小説
正しいサキュバスの育て方1
「あまり気負いなさるものではありませぬぞ、陛下」
 謁見の間に追い出された魔王は、玉座に座っても落ち着かない様子で何度も寝室の扉を眺めている。そんな頼りのない魔物の王を、たしなめるようにアズワは声をかけた。
「陛下のお心は自然と魔王城全域に波打つもの。そうなれば、勇者の来襲を警戒している者共の心の妨げにもなりましょう」
「…私はリャナの心配をしているというに、お前は勇者の心配か」
「生気の不足で倒れた者の話は良く聞きまするが、死んだという話は聞きませぬ。それに、リリス様が日記を介して監視されていたのは、何も陛下の事だけという訳ではないでしょう」
「分かっている───分かっては、いるんだ。しかし…あまりにタイミングが良すぎるような気がしてな」
 魔王は祈るように両手を重ね、瞳を閉じる。祈る神も、信じたい神もいるわけではないのに。
 リリスは魔王が昨日の戦闘で深手を負っていた事を知っていた。だから、少なくともリャナの日記を読んだあと、魔王城へ向かっているはずだった。
 リリスの城から魔王城へは、飛竜を飛ばせば数時間あまりで到着できる。らしくはないが、仮に大急ぎでリリスが城を出れば、朝方には魔王城へ入城していた事になる。
 だが、リリスが謁見の間に現れたのは昼頃。リャナの異変に気がついた魔王が医務所へ連絡をさせた後だ。
 生気不足で死ぬ事はないにしても、リャナを見殺しに近い形で放置し、まるで魔王が取り乱す様をリリスが楽しんでいるかのように感じてしまうのは、リャナへの庇護が強すぎるだけと言えるだろうか。
「まぁ、待たれたでしょうな。リャナ様が倒れられるのを」
「───っ!」
 アズワの澱みない一言に、魔王が息を呑んだ。
 勇者はおろか魔物すらも怯ませる魔王の眼光。魔王の睨みにアズワは少しも物怖じする事無く、恭しく頭を下げる。
「これは失礼を───しかし、最近の陛下の過保護振りは、リャナ様の成長を著しく損ねているように見えましたからなぁ。リリス殿の招致をことごとくお断りしたり」
 アズワに半眼横目で睨み返されて、魔王は、う、と小さく声を上げそうになる───が、一瞬怯んだ事に気づかないアズワではなく、やがてくっくっと苦笑した。
 場の気まずさに耐えられなくて、魔王は話を逸らした。
「…そういえば、遠見の水晶を与えたのはそなただそうだな」
「おや、ご存知でしたか。いや、リャナ様が、陛下が勇者との対決を見せてくれないとおっしゃりました故。何故見せて差し上げないのですか」
「半分は人間であるリャナに、勇者が殺される様を見せる訳にはいかないだろう」
「リャナ様は陛下の身を案じておっしゃったのですぞ。そもそも『アクア・ヴィテ』は、常に魔王陛下の側にあり、時に戦士として陛下の盾役を担うというのに………何故、リャナ様を戦いから遠ざけようとなさるのです」
「戦いから遠ざけたいのではない………あの娘を、生きる為の選択肢を減らしたくはなかったのだ」
 何やら謁見の間の外が少し騒がしくなっているような気がする。魔王も、近隣まで来ているという勇者の動向が少しは気になって、手を目の前にかざしてみせた。手の中に出現した水泡がみるみるうちに大きくなり、巨大な円形のモニターを形作る。
 モニターには例の勇者達の姿を映し出していた。人数は3人。構成は戦士と僧兵、魔術師のようだ。場所は魔王城のある岩山の麓だが、足取りを見るに魔術師の疲弊が激しいのが分かる。入城はまずないだろう。
 手を下ろすとほどなくモニターは歪みだし、やがて水泡となって魔王の手の中に消えた。
「あの娘は魔王を倒しにここまでやって来た。慣れてきたとは言え、その感情はまだ胸の内にある事だろう。リャナが真相を知り…万が一にも私に剣を向けざるを得ない時、魔物として生かされた事で人としての判断を鈍らせたくはないのだ」
「…はあ、甘いですのう」
「甘いか?…はは、そうかもしれないな。サキュバスとして引き込んでおきながら、未だ人間として生かそうなど。優柔不断と言われても仕方が無い」
「………いえ、訂正致しましょう。陛下はまるで、死に急いでおられるように見えまする」
 ちらりと、魔王はアズワの顔を盗み見た。臣下の顔色を見るなど王のする事ではないのは分かっているのだが、アズワの口ぶりから、何となく言い過ぎただろうか、そんな事を考えてしまっている。
 しかしアズワの表情からは、いつもと変わらない温和な笑みしか読み取れなかった。
「………軽蔑したか?アズワ」
「いいえ。我々魔物は皆、魔王陛下の御心のまま、駒の如く動くのみにございます。ただ───」
 アズワはただ深々と頭を下げ、一忠臣として意見した。
「───陛下が崩御なされば、リャナ様の御身がどうなるか。よく、お考えくださいませ」
「…努力しよう」
 臣下に伺いを立てるなんてどうかしてる───魔王はそう頭の中で毒づき、ため息を吐いた。
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