりあえず、始めに言っておこう。そなたの両親及びムアトの村人らを殺したのは、我が手の者ではなく、人間だ。───同胞を殺める理由が、我らにはないからだ」
「どう、ほう?」
「私と同じ、魔物の種族という事だな」
「知ってるよ!」
 小馬鹿にした魔王の言葉に、苛立たしげに声を上げる。だが、魔王にそのつもりはなかったらしく、不思議そうにこちらを見てくるだけだ。
 リャナの中に生まれた疑問をぶつける間もなく、魔王は説明を続けた。
「本来、人間と魔物は相容れない存在だ。弱肉強食の構図で、魔物は人間の上位にあるからだ。だが…そんな相容れない存在と心を通わせてしまう者が、少なからず存在する」
「…なんで?」
「そこまでは私も分からん。外見は大した問題じゃない、とは聞いているがな───さて、クイズだ。魔物と心を通わせた人間を、他の人間はどうすると思う?」
 急に質問を振られ、リャナなおろおろしながら考え始める。人間からすれば魔物は天敵だ。一緒にいるだけで身の危険を感じるだろう。ならば、取るべき行動はそう多くは無い。
「…村や町から追い出す?」
「うむ、正解だ。えらいえらい」
「…だから、子供扱いすんなってっ」
 よしよしと、頭を撫でてくる魔王の手を腕で振り払うと、彼は少しだけ残念そうに肩を落とした。代わりにテーブルの端をコツコツと爪弾く。
「人間からすれば、自分達を食い殺すかもしれない魔物を側に置けない。が、我々魔物からすれば、人間の一人や二人側に置いても大した問題ではない。食料を余所で調達する事はさほど難しくないからだ。別に人間だけが主食という訳でもないしな───故に我々は、魔物と人間の家族を保護しよう、そういう事にしているのだよ」
 つらつらと言われた説明を、リャナは繰り返し頭の中で整理した。
 人間が魔物を近くに置けないのはよく分かる。そうそう遭遇する事はないが、魔物の多くは言葉が通じない。何を仕出かすか分からない異形の魔物と、一緒にいたいとは到底思えない。
 そんな魔物を外見は大した問題じゃないと言い、家族になる人間がいる。それだけでも充分、リャナの理解の範疇を越えていた。
 おまけに、魔王はそんな変わった家族を守ろうとしている。
 腹の中で膨らみ続けている疑問を抑えて、先に出てきた質問は他愛がないものだった。
「…そんな事をして、何かメリットはあるの?」
「ううむ、メリットと言うか。可哀相だから助けるのは駄目なのか」
「だって…ほら、なんていうか…似合わないし?」
「…やれやれ、ストラはこちらの事情をロクに教えてないとみえる。仕方ないと言えば仕方がないが」
 溜息混じりに父の名前を言われ、リャナはムっとして魔王を睨んだ。何だかよく分からないけど、自分の知らない魔王が父と母の事を知っているのが腹立たしい。
「本当なら城で匿いたい所なのだが…ここは何かと、勇者だとかの人間の行き来が多いからな。防衛に回る連中が混乱しても困る。故に、そういう者達を保護し一箇所に集めたのが、そなたの住んでいたムアトの村なのだよ」
 村の名前が出てきて、ちぐはぐになっていたパズルがようやく形を成したような気がした。
 だが、完成の喜びを覚えたのはほんの一瞬の事。次の瞬間には、出来上がったパズルの絵の禍々しさに鳥肌が立った。
「じゃ、じゃあ………あたし、も………?」
「いかにも。インキュバスの父親ストラと、人間の母親アリシアの間に生まれし娘、リャナ───そなたは人間であるとともに、我らと同じく魔物でもあるのだよ」
 テーブルの上に置いた小さな震える手を、魔王の温かい手が心配そうに包み込んだ。
Home0102・03・040506