小説
物語の始まり
 魔王というのは色々な特技を持っているもので。
 魔術の基礎の勉強は少ししていて、いくつかの系統に分かれている事位は知っていたリャナだったが、魔王のそれはそのどれにも属さないような気がした。
 今先程使われた術もそうだった。魔王城の謁見の間にいて、玉座の裏側に置いてある大人ほどの水晶に命令をしただけで、気がついたらムアトの村へと舞い戻っていた。
 よくよく考えれば、例の岩場の抜け道だって、岩の場所から魔王城までは結構な距離がある。洞窟から謁見の間まで10分とかからないのはさすがにおかしい。もしかしたらそれも魔王の力なのかもしれない。
「離せー!」
 魔王の力の事をあれこれ考えていると、聞き覚えのある声に顔を上げる。魔王に腕に抱えられたリャナは飛び降りて地面へ着地し、村の広場へと走り出した。
 村の中は魔物でいっぱいになっていた。グレムリン、ベヒモス、オーガ、ケンタウロス───図鑑で見た事がある魔物だけでもかなりの数だ。ただ、皆が一様に周囲を警戒しており、ある種の緊迫感は覚えるが、それに恐怖は抱かなかった。
 広場には麻布をかぶせられた遺体が、魔物人間に関わらず一箇所にまとまって並べられていた。顔なじみがいたのだろうか、上半身は女性で下半身が蛇のラミアが遺体の側で泣き伏せっている。少し、心が痛くなる。
 父と母の遺体も捜したがったが、それよりも噴水の前で魔王よりも大柄な土気色の魔物───オーガに首根っこを掴まれて暴れている少年に目が留まった。
「ラビィ!!」
 リャナの声にオーガがこちらを向き、その拍子に少年もリャナの姿を捉える。金髪碧眼、短髪でやんちゃそうな少年ラビィは、つままれたままで声を荒げた。
「リャナっ!無事か?!」
「ああ、うん、まあ…今の所は…」
 曖昧に答えながら、リャナはちらりと魔王を見やる。噴水の向こう、複数の遺体の置かれた場所でひざまずき、何かを喋っている。周りに複数の魔物がいるが、会話までは聞き取れない。
 ラビィはリャナの見る方角を怪訝そうに見て尋ねてくる。
「ん?あ?あいつ何?何だかエラソーだけど」
「…んー、うん。ええと…魔王…様、かな?」
「へー、思ってたのより小さいんだな。なんかこう山ほどでかいの想像してたんだけど。ってゆーか、何魔王に様つけてんだよ!頭大丈夫か?」
 ラビィのもっともな言葉に、リャナは言葉が出ない。
 改めて村へ戻ってきて、リャナの混乱は更に度を強めていた。魔物は人間の敵で、魔王は悪い奴。いつかは勇者になって退治して、そうすれば世界は平和になるんだと、そう教わった。このムアトの村で。
 そしてリャナはインキュバスの子供で、ここは魔物と人間が共存する村で、そんな村を人間が滅ぼして、そんな村を魔物達が調べている。ラミアは村人の遺体に涙していた。
「………わかんないよ………」
 リャナはついにその場で頭を抱えて悩み始めてしまった。
「───っつ、おっさん、離せ!」
「いったあ!」
 普段見ない幼馴染の姿に、ラビィは意を決してオーガの指に思いっきり噛み付いた。トーンの高い悲鳴を上げたオーガが堪らず首を離し、ラビィは地面に尻餅をつく。
「誰がおっさんヨ!こんなにイイ女つかまえて!失礼しちゃうワ!」
 非難轟々のオーガを無視して、ラビィはリャナに駆け寄った。青ざめたリャナを抱き寄せる。
「何があったか知らねーが、お、俺がお前を守ってやるから!だから、泣くんじゃねーぞ!」
 あまりの声量に、魔物達の動きがピタリと止まる。魔王もこちらを見ているし、オーガもヤレヤレという顔でそっぽを向いた。
 はたから見れば、不安な少女を励ますいたいけな少年の光景だったのだろうが───残念な事に、当事者のリャナには別の感情が滾っていた。
「───何だよ、守るって」
「え」
 自分でもいい事言ったと思っていたラビィが間の抜けた声を上げると、リャナは顔を上げて彼の襟首を掴んで揺さぶった。リャナの顔から、不安な表情などとうに消えうせて、今あるのは怒りのみ。
「守るって何かって聞いてんだ!剣術稽古じゃあたしに一回も勝った事ないクセにエラソーに!それに、あたし泣いてないもん!」
「泣いてたじゃねーか、今さっき!ほらお前目がウルウルしちゃってるしー」
「う、うるうるなんてしてない!ラビィこそ何さ、あっさり捕まっちゃってバッカじゃない?!」
「う、うるせーな!お前だって魔王にとっ捕まってたじゃねーか!」
「何だよ!」
「なんだよ!」
「あー………いい加減そんなものにしておきなさい。二人とも」
 つかみ合いの喧嘩に発展しかけたリャナとラビィのそれぞれの首根っこを、いつの間にか来ていた魔王がつまみ上げていた。宙ぶらりんになった二人は口論を止め、互いにフンと吠えてそっぽを向く。
 やれやれと溜息をついた魔王は、そのままオーガに声をかけた。
「ラビィ…と言ったな。オークのクレマンと人間のベアトリスの子供か。この者はどこにいた?エルジーリア」
「家屋の地下室におりましたヨ。地下への入口が木箱と母親の遺体で塞がってたので、出るに出られなかったんでしょうネ」
 エルジーリアと呼ばれたオーガの言葉に、リャナが昼間の出来事を思い出す。確か彼だけは、宿題が終わっていないとか何とか言われて、母親に引きずられながら家へと戻っていった。
 木箱にもたれた彼の母親の死体を見て、てっきり死んだのかと思っていたのだが。
「よかった…」
 ようやく出てきた安堵の言葉に、ラビィはフフンと鼻を鳴らした。
「なに心配してんだよ、俺が死ぬはずないだろ?正義の味方はなかなか死なないものだからな!…ところで、親父とおふくろがなんだって?」
「…話すと、長くなるんだけど」
「一言二言で済ませろ」
「おじさんがオークで、ラビィは魔物とのハーフなんだって。あたしは父さんがインキュバスって言われた」
 指定通り一言二言で済ませたリャナの発言に、ラビィは間の抜けた声を上げるだけだった。
「はあ?なんだそれ?お前そんな嘘信じちゃってんの?」
「あー…ラビィは馬鹿だから嘘かどうかなんて分かんないよねー…」
「なんだよそのカワイソーな子を見るような目はー!」
 実際カワイソーな子を見る目で暴れるラビィを眺めたリャナ。ラビィほど単純だったらどれだけ楽か、心底思う。
 一方、大人同士の会話は二人を差し置いて続いていた。エルジーリアは服のポケットから何かを取り出して、魔王に見せる。
「それとこれが。村に残っていた武器のいくつかに、このような紋章がついていましたワ」
 出てきたのはロザリオだった。金縁で銀製の十字の周囲を、下部分だけが抜けた円が覆っている。
「──────っ」
 息を呑んだリャナとラビィに気付いて、魔王が二人に問いかける。
「…この紋章に心当たりが?」
「昔、見せてもらった写真の……母さんのお爺様が、教会の司祭長らしくて…肩に、同じ紋章が───」
「…俺も知ってる。聖騎士団の光の紋章だ」
 リャナとラビィ、魔王とエルジーリアの間に、沈黙が降りる。魔王は二人を降ろすと、そのロザリオを受け取った。
 聖なる加護が魔を払うと言われるロザリオを、しばし手にとって眺めた魔王だったが、不意にロザリオを握り締めるとまるで粘土細工のようにボロボロに崩れ落ちた。
「…決まりだな」
 感情を持たずに告げられたその言葉に、リャナは胸が締め付けられるような思いで顔を上げた。
「ま、まだ決まったわけじゃ」
「今回の一件にそなたの祖父が絡んでいる。それは間違いない事だ」
「それは…そうかもしれないけど…」
 魔王の指摘にそれ以上何も言えず、リャナが肩を落とす。
 ───と、この血生臭い村に、唐突に甘美な香りが漂い始めた。
 花のよく似たとろけるような香りに、めまいを覚える。ラビィを、そしてエルジーリアを見ると、同じようにほうけた顔をしていた。
 周囲を調べまわっていた他の魔物達も同様だった。ある者は武器を落とし、ある者は立ち尽くし、ある者は足を滑らせてすっ転んで。しかし顔はどこか明後日を見るようなぼうっとした表情を浮かべている。
 魔王だけを除いて。
「珍しい事があるものだな。そなたに陣頭指揮を任せた覚えはないが?リリス」
 魔王が顔を向けた先を見やると、一人の女性が従者を伴って歩いてきていた。
 大人の女性としてはやや小柄で、見た目にはリャナよりも数年程度年上に見える。が、そのグラマラスな肢体と立ち振る舞いを見る限り、少なくとも同世代というわけではなさそうだった。浅黒い肌と、漆黒のストレートの長髪、そして金色に輝く瞳が、リャナを惹きつけて離さない。
 魅力のある女性って、こういう人なのか───そんな事を、リャナは感じていた。
 リリスと呼ばれた女性は、魔王の前で優雅に礼をして、優しげに微笑む。
「ご安心召されよ。わらわも任せられた覚えはありませぬ。ただ、何やら面白い事があったというので馳せ参じたまで」
「なら、用件を済ませてさっさとそなたの城へと戻るがいい。そなたの興を誘うものなど、ここにはないだろう」
「そうでもありませぬぞ」
 魔王の冷たい態度に、微笑を絶やさないリリス。彼女はどこからか持ち出した例のロザリオを見せながら、あとに続けた。
「この紋章。見た所、変異しなかった者も含め、全て人の姿をした者達にだけあてがわれておりました。恐らくは、人間がアンデッドにならぬようにする為の護符の一種かと。おかしいと思いませぬか?アンデッドにしたくないのならば、手っ取り早く燃やしてしまえばよい………まるで何かから逃れる為に、一時的に施したように見受けますな」
「…何が言いたい?」
「なかなか興を誘う話ではありませぬか」
 袖の端で口元を隠し、軽やかに笑うリリス。とても殺戮の行われた村にいるとは思えない笑顔だった。
「どうかこの一件、わらわにお任せを。必ずやご期待に沿えるよう、尽力致しましょう」
 彼女の言葉に、しばらく考え込む魔王。何か納得できない事でもあるのか、嫌そうにリリスを眺めている。
 やがて魔王は、渋々投げやりに手を振った。
「…いいだろう、そなたに任せる。ただし、『ベルカント』は控えよ。仕事にならん」
「おや、これは気付きませんで。善処致しましょう」
 リリスが恭しくお辞儀をすると、わずかに空気が変化して、あの花のような香りが薄まったような気がする。周囲を見れば、魔物達がぼうっとした状態から解放されて、自分たちの仕事に戻り始めていた。ただ、ラビィとエルジーリアはまだほうけたままだ。
 そんな様子を魔王のマントの端に隠れて見ていたら、頭上からリリスが顔を出してきた。
 ぎょっとして一歩後ずさりをしたら、細い腕で両肩を掴まれ引き寄せられてしまう。あの香りが一段と強くなって、リャナは目を細めた。
「ふむ…そなた、あまり『ベルカント』が効いておらぬな。サキュバスか。なかなかかわゆいのう。わらわの城へ来ぬかえ?」
「え、ええと…そのっ」
 ほっぺたをむにむに触られてどうしていいか分からなくなり始めた時、リリスの頭上から更に魔王の腕が伸びてきた。そして首根っこを掴まれたと思ったら、あっという間に魔王の腕の中に納まっていた。香りは一気に霧散して、血生臭い空気に戻っている。
「この娘の身の振りは今から決める。そなたの介在は不要だ」
 魔王に睨まれて、リリスはきょとんとした顔でしばらく両手をわきわきさせたが、やがて諦めたように手を下ろした。
「これは残念……………では、失礼」
 会釈をしたリリスはシースルーのマントを翻し、従者を連れて噴水の反対方向、遺体の安置場所へと歩いていった。
 彼女の行く先を目で追いかけていくと、その光景がよく分かった。彼女が歩く度、一番近くにいる魔物の行動が鈍くなり目がうつろになる。リリスが魔物に近づいて何かを囁くと、魔物はひざまずいて礼をして見せて、鈍重に行動を開始する。
 相手の意思に関係なく強制的に従属させる。『ベルカント』と呼ばれたのは、そういう類の魔術らしい。
 魔王はその光景を目で追いかけて、溜息を漏らした。ラビィとエルジーリアに向けて一度指をパチンと鳴らす。直後、二人が正気を取り戻し、何が起こったのかと周囲を見回した。
「やれやれ。元帥ともあろう者が、いい加減術の制御に慣れてほしいものだ───エルジーリア、リリスの補佐に回れ。あまり近づき過ぎないようにな」
「はっ───ははっ!」
 エルジーリアは敬礼して、リリスのいる方へと走っていく。しばらく魔王はその後姿を見送り、案の定『ベルカント』にかかったエルジーリアを見てまた一つ溜息をこぼした。
 諦めたようにリャナを地面へ降ろすと、魔王は噴水の縁に腰をかけた。足を組んで、リャナとラビィそれぞれに問いかける。
「さて、そなた達だが…これから、どうしたい?」
 リャナとラビィはそれぞれ顔を見合わせる。
「そなたらには半分は魔物の血が流れている。それは紛れもない事実だ。ゆえに、望むのならば魔物として生きる道を選ばせる事もできる。リャナはサキュバスとして、ラビィはオークとして、魔王城で住むよう手配してやろう。無論、人間として生きたいというのなら、そなたらの親族の住む町へ送ってやる事位ならしてやろう。それからの事までは面倒見れぬが、可能な限り援助しようではないか」
「───はっ、魔王の援助なんか誰が受けるか!」
 ラビィの威勢の良い返答に、魔王は口元に手を当てて目を細めた。リャナはなんとなく、魔王が笑っているような気がした。
「…そなたの答えはそれで良いのだな?ラビィ」
「男に二言はないぜ」
 フフンと言って誇らしげに胸を張るラビィを見て、魔王は満足げにうなずいた。
「…よかろう。リャナ、そなたはどうだ」
「お前も俺と一緒に来いよ。親戚の家のアテはあるし、こんな所で一人は嫌だろ?」
 魔王は噴水の縁に座って、ラビィはこちらに手を差し出して、リャナを見つめている。
 両親の亡骸のある噴水の先を見やると、麻布に包まれた遺体が一つずつ移動されているのが目に留まる。その中の一つから、リャナの髪質によく似た金髪が一房こぼれた。胸の中がザワリと動くのが分かる。
「…あたしは…父さんと、母さんを、殺したやつに…復讐したい」
 たどたどしい口調で漏れた言葉に、ラビィと魔王は言葉を失う。
「自分の体が魔物と人間半々とか、どっちが敵でどっちが味方とか、正直よく分かんない。でも、どうして父さんと母さんが殺されたか、それだけははっきりさせたい」
「リャナ…」
 ラビィの伸びていた手が、力なく落ちる。
 魔王は息を吐くと、噴水の縁から立ち上がり、リャナの側でしゃがみこんだ。少女の頬を優しく撫でて、少しだけ笑みを浮かべる。
「では、私の養女にでもなるか?」
「…養女?」
「どの道、そなたの祖父が今回の件に絡んでいる以上、アリシアの親戚には引き渡せぬと思っていた。だがそなたは、もしかしたら魔物が殺したのかもしれないと、そうも思っているな?」
 考えていた事が見抜かれて、リャナは一瞬言葉に詰まった。が、返事を待つ魔王を見て、首を縦に振る。
「…はい」
「ならば、ストラとアリシアを殺めた者が分かるまでの間、魔王の名にかけてそなたを保護しよう。万が一、今回の件に魔物が絡んでいるのなら、いつでも私の寝首を掻くがいい───どうだ?悪い話ではないだろう?」
 魔王らしからぬ言葉にぎょっとして、リャナは顔を上げた。同胞を死なせた責をその魔王の首で贖うと言っている事を、子供のリャナであっても分からないはずはなかった。
 が、魔王の顔から、それが嘘であるように見て取れない。
「……………いいん、ですか?」
「構わんさ」
 自嘲気味に微笑する魔王の意図をリャナが理解するのは、まだ少し先の事になる。
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