小説
正しいサキュバスの育て方1
 あれから数日が過ぎて。魔王城より遥か北方にある、リリスの居城。
 リリスは比較的赤を好むから、謁見の間も赤の装飾で彩られている。扉から伸びる赤い絨毯、金縁の刺繍が施された赤いカーテン。窓はなく日の光が全く射さないが、紅く燃える蝋燭がそこかしこに設えてある為、部屋の中はとても明るい。
 絨毯の先にいるリリスは、ワイングラスを模した椅子にもたれ、大層な装丁の本を流し読みして微笑んでいる。その表情は、新しいおもちゃを貰って興味が渦巻いている幼子にも似ている。
「随分とご執心ですね。リリス様」
「アルヴィドか。おぬしにしては随分戻るのが早かったのぅ」
「誰のせいだと思ってるんですか」
 アルヴィドと呼ばれた、短く切りそろえた赤髪のインキュバスは、優雅に、しかしどこか気だるげにお辞儀をしてみせると、手に持った封筒をリリスに手渡してきた。
 彼は魔王城の警備を担当している。定期的にリリスに哨戒報告を持ってくる事になってはいるが、とにかく怠け癖の酷い男で、一月に一度顔を合わせればいい方だ。それが、今月はまだ月中だというのに二度も顔を出してきている。
「ふん、わらわのせいじゃと申すか?」
「聞きましたよ。リリス様がリャナちゃんに、魔物相手に術の稽古もつけるよう言ったと。おかげで魔王陛下ぴりぴりしっぱなしで、居心地悪いったらありゃしない」
「うむ、確かにわらわが言った事になっておるな」
 封筒を開け、大した事も書いていない報告書を眺めるリリス。やおら、側に控えていた手の平大のボールのような浮遊物体───使い魔───に書類を見せると、横一文字に入った亀裂の隙間から舌を伸ばし、ぺろっと食べてしまった。
「…何か引っかかる言い方ですね。リリス様の言ではないと?」
「さあどうだったかのう。昔過ぎて忘れてしもうたわ」
「言ってないんですね」
 インキュバスとしてはどちらかというと若手であるアルヴィドだが、リリスの性格は熟知していたからこそ、そう断言した。嘘はつかないが、どちらともつかない言い回しはよくある。
 リリスに例を漏れず、インキュバスやサキュバスなどの夜魔種は快楽主義者が多い。スリルを求めて、人里へ降りて人間をかどわかすし、自分に被害が及ばないよう頭の回転も早い。
 件の発言がリリスではなくリャナ自身が騙ったとしても、何らおかしい事ではないのだ。
「あれからリャナは、剣に術にと稽古に励んでいるようじゃの。全く、ストラの子にしては、血の気の多い娘じゃ。母親に似たかな」
「どちらに似ても、陛下の神経を逆撫でする気質は持ち合わせていそうですけどねぇ…」
「ん?何か言うたか?」
「アリシア様は勇者育成に熱心だったそうですよ。少なくとも剣術の才能は母親譲りなんじゃないですか?」
「うんうん、そうじゃろそうじゃろ」
 満足げに頷いて、リリスはリャナのチャットノートを読み返した。ここしばらくは不調を訴える文言はない。文体からも生気不足の様子はなさそうだ。
 しかし、魔王の方はどうだろう。半人前の『アクア・ヴィテ』だけでは、魔王の癒しには不十分だろうか。次はどんな理由で魔王城へ行って、魔王にちょっかいをかけようか。リリスの頭の中を、色んなシミュレートが巡っていく。
「…リリス様、顔がにやけてますよ」
 指摘され、リリスはこほんと一つ咳払いをして表情を正した。
「何にせよ、魔王の癇癪も一時の事。『アクア・ヴィテ』として側に置く以上、魔物を『エサ』にさせる他にリャナを生かす術はないからのう」
「でも、今あんな状態ですから、きっとこれからもリャナちゃんの仕事の邪魔をしそうですよ?」
「その辺に関しては心配いらぬ。見るがよい」
 リリスが得意げに押し付けてきたのは、リャナのチャットノートだった。頬にめり込むほどに本を当てつけてきて、渋々受け取る。
 他人の日記を読む程、アルヴィドは悪趣味ではない。が、上司にこう言われたら断る訳にはいかない。
 開かれたページの日付は今日だった。先程更新された日記らしい。
 ───シェーヴァの月、11日、晴れ。
 今日は魔王様から、「キスは大切な人とするものなのだから、好きでもない者とキスで生気を吸わなくてよい」と言われました。
 なので、「あたしパパがとっても大切なのに、パパのためにがんばってるのに、しちゃダメなの?」って言ったら、何だかもやもや言って許してくれました。
 魔王様って結構子供好き?今度は何て言い訳しようかな。
「……………………………………………………あのぅ、魔王陛下って………………………………?」
「子供好きなのじゃ、察してやれ」
「はあ…」
「心配はいらぬ、じゃろう?」
「…そう、ですね」
 リリスの満面の笑みを眺め見て、何か別の意味で心配になりながらも、アルヴィドはチャットノートを静かに閉じた。
- End -
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