小説
正しいサキュバスの育て方1
「…………私の、所為、なのだな」
「そうじゃな」
 椅子にもたれ顔を押さえてうな垂れる魔王を横目に見やり、リリスはただすげない言葉を返す。すぐにそっぽを向いて、寝静まっているリャナの頬を優しく撫でる。
 リャナが目覚めないのは、生気を魔王に与え続けたが為の慢性的な生気不足だった。半月位前から不調はあったようだが、日記を見る限り、リャナ自身はそれが生気不足だとは思っていなかったらしい。
 まだ一人で人間を襲えない未熟なサキュバスによくある症状で、普通なら親に生気を分けてもらって治していくのだが、当然人間として育ってきたリャナも、夜魔種ではない魔王も、それを知るはずはない。
「し、しかし、それなら何故リャナに『アクア・ヴィテ』の役を任せた!?リャナに危険が及ぶよう仕向けたのは、そなたではないか!」
 いきり立ち声を荒げる魔王の胸倉を、リリスは掴みあげた。リリスよりも頭3つ分は高い魔王の腰が、椅子から浮き上がるほどの腕力で引き寄せる。
「いい加減にしろ、魔王」
 その言葉は、魔王が今まで聞いた事がない程低い声音だった。いつも優雅で物腰は落ち着き、尊大ながらも決して荒事はしないリリスの、もう一つの一面。
 荒事も無茶も好まない夜魔種がこれほど傷つかなければ、魔王がこれほど無知で無謀でなければ、彼女もここまで怒り狂う事もなかったはずなのに。
「そもそも、サキュバスとしてここへ住まわすよう手配したのは誰じゃ?わざわざ我が城に招いてサキュバスの術を学ばせたにも関わらず、術の使用を禁止したのは誰じゃ?全てはおぬしのエゴが生んだ末路であろうが!」
 舌を鳴らして椅子の背に魔王を突き放す。魔王は力なく叩きつけられ、リリスはフンと一息吐いた。
「そしてリャナもまた、サキュバスとして生きる道を望んでいた───おぬしが、その歪んだ保護欲でリャナを縛り続けている以上、遅かれ早かれこうなる運命だったのじゃ」
 リリスと魔王の間に、しばらく沈黙が落ちる。魔王は視線を床に泳がせたまま、リリスは不甲斐ない魔王を睨みつけたまま、どれほどかの時間が流れていく。
 ───確かにリリスは、『アクア・ヴィテ』の役を任せたリャナが生気不足に陥る事は分かっていた。サキュバスとして生きていく以上、それは経験上得られる知識であり、勉強して行けば自ずと理解していく事でもあった。
 以前行った勉強会で、サキュバスのあらかたの術は覚えさせてある。わずか4日で基礎をマスターしたリャナの事、あとは実践を積ませれば優秀なサキュバスに育つはずだった。
 だから、まさか魔王が、サキュバスとして育てると宣言しておいて、サキュバスとしての勉強に制限をかけるとは思ってもなかったのだ。
 事態に気付いて、リャナを自分の城へ招待しようと魔王に依頼したものの、変な庇護欲が働いたのかことごとく断られてしまうし。
 あれこれ考えている内に無駄に時間だけが過ぎ、結果的にリャナを倒れさせてしまう事態になってしまった。
 リリス自身、もっと魔王に掛け合うべきだったのは分かっている。が、魔王に責が無いと言えば嘘になる。
「私は………私は、リャナに何と言ってやればいい?」
 ようやく口を開いた魔王の言葉が妙に情けなくて、リリスは鼻であしらった。
「は、知らぬな。せいぜい自分で考えるがいい。───さあ、今からリャナに術をかける。邪魔じゃから向こうの部屋へ行っておれ」
 頭を抱え大きく溜息を漏らした魔王が、背中に岩でも背負ってるんじゃないかという位に鈍重な動きで席を立ち、寝室を後にする。
 魔王が寝室を出て行ってしばらくして、今度はリリスの口から大きな溜息と共に愚痴がこぼれた。
「…やれやれ、困った男じゃ。こんな所にいさせられるリャナが不憫でならぬ」
「リリスさま………パパに、いじわるは………」
 唐突に聞こえてきたか弱い声に、リリスはぎょっとしてベッドの方を向いた。見れば、リャナがうっすらと目を開け、息も絶え絶えに声を上げようとしていた。
 慌ててベッドの袂へと駆け寄り、リャナの首元に手を沿えると、体温がわずかながら上がってきているようだった。脈も先程よりはずっと強い音を立てている。
「寝ているうちに養生しておったか。子供の体力は大したものよ………いつから起きておった?」
「…パパが、にっきを、よんでる、とき、……」
「そうか、良く頑張ったの。今、『アニマート』をかけてやるからの」
 魔王への態度はどこへやら。慈愛に満ちた穏やかな笑顔を向け頭を撫でてくるリリスを見て、不安そうなリャナの顔に安堵の表情がこぼれた。
「リリスさま…」
「ん?」
「パパと、なかよくして、くださいね。たぶん…パパは、なかよく、したいと、おもってるから…」
 リャナの突拍子もない言葉に、リリスはきょとんとしてしまい、その次には思わず噴き出していた。声を立てないようにベッドに顔を埋めて笑いを堪えるリリスを、リャナが怪訝な顔で眺めている。
 しばらくして、深呼吸をしながら笑いを収めたリリスはベッドから顔を起こし、少し乱れた髪を手櫛でかきあげた。ベッドの縁に座り直し、何があるわけでもない天井をぼんやりと眺めながら応える。
「…どうだかのぅ。まぁどの道、わらわは情けない男は嫌いじゃ。仲良くしたいというのであれば、もう少し魔王らしくなってもらわねばな」
 ───結局の所、リリスが魔王を卑下する理由はそこにあった。
 立場上魔王という地位に立っている彼だが、実際の年齢はリリスの方が100年以上年上だった。それだけ年齢が離れていると、彼が子供の頃の失態も笑い話もそれなりに知っているから、顔を合わせれば尚の事子供扱いしたくなる。
 魔王としての面目を保つ為に、相応の努力をしている事も知ってはいるが、それでも尚、リリスの及第点にはまだまだ及ばないのだ。
「…リリスさまって…ツンデレ、ですね」
「やかましい」
「あいた」
 嬉しそうに断言したリャナに、リリスは思わずデコピンを喰らわした。
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