小説
贈り物には黄色い薔薇を・01
 村の一番奥の、大きな木を背にした一軒家。一人で住むにはあまりに大きい二階建ての家の窓を、春を告げる風が撫でるように通り過ぎていく。
 家の二階。見事に咲き誇る花々を添えた窓の向こうで、一人の女性がベッドに突っ伏して寝息を立てている。
 桃の花を思わせる色彩の長い髪は無造作に彼女の顔にかかり、肌の色は普段よりも少しだけ青ざめている。
 ベッドの周りにはそこかしこに彼女のものと思われる靴や腰当や髪留めが散乱している事から、深夜に戻ってきて倒れるように撃沈した事が伺えた。
 お日様はそろそろ空の真上に差しかかろうとしているのに、彼女の眠りは覚める事はない。
 穏やかな気候を突き崩すように、窓の外からベンボロベンボロと不協和音が鳴り響く事を除けば、それはおおむね普段と変わらぬ日常だ。

 が───
「ぎにゃあああああああっ!」
 不協和音の途切れと共に突如響き渡った大音量の悲鳴に、寝返りを打とうとした彼女───那由羅は勢い余ってベッドから転がり落ちた。
 ついでに、ベッドの側に落ちていたロリマー聖鉄製の腰当で頭を打ち付けて、声にならない悲鳴をあげる。
「〜〜〜〜〜っ!」
 目の中に星が飛び散るという、ある意味ファンタジーな目覚めを迎えて、那由羅は激痛走る頭を押さえて起き上がった。
「う〜〜…」
 頭はずきずきするが、完全覚醒とまではいかない。眉間にシワを寄せて彼女は部屋を見回すが、どうやら悲鳴の発生源が家の中ではないらしい。
 窓から村の広場を眺めてみるが、村長宅とベルボの工房の間からはいつものように金色の女神像の後姿が見える。
 原因が分からぬままとりあえず那由羅は、飾るには季節はずれな『小粋なスノーマン』にぶつけた頭を当てて冷やし始めた。
「那由羅さ〜んっ!」
 たんこぶの出来た頭が癒され始めた頃、階下から声が聞こえてきたと顔を階段に向ければ、大きい蝶々のようなものが舞うように飛び込んでくる。
 白花色の髪の横でクローバーの髪留めが揺らめき、それの通った軌跡に星のような輝きが零れ落ちる。
 空色のマントに身を包んだその姿に、初めて出会った時の事を那由羅は思い出した。夜に見たら幽霊に見えるかもしれないな───と。
 差し出した手の上にそんな小さな妖精───リーンが着地すると、雪だるまにしがみついた那由羅を見て、目をぱちくりさせた。
「………何やってるんですか?」
「あたまいたくて…」
 と言った途端に頭痛がひどくなって、那由羅は雪だるまに身を寄せた。ひたすら冷気を周囲に撒くこの置物を冬場に手に入れた時はどうしようかと思ったが、暖かくなってくるとその恩恵がひしひしと伝わってくる。
 そんな那由羅の冷えた頭とは対照的に、リーンは顔を赤くして大声を張り上げた。
「当たり前ですっ!マスターのところでトライアングル二十杯も飲んでっ!」
「いや…まぁ…それも、あるんだけど…」
 弁明は山ほどしたかったが、頭が痛くてそれどころではない。
 自分の手の上で足を組んで、ぷりぷり怒って愚痴を続けるリーンの言葉を遮って、那由羅はぼそりと聞いた。
「ところで、さっきの声、なに?」
「ああ、そうそう。忘れてました。どうやら、村長さんみたいですよ」
 言われてみればと、叩き起こされた際の悲鳴を思い出した。確かに、あんな声を上げるのは他に思いつかない。
「…また、屋根が穴開いたのかな。そういえば、最近は女神は壊れても、村長宅の屋根の穴開けの話はなくなったよね」
「最近、屋根はアルテナ合金で補強してるらしいですよ。だからタナトスに穴開けられないんだって自慢してました」
「その補強費はどこから捻出してるんだかね…」
「そんな事より、とりあえず行ってみましょうよ!タナトスの仕業かもしれませんし」
 いつものようにはりきって飛び回るリーンを見て、那由羅はため息を一つ漏らした。頭を掻いて、雪だるまを手がかりに立ち上がる。
 正直な話、村長が悲鳴を上げる時は大概ロクでもないトラブルが起こっている時なので、村に出向くのは気が重かった。
 とはいえ、無視を決め込むわけにもいかない。結局は行かなければならないのだ。
「…仕方ないなぁ…着替えるからちょっと待ってて…」
「顔洗ってきて下さいね。お酒臭いですよ」
「はーい」
 乗り気のしない返事を返して、那由羅はベッドまで戻って落ちている衣服を拾い始めた。
 着替えをしていると、那由羅は、あ、と声を上げて、階下へ降りようとしていたリーンに声をかけた。
「ところでリーンちゃん。私、ぞうさんマンゴーのジュースが飲みたいのですが」
 リーンはしばらくポカンと口を開けてその場で固まっていたが、急に頬を膨らませたと思ったら怒りを撒き散らしてきた。
「もうっ、うちにぞうさんマンゴーはありませんっ。魔界の実のジュースでいいですか?!」
「う…あの激苦はちょっと…ならやっぱいいです…」
「なら、すずぶどうにしますよっ」
 そう言って、リーンはこちらの返事を待たずに階段を降りてしまった。
 そっと部屋の端まで歩いていって、階段の下に耳をすませてみると、リーンが愚痴をこぼしながら食器らしきものを持ち運ぶような音が聞こえてくる。
 玄関口まで行ったのかリーンの物音が消えてなくなると、那由羅は思わず苦笑いした。
「…ほんっとに、リーンちゃんって世話焼き女房だよね…」
 誰に言うでもなくそう呟いて、彼女もまた水を汲みに階下へと降りていった。
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