小説
正しいサキュバスの育て方1
 幾ばくかして、リャナとリリスが寝室から顔を出し、謁見の間へと姿を現した。
「リャナ!」
 落ち着かない様子で寝室を眺めていた魔王が、その姿を捉えるや否や、大急ぎで駆け寄ってきた。床にひざまずき、リャナを抱き寄せる。
 寝室で生気なく横たわっていた先ほどとは違い、少女の頬には赤みが差し、眠気など吹っ飛んだかのような快活な笑顔を魔王へと向けている。触れている体温はとても温かい。
 あちこちをペタペタと触って無事を何度も確認した魔王は、安堵のため息を漏らし、もう一度リャナを優しく抱きしめた。
「リャナ…良かった───本当に、すまなかった」
「…パパ。心配かけて、ごめんなさい。………なんとなく分かってたんだけど、気のせいかなって思って…」
「いいんだ、気付いてやれなかった私が悪いのだ………………あ、リ、リリス」
 リリスはというと、今まさに魔王に背を向けようとしていた所だった。まさかお呼びがかかるとは思わなかったらしく、きょとんと目を瞬いて魔王へ向き直る。
「………その、リャナを助けてくれて、…ありがとう」
 バツが悪そうに告げたその言葉に、ほんの少しの間だけリリスの表情が崩れた。睨んでいるのではない。何かを思い出しているような、笑いを堪えているかのような。だが、そのとても複雑そうな顔はすぐに服の裾で隠された。
「…礼には及びませぬ。サキュバスの長として、陛下の忠臣として、当然の事をしたまで。───さて、さすがに2人分の生気を持って行かれた故、いささか疲れました。来た早々恐縮ですが、おいとましても?」
「あ、ああ。気をつけて帰るがよい」
「はい。それでは」
 頭を下げた時には、リリスの表情はいつもの妖艶な笑みに切り替わっていた。薄いヴェールを翻し、振り返る事無く謁見の間を後にする。
「では、ワシも失礼致します。哨戒部隊には、引き続き勇者一行を見晴らせておきます故」
「ん、ああ、任せた」
 魔王の後ろに控えていたアズワも頭を垂れ、早々に謁見の間を出て行った。
 二人きりになり、魔王は玉座に腰をかけ、リャナをそのひざの上に乗せた。くせの強い金髪をくしゃくしゃと撫でて、少女が迷惑そうに笑うとつられて笑みがこぼれた。
「正直、ほっとした。そなたに万が一の事があったら、ストラとアリシアに顔向け出来ぬからな」
「でも、生気不足でサキュバスが死ぬ事はないって、リリス様が」
「そういう問題ではない。そなたの身に危険が及ぶ可能性がある事が問題なのだ」
「ああ、だからリリス様と相談してくれたんだ。パパ、ありがとう!」
「………は?」
 むぎゅっと抱きついてきたリャナの柔らかさを満喫する前に、引っかかる物言いに首を傾げた。
「剣術稽古の相手をしてくれる魔物の人限定で、サキュバスの術の練習も付き合ってもらってもいいって話。さっきパパと相談したって、リリス様から聞いたの!」
「え───、い、いや、そんなはずは」
 狼狽する魔王。真意を確かめようにも、リリスはもうこの場にはいない。
「リリス様から、『アクア・ヴィテ』の役をこなすには、もっとサキュバスの術を覚えなさいって言われたの。そうすれば、危なくなる事も眠くなる事もなくなるからって。でも、パパを毎日癒さないといけないから、外行って人間は襲えないし、まだ半人前だから危ないって。だから、闘技場で剣術の稽古手伝ってくれる人に、術の練習に付き合ってもらいなさいって」
(あ…あの女…!)
 魔王は肩を戦慄かせ、どこぞの空の下でほくそ笑んでいるであろうリリスを恨んだ。自分の口から言うと全面的に反対されるからと、リャナに決定事項としてリリスが告げたらしい。彼女らしいやり方だった。
「…ダメ、なの?」
「い、いや、そうではないのだが」
 上目遣いで不安そうに尋ねてくるリャナにたじろいで、魔王の口から了承の言葉がこぼれ落ちた。が、すぐに言った事を心底後悔した。ここで適当な言い訳をしておけば、まだ反対できたはずなのに。
「わーい、パパ大好きー♪」
 両手を挙げて上機嫌に笑ったリャナは、魔王の頬に優しくキスを落とした。
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