罪の定義。
髪がぼさぼさになってきたから久々に美容院に行ってこようかな、って思ってたら、美容師の姉から近日遊びに行く、と連絡があったそうな。
その時にカットとカラーもしてくれるそうな。
なんてタイムリーな…ってちょっと思ってしまった。いや、お金浮くからありがたいんだけどね。
姪っ子達が一緒に来ていた頃は服を色々買ったものだけど、もうあちらもこっちに遊びに来ることはないんだろうな。
<長野・中3死亡ひき逃げ 逆転無罪の判決見直しの可能性 最高裁で弁論へ>
2015年に長野県で中学生が車にはねられて死亡した事故を巡り、ひき逃げの罪に問われた被告に2審で無罪判決が言い渡された裁判で、最高裁は12月に弁論を開くことを決めました。
東京高裁の無罪判決が見直される可能性があります。
2015年8月、佐久市の路上で当時中学3年生だった被害者が車にはねられ死亡しました。
この事故で車を運転していた被告がはねた後に飲酒を隠そうとコンビニ店に口臭を防止する商品を買いに行ったとして、ひき逃げの罪で在宅起訴されていました。
裁判の主な争点は被告が事故の後に立ち寄ったことが救護義務違反にあたるかどうかで、1審の長野地裁は義務違反にあたるとして懲役6カ月の実刑判決を言い渡していました。
一方、2審の東京高裁はコンビニ店に立ち寄った時間は1分余りだったと指摘し、「被害者の捜索をし、発見された後は実際に救護措置を講じている」などとして、1審の判決を破棄して無罪を言い渡しました。
判決を不服として検察側は上告していて、最高裁は今月29日付で検察側と弁護側の双方から意見を聞くための弁論を12月13日に開くことを決めました。
無罪を言い渡した東京高裁の判決が見直される可能性があります。
…というお話。
無罪、という言葉が先行しているけど、過失致死としては刑は確定しているとか。
今回は救護義務違反が成立するかどうか、という点で逆転無罪の見通しの可能性がある、という話らしい。
この辺はよく分からないけど、この場合併合罪に影響するのかな。
併合罪のうちの一個の罪について死刑に処するときは、他の刑を科さない。ただし、没収は、この限りでない。
併合罪のうちの一個の罪について無期の懲役又は禁錮に処するときも、他の刑を科さない。ただし、罰金、科料及び没収は、この限りでない。
(刑法第46条)
とか
併合罪のうちの二個以上の罪について有期の懲役又は禁錮に処するときは、その最も重い罪について定めた刑の長期にその二分の一を加えたものを長期とする。
ただし、それぞれの罪について定めた刑の長期の合計を超えることはできない。
(刑法第47条)
とかあるらしくって。
件の過失致死の判決内容はネットを漁っても出てこなかったけど、多分こちらは死刑や無期じゃないんでしょう。
なら「過失致死」の刑期に加算されるはずの「救護義務違反」分の刑期が無くなる可能性がある、って事なのかな?
人が死んでいる一件で、車ではねた罪を認めているにも関わらず罪に問えない、というのはやるせないなあ。
救護義務違反の定義とはなんだろう?ひいて、その場から1mも離れたら救護義務違反でいいんじゃないかと思うけどなぁ。
その時にカットとカラーもしてくれるそうな。
なんてタイムリーな…ってちょっと思ってしまった。いや、お金浮くからありがたいんだけどね。
姪っ子達が一緒に来ていた頃は服を色々買ったものだけど、もうあちらもこっちに遊びに来ることはないんだろうな。
<長野・中3死亡ひき逃げ 逆転無罪の判決見直しの可能性 最高裁で弁論へ>
2015年に長野県で中学生が車にはねられて死亡した事故を巡り、ひき逃げの罪に問われた被告に2審で無罪判決が言い渡された裁判で、最高裁は12月に弁論を開くことを決めました。
東京高裁の無罪判決が見直される可能性があります。
2015年8月、佐久市の路上で当時中学3年生だった被害者が車にはねられ死亡しました。
この事故で車を運転していた被告がはねた後に飲酒を隠そうとコンビニ店に口臭を防止する商品を買いに行ったとして、ひき逃げの罪で在宅起訴されていました。
裁判の主な争点は被告が事故の後に立ち寄ったことが救護義務違反にあたるかどうかで、1審の長野地裁は義務違反にあたるとして懲役6カ月の実刑判決を言い渡していました。
一方、2審の東京高裁はコンビニ店に立ち寄った時間は1分余りだったと指摘し、「被害者の捜索をし、発見された後は実際に救護措置を講じている」などとして、1審の判決を破棄して無罪を言い渡しました。
判決を不服として検察側は上告していて、最高裁は今月29日付で検察側と弁護側の双方から意見を聞くための弁論を12月13日に開くことを決めました。
無罪を言い渡した東京高裁の判決が見直される可能性があります。
…というお話。
無罪、という言葉が先行しているけど、過失致死としては刑は確定しているとか。
今回は救護義務違反が成立するかどうか、という点で逆転無罪の見通しの可能性がある、という話らしい。
この辺はよく分からないけど、この場合併合罪に影響するのかな。
併合罪のうちの一個の罪について死刑に処するときは、他の刑を科さない。ただし、没収は、この限りでない。
併合罪のうちの一個の罪について無期の懲役又は禁錮に処するときも、他の刑を科さない。ただし、罰金、科料及び没収は、この限りでない。
(刑法第46条)
とか
併合罪のうちの二個以上の罪について有期の懲役又は禁錮に処するときは、その最も重い罪について定めた刑の長期にその二分の一を加えたものを長期とする。
ただし、それぞれの罪について定めた刑の長期の合計を超えることはできない。
(刑法第47条)
とかあるらしくって。
件の過失致死の判決内容はネットを漁っても出てこなかったけど、多分こちらは死刑や無期じゃないんでしょう。
なら「過失致死」の刑期に加算されるはずの「救護義務違反」分の刑期が無くなる可能性がある、って事なのかな?
人が死んでいる一件で、車ではねた罪を認めているにも関わらず罪に問えない、というのはやるせないなあ。
救護義務違反の定義とはなんだろう?ひいて、その場から1mも離れたら救護義務違反でいいんじゃないかと思うけどなぁ。
けじめをつける、という話。
最近急に涼しくなって、毛布足そうか厚手の上着増やそうかと色々悩んでおります。
冷えが来たためか聴覚過敏も強く出るようになり、些細な水飛沫の音が耳に残ってちょっとしんどいです。
肩の凝りから来る頭痛もちらほらあって、体を冷やさない工夫はしていかないとな、と。
<静岡県警本部長が袴田巖さんに直接謝罪 「申し訳ありませんでした」 再審の無罪判決確定を受け>
1966年に当時の静岡県清水市で味噌製造会社の専務一家4人が殺害された強盗殺人放火事件をめぐり、やり直しの裁判で一度は死刑が確定した袴田巖さん(88)に無罪が言い渡され、判決が確定したことから静岡県警の津田隆好 本部長は10月21日午前11時頃、浜松市中央区にある袴田さんの自宅を訪れ、直接謝罪しました。
面会の中で津田本部長は袴田さんと姉・ひで子さんに対して
「逮捕から無罪確定までの58年間の長きにわたり言葉では言い尽くせないほどのご心労・ご負担をおかけし申し訳ありませんでした。今後、静岡県警察といたしましてはより一層緻密かつ適正な捜査に努めてまいります。申し訳ありませんでした」
と頭を下げました。
これに対し、ひで子さんは
「58年も前の出来事ですから、私たちは運命だと思っております。巖も私もそう思っておりまして、今さら警察に苦情を言うつもりはありません。きょうはわざわざおいで下さりありがとうございました」
と話し、袴田さんは
「権力を持ったらグズグズ言わないようにしないと。そう心得ております」
と述べています。
袴田さんに無罪が言い渡された9月26日の再審判決では、静岡地裁が捜査機関による証拠の捏造を認定していました。
一方で検察は畝本直美 検事総長の談話を発表したのみで、袴田さんに対する直接の謝罪は行っていません。
また、県警によると津田本部長は10月11日に被害に遭った専務の孫とも面会し、長年にわたって心労をかけていることを詫びた上で、事件の真相を解明できなかったことについて「申し訳ない」との思いを伝えているということです。
津田本部長との面会を終え、ひで子さんは
「今さら恨みつらみを言ったところで始まらないと思う。職務上来ているのだろうから、その人にうだうだ言ったところで何もならない。巖に死刑囚でなくなったということを、忘れるための踏ん切りをつけてほしいと思ってきょう(本部長を)迎えた」
と話しています。
…というお話。
県警の本部長といっても、今回の問題に最初から関わってたはずはないでしょうからね。
礼儀というか形式的なものでもあるんでしょうが、それでもけじめとして袴田巖さんやひで子さん、そして被害者の親族にもちゃんと頭下げられてえらいなと思いました。
これで一区切りついた、となるのかな。
袴田さん達は、まだまだ方々へ引っ張りだことなりそうですね。
お疲れ様でございました。
冷えが来たためか聴覚過敏も強く出るようになり、些細な水飛沫の音が耳に残ってちょっとしんどいです。
肩の凝りから来る頭痛もちらほらあって、体を冷やさない工夫はしていかないとな、と。
<静岡県警本部長が袴田巖さんに直接謝罪 「申し訳ありませんでした」 再審の無罪判決確定を受け>
1966年に当時の静岡県清水市で味噌製造会社の専務一家4人が殺害された強盗殺人放火事件をめぐり、やり直しの裁判で一度は死刑が確定した袴田巖さん(88)に無罪が言い渡され、判決が確定したことから静岡県警の津田隆好 本部長は10月21日午前11時頃、浜松市中央区にある袴田さんの自宅を訪れ、直接謝罪しました。
面会の中で津田本部長は袴田さんと姉・ひで子さんに対して
「逮捕から無罪確定までの58年間の長きにわたり言葉では言い尽くせないほどのご心労・ご負担をおかけし申し訳ありませんでした。今後、静岡県警察といたしましてはより一層緻密かつ適正な捜査に努めてまいります。申し訳ありませんでした」
と頭を下げました。
これに対し、ひで子さんは
「58年も前の出来事ですから、私たちは運命だと思っております。巖も私もそう思っておりまして、今さら警察に苦情を言うつもりはありません。きょうはわざわざおいで下さりありがとうございました」
と話し、袴田さんは
「権力を持ったらグズグズ言わないようにしないと。そう心得ております」
と述べています。
袴田さんに無罪が言い渡された9月26日の再審判決では、静岡地裁が捜査機関による証拠の捏造を認定していました。
一方で検察は畝本直美 検事総長の談話を発表したのみで、袴田さんに対する直接の謝罪は行っていません。
また、県警によると津田本部長は10月11日に被害に遭った専務の孫とも面会し、長年にわたって心労をかけていることを詫びた上で、事件の真相を解明できなかったことについて「申し訳ない」との思いを伝えているということです。
津田本部長との面会を終え、ひで子さんは
「今さら恨みつらみを言ったところで始まらないと思う。職務上来ているのだろうから、その人にうだうだ言ったところで何もならない。巖に死刑囚でなくなったということを、忘れるための踏ん切りをつけてほしいと思ってきょう(本部長を)迎えた」
と話しています。
…というお話。
県警の本部長といっても、今回の問題に最初から関わってたはずはないでしょうからね。
礼儀というか形式的なものでもあるんでしょうが、それでもけじめとして袴田巖さんやひで子さん、そして被害者の親族にもちゃんと頭下げられてえらいなと思いました。
これで一区切りついた、となるのかな。
袴田さん達は、まだまだ方々へ引っ張りだことなりそうですね。
お疲れ様でございました。
最後まで俳優人生。
最後の最後まで役者で在り続けられた人は、果たしてどれほどいるんでしょうね。
<俳優・西田敏行さん死去 東京・世田谷区の自宅で 76歳>
きょう正午すぎ、俳優の西田敏行さんが東京・世田谷区の自宅で死亡しているのが見つかりました。76歳でした。
捜査関係者によりますと、きょう正午すぎ、世田谷区にある西田敏行さんの自宅で、西田さんがベッドで冷たくなっていると関係者から通報があったということです。病死とみられています。
西田さんは1947年、福島県郡山市の出身。
中学を卒業後に上京し、1970年に「劇団青年座」に入団すると、その後も「釣りバカ日誌」シリーズをはじめ、映画やドラマに多数出演。俳優として活躍しました。
また歌手としても、「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒットし、「紅白歌合戦」にも出場しています。
2018年には「旭日小綬章」にも選ばれていました。
…と言うお話。
西田敏行さんといえば「釣りバカ日誌」ですね。
ちょっと強引だけど決して悪い人じゃないハマちゃんの役は、良いキャラだったと思います。
「人生の楽園」ではナレーションを担当されてますし、冒頭の語りだしが聞き馴染んでいて、まだまだお元気だと思い込んでいました。
「5~6年ほど前から『西田さんを長時間、歩かせるシーンは控えるように』という指示が出されていました」という話もあったらしく、病を押しても役者で在り続けたかったことが伺えますね。
また、周囲が西田さんの体調を慮るように動いてくれたというのも、人徳の為せるものだと思います。
亡くなった今日も仕事の予定を入れていたらしく、まさに役者として人生を全うしたと言えるでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。お疲れ様でした。
<俳優・西田敏行さん死去 東京・世田谷区の自宅で 76歳>
きょう正午すぎ、俳優の西田敏行さんが東京・世田谷区の自宅で死亡しているのが見つかりました。76歳でした。
捜査関係者によりますと、きょう正午すぎ、世田谷区にある西田敏行さんの自宅で、西田さんがベッドで冷たくなっていると関係者から通報があったということです。病死とみられています。
西田さんは1947年、福島県郡山市の出身。
中学を卒業後に上京し、1970年に「劇団青年座」に入団すると、その後も「釣りバカ日誌」シリーズをはじめ、映画やドラマに多数出演。俳優として活躍しました。
また歌手としても、「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒットし、「紅白歌合戦」にも出場しています。
2018年には「旭日小綬章」にも選ばれていました。
…と言うお話。
西田敏行さんといえば「釣りバカ日誌」ですね。
ちょっと強引だけど決して悪い人じゃないハマちゃんの役は、良いキャラだったと思います。
「人生の楽園」ではナレーションを担当されてますし、冒頭の語りだしが聞き馴染んでいて、まだまだお元気だと思い込んでいました。
「5~6年ほど前から『西田さんを長時間、歩かせるシーンは控えるように』という指示が出されていました」という話もあったらしく、病を押しても役者で在り続けたかったことが伺えますね。
また、周囲が西田さんの体調を慮るように動いてくれたというのも、人徳の為せるものだと思います。
亡くなった今日も仕事の予定を入れていたらしく、まさに役者として人生を全うしたと言えるでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。お疲れ様でした。