落ち着いてきました。
先日父方祖母が亡くなりまして。
物理的にも心境的にもようやく落ち着いて来たかな、と。
備忘も兼ねて、書いておこうかなと。


<ここ数年の話>

ここ1、2年くらいでしょうか。祖母にガンが見つかり、腫瘍を取り除く手術などをしていたんです。
でも、別の所に転移していることが分かって。
高齢な為、手術の負担は大きいだろうし、薬を飲んでも改善が見込めず、むしろ薬を飲むと調子を崩してしまう…という有様だったので、薬を飲まずに様子を見る、という方針になったんです。

それからは、経過を調べる検査で通院するだけに留めていて、ずっと落ち着いて過ごしていたように思えました。
ちょいちょい「調子が悪い」とは言ってましたが、それは昔からの口癖でしたのでね。
大体翌日にはケロッとしてるんです。散歩にも行ってましたし、近所の人とのお喋りもそこそこしてましたから。

年末に新型コロナにもかかりましたが、家族の中で一番元気だったんじゃないかな。
まあ高齢という理由で、お高い新型コロナ用の薬をもらえてたというのもあったんですがね(他の家族は対処療法のみ)。

今年に入ると「食欲がない」「便秘がち」と言うようになり、便秘対策で食べやすい物を中心に食べてもらうようになっていました。
検査の数値もあまり良くはなかったようで、病院の先生には「黄疸が出たらすぐに連絡するように」と言われたとか。


<今月に入って→そして入院>

今月に入って黄疸が出るようになっていて、痒みも出ていたので救急搬送で大きい病院へ入院。
担架で運ばれる中でも受け答えはしっかりしており、救急隊員を驚かせていたとか。

ただ、入院してしばらく経つと容態が変わって行って。
見舞いに行った時には、黄疸は全身に広がり、食欲はほぼなく、かゆみや痛みを訴えていました。
黄疸って、本当に肌が真っ黄色になってしまうんですね。
色白だった祖母がここまで黄色くなるものなんだな、と驚いた覚えがあります。
氷が美味しかったらしく、父は見舞いに行く度に砕いた氷を持って行っていました。

病院側は「治療が出来ない患者は置いておけない」と告げ。
また祖母も「家に帰りたい」と希望した為、数週間で退院。
帰ってきた頃には、何十歳も老け込んだように見えました。
…まあ卒寿は超えてましたから、年相応と言えなくもないんですけどね。
むしろ今までは若過ぎたんだろうなと。


<家へ戻ってから>

地味にキツかったのは、意思疎通がまともに取れなかった事でしょうか。
この人はどう考えてもボケそうもない、と思っていたものですから、こうも変わってしまうものかと。
人がいない時は、ベッドで天井を仰ぎながら「誰か」とお話をしていたようです。
敬語だったから、身内では無さそう…くらいしか分かりませんでしたが。

ただ、完全にボケてた訳ではなく、トイレに行きたい、〇〇を食べたい、という要求はありました。
食べれそうにないのに「サバの味噌煮が食べたい」とかも言うんですよね。
結局食べられたのは、氷や缶詰のミカンでしたが、美味しそうに食べていたようです。

あとは、大叔父(祖母の弟)夫婦が見舞いに来た時は頭はしっかりしていたようで、かなり明瞭な会話をしていました。
きっと寝ぼけているようなものだったんでしょうね。ちゃんと人と会話したい時は、頭が覚醒するんだろうなと。

ただ、家に戻ってきて、大叔父夫婦と会話をしたのが限界だったんでしょう。
退院してから数日で、眠るように息を引き取りました。
訪問介護とかケアマネージャーとか手配していたんですが、全くお世話になる事無く旅立って行きました。


<葬儀の前段階>

近所のかかりつけの病院に後事をお願いしていたので、そちらに連絡を。
まだ日も出てない時間帯だったのに、嫌な顔一つせずに看取って頂き、死亡診断書を頂きました。

その後葬儀社に連絡して、手配された車で祖母を運び出し。
レンタルしていた介護ベッドの引き取りも、すぐにして頂いて。
そこから寝室は一気に掃除しましたねえ。
父が、こたつもカーペットも布団も全部片づけてしまうので、急な手際の良さにハラハラしてしまいました。

昼頃になったら、父母は葬儀社へ打ち合わせへ。
当初は家族葬にするつもりでしたが、後々の弔問で大変だからと、通常の葬儀を行う事に。
訃報は自治会内のみに留める事にしました。

関東に住んでる姉は来れないかと思ったんですが、通夜の日に合わせて帰ってきました。
おまけに、私はカットを、母はカット&カラーをしてもらって。
身支度を整えて、葬儀場へ。


<通夜&葬式>

祖父の時は通夜と葬式に参加しただけだったんですが、今回は湯灌も手伝わせていただきました。
浴場にでも行くのかと思いきや、和室で専用のバスタブを用意してもらって、体は前から後ろから泡だらけにしてもらってました。
洗顔&シャンプー&リンスもしてもらい、顔の産毛も整えてもらって、ちゃんと肌を見せない配慮もされてて、プロってすげえ、と感心したものです。
最後には黄疸が隠れるように化粧もしてもらい、見違えるほどきれいにしてもらいました。
…これだけ丁寧にされるのはありがたいですねえ。
顔周りを担当されていた方、イケメンだったしね。面食いな祖母なら大喜びでしょう。

その後は家族のみで通夜を行って、後に一般の方の弔問にも対応して。
翌日は葬式を行い、荼毘にふしてもらい、精進落としをして帰ってきました。
初めて行く火葬場は最近出来た施設でして、年甲斐もなくフラフラしてしまいました。
景観は良かったんだけど、さすがに撮影はNGだそうです。まあ、綺麗でも火葬場だからねえ。


<それからそれから>

あれからしばらくが経ちますが…こうしていると、心がぽっかりというか、何だか寂しいですね。
母あたりは燃え尽き症候群というか、何かこう気力がわかないみたいで。
役所や葬儀社や墓地やお寺さんとの手続きは残ってるので、まだ気は抜けないんですけどね。
心の整理は、まだまだ時間はかかりそうです。
2024.03.25 20:53 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 近況・日常
まあありがちな話かと。
最近本当に訃報が多いですね。
まあ、私が印象に残っている有名人が、というだけなのだから、これからもっと訃報を目にする機会が増えるのだろうなあ…なんて思います。


<俳優・寺田農さん 肺がんのため死去 81歳 「天空の城ラピュタ」ムスカ大佐役など>

俳優で声優の寺田農(てらだ・みのり)さんが死去したことが23日、分かった。81歳。
所属事務所「CESエンタテインメント」が公式サイトで発表した。

同社は「弊社所属 寺田農が2024年3月14日未明、肺がんのため81歳で永眠いたしました」と報告。
「最後まで仕事を続けながら、諦めることなく希望を持って、治療に励んでまいりましたが、桜の開花を待たずして帰らぬ人となりました」とつづった。

寺田さんは1961年に文学座付属研究所に第一期生として入所。
65年に「恐山の女」で映画デビューする。
68年、主演映画「肉弾」で毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。
ナレーターや声優など幅広い分野で活躍し、声優としては86年「天空の城ラピュタ」のムスカ大佐役を務めた。
81年「セーラー服と機関銃」、85年「ラブホテル」、2003年「透光の樹」、09年「仮面ライダーW」などの代表作がある。

…というお話。

「天空の城ラピュタ」ムスカ大佐役の印象が強い方。
でも当人は俳優業が主軸だった為、ムスカ大佐の事はあまり覚えておらず、イベントなどで呼ばれても周囲と話が噛み合わない事もあったそうな。

まあ2日で収録した「ラピュタ」と、何日もかけて台本を覚え演技もする俳優業とじゃ、当人の印象はだいぶ違うでしょうからね。
宮﨑駿氏とも演技で揉めていた、なんてエピソードあったようで、声優業から距離を置いた理由はいろいろ察せられますねえ。
役に対する世間の評判と、声を当てた方の印象は別物なのは、まあ現場あるあるなのかも。

Wikipediaを見ると、去年くらいまでは精力的に俳優業をしていらした様子。
でもがんによる不調って一気にくるものだから、本当に急だったんじゃないかな。

ご冥福をお祈りいたします。
2024.03.23 14:27 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 時事・ニュース
続いていく訃報。
本当に最近訃報が多いですね…。
しかし軒並み60歳代というのが引っかかる…体を壊しがちな年齢ではあるけどもなあ。


<イラストレーター・いのまたむつみさん急死>

イラストレーター・いのまたむつみさんが10日に亡くなった。18日にいのまたさんのXで妹が報告した。

Xの投稿では、イラストを添えた書面をアップ。
「いのまたむつみは2024年3月10日永眠いたしました」とつづり、
「あまりに突然の事で…描きかけのラフもあり、いまも天国で描いているでしょう。だいすきな猫たちに囲まれて、かわいい、強い瞳のキャラたちをどんどん生み出しているはずです」と思いを馳せた。

「いのまたむつみを愛して応援していただきました全ての方々に心から感謝を申しあげます。そしてこれからも変わらず愛していただける事を願いまして、ここに謹んでご通知申しあげます」と謝意を記し、
「葬儀は近親者のみで執り行いました。生前の本人の意向により、ご弔問・ご香典・ご供物・ご献花その他はご辞退申しあげます。何卒ご理解を賜りますよう宜しくお願い申しあげます」と呼びかけた。

バンダイナムコフィルムワークスは
「新世紀GPXサイバーフォーミュラ シリーズのキャラクター原案を手がけていただいた いのまたむつみ先生が 3月10日にご逝去されました 数々の作品にお力添えをいただいておりました 生前のご功績を偲び心からご冥福をお祈り申し上げます」と記した。

いのまたさんは人気ゲーム『テイルズ オブ シリーズ』のキャラクターデザインを長年にわたって担当。
アニメ『機動戦士ガンダムSEED』ではデザイン協力、小説『ドラゴンクエスト』では挿絵・イラストも担当するなど、幅広く活躍していた。

…というお話。

「風の大陸」「小説版ドラゴンクエスト」など、いのまたむつみさんが手がけたイラストは数多くあれど、個人的にがっつりお世話になったのはゲーム「テイルズオブデスティニー」でした。
女性キャラは下品ではないセクシーさがあり、男性キャラは線の細い色気を醸していて、こう雰囲気どストライクでなのです。
コングマンみたいな面白キャラも味があってよかったです。皆、腰回りが色っぽいんですよねえ。

描きかけのラフがあったそうで、本当に急だったみたいですね。
一体何があったのか…残念でなりません。
ご冥福をお祈りいたします。
2024.03.18 20:46 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 時事・ニュース

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