小説
贈り物には黄色い薔薇を・06
 月曜昼。
 天井を照らしていたはずの日の光は、今はもう斜めに傾き、黄金色に変化していた。
 周囲に鬱蒼と茂る木々は、黄昏の光景に自分の色を忘れたのか、まるで月の精霊に祝福された黄金の木のような輝きを実らせている。
 そんな、夜闇の影を少し落としたこの白の森に、那由羅、リーン、紫苑は、予定通り赴いていた。
 ───結局、月のマナストーンは無事必要数集まり、虫の糸も一本分は集まっていた。
 今頃、ベルボは弦の合成を、ジェニファーとドゥエルはバザーに赴いているはずだ。
 バザーで首尾よく必要な数が集まれば問題なく、仮に集まらなかったとしても、那由羅が白の森で虫の糸を集め切れば、弦は完成する。
 はずなのだが───

「また虫肉かー…こんな時でもなければ、持って帰って貯めとくんだけどなぁ…」
 メガクロウラーが落とした虫肉を拾い上げ、那由羅は大きくため息をついた。
 森に入ってからというものの、こんな状態が何度も続いていた。かれこれ十数回戦闘を行っているが、虫の糸は二・三本集まった程度で、残りは全部虫肉だ。
 気づけば道具袋には虫肉が溢れ返り、虫肉の使い道を考えると、処分しようにもしにくい状態になっていた。
「仕方ないですよ。今はそれどころじゃないんですから」
「だよねー…」
 リーンにも促され、那由羅は渋々虫肉を投げ捨てた。
「でも、紫苑さんもそろそろ疲れてきたみたいですね。どうしましょう…」
 疲労の色の濃い紫苑にリフレシンを与えながら、那由羅は二胡をケースにしまった。
「…一旦村に戻ろうか。急げば昼の刻のうちに村へ戻れるだろうし。紫苑を少し休ませて、いらないアイテム片付けて、また虫の糸を集めに来ようよ」
「そうですね」
 楽器ケースと道具袋を担いで、未だメガクロウラーが跋扈する森の出口へと歩を進めた。
「それにしても…メガクロウラーの新種、ギガクロウラー、でしたっけ?出てきませんね」
「滅多に出てこないらしいからね。まぁ、出てこないものをアテにしても仕方がないよ」
「それもそうですね…せめて、バザーで虫の糸があればいいんですけど…」
「値段がつりあがってる可能性があるからね…でも、数が揃ってれば、もう一度ここに来る手間も省けるし」
「でも、村長さんの嫁入り道具は一通り揃ってよかったですね」
「まさか、本当にノボリゴイ釣ってくるとは思わなかったなぁ。私もフレンドから貰った位なのに」
「それは単純に、那由羅さんの運が悪かったからじゃないんですか?」
「えー。私が釣った訳じゃないのに───」
 那由羅がそこまで言った所で、計らずとも二人と一匹は足を止めた。リーンと那由羅は顔を見合わせ、二人で揃って左の方を見やった。
 歩いてきた道を少し戻った所───メガクロウラーが動き回っている中、一匹だけ外皮の色が違うメガクロウラーがいる。
 メガクロウラーの色味を見て、ドゥエルが言っていたメイメイさんの占いを思い出した。確か───
「ラッキーカラー───赤?」
「でしたね、確か…」
 そのメガクロウラーの外皮は、赤みを帯びていた。悠然と佇む姿はまさに王者の風格───とまではいかないが、少なくとも他のメガクロウラーよりは強そうな印象を受ける。
 那由羅とリーンはたっぷり五秒は赤い昆虫を凝視し、まったく同時に顔を見合わせて声をあげた。
「あれだ!」
 那由羅はケースから二胡を取り出して構え、赤いメガクロウラー─── ギガクロウラー ───を指差して、紫苑に攻撃の合図を送った。
「行くよ、紫苑!あれ倒したら、時計パインのアップサイドダウンケーキ食べ放題よ!」
「きゅー♪」
 二胡の音色と食べ物につられた紫苑は、目をキラキラ輝かせてメガクロウラーに突進していった。
 よそに気を取られていたらしいギガクロウラーは、こちらに気付かなかったらしい。飛び掛った紫苑の強烈な体当たりを受けて、体が軽く吹っ飛んだ。
 目を回しているギガクロウラーに追い討ちをかけようと紫苑は踊りかかったが、他のメガクロウラーが横から割り込んでくる。
 メガクロウラーの攻撃を避けるのに精一杯な紫苑は、なかなかギガクロウラーの所まで行く事ができない。が───
「サポートしますっ───力を貸して下さい!」
 リーンは道具袋から出した水のマナストーンを高く掲げた。
 呼びかけに応えた蒼いマナの結晶は、リーンを中心に冷気の渦を起こし、氷の刃を周囲に撒き散らす。
 氷の刃にあてられたメガクロウラー達はあっという間に雪だるまと化し、しばらくじたばた暴れたようだがすぐに動かなくなった。
「でかした。リーンちゃん♪」
「えへへ」
 那由羅の賞賛に、照れ恥ずかしそうに頭を掻くリーン。
 一方、あっさり蹴散らされた色違いの同胞達を見て、ギガクロウラーは一目散に逃げ出した。
「あ、逃げるなっ───紫苑、リーンちゃん、追いかけて!」
「きゅっ!」
「はいっ!」
 ギガクロウラーの後をリーンと紫苑が空と陸から追いかけだし、那由羅もまた、二胡をケースにしまって後を追いかけた。

 既に姿も見えなくなってしまった一人と一匹の姿を見なくても、方角から大体行く先は知れた。どうやら、白の森の北東、湖岸へと向かっているらしい。
 それほどの距離があるわけではない。いくばくか走り続け目的地に到着した那由羅は、荒くなった息を深呼吸で正して周囲を見回した。
 湖の水面はわずかに揺らめいているだけで、ギガクロウラーが飛び込んだ様子は見られない。優しい風が葉擦れの音色を奏でてはいるが、生き物特有の物音は周囲の茂みからは聞こえてこなかった。
「紫苑、リーンちゃん…どこー?」
 不安というわけではないものの、その静けさが不気味に感じられて、那由羅は周囲に声をかけた。が、返事が返ってくる事はない。
「…おかしいな。道はここしか繋がってないんだけどな…」
 頬を掻いて一人つぶやくが、やはり誰の返事もない。
 どうしたものかと途方に暮れ、湖に照らされた夕焼けを眺めている、と───右側の茂みから、がさりという物音が聞こえた。
「…紫苑?」
 物音の先を向いて名をあげると、おずおずと青色のラビが顔を出した。耳を垂らし、伏目がちに声をあげる。
「…きゅー」
「そっか、逃げられちゃったか───仕方ないね。リーンちゃんの方で分かるかもしれないし、戻りを待とうか」
 近づいてきた紫苑の耳の下を撫でてあげると、嬉しそうに頬ずりを返してきてくれた。
 彼女は抱き上げた紫苑を下ろすと、湖の色合いを目を向ける。
 湖面に照らされた色は、赤、青、そして紫と揺らめいて、また赤と姿を変えている。そしてゆるやかに、確実に、その連鎖は闇色を濃くしていく。
 去年の同じ時期にも見たこの光景。姿も色も同じはずなのに、その闇色が以前と比べて深く感じるのは、恐らくは気のせいではないはずだ。
 随分昔、どこかの空のどこかの地で、草人が言っていた事を思い出す。
 ───ココロがあるひとは、みんなどこか、いっちゃうんだよね。ボクら、ココロないから、どこにもいかないんだって───
「…まぁ、その辺りの事は考えても仕方ないんだけど、ねぇ」
 一人ぼやいて、那由羅は思考を切り替えた。今しなければならない事が他にあるはずなのだから。
「それにしても困ったね。日の暮れ具合から見ても、村に帰ったら夜になっちゃうなぁ。なんとかして、ここでギガクロウラーの糸を手に入れておかないと…ねえ、紫苑?」
 紫苑に視線を戻す。と、何故か青色のラビはこちらを凝視したまま威嚇していた。大きな耳を立てて、短い毛並みを逆立てている。
「どうしたの、しお───」
 突如訪れた恐怖と怖気に、那由羅は言葉を失った。この場からすぐ離れなければならない衝動が背筋を駆け上がる。
「那由羅さん、後ろっ!」
 頭上からのリーンの悲鳴を聞いたのは、彼女がそれから逃げようと前方へ飛び出したあとだった。
 直後、背後から見舞われた衝撃波に、那由羅と紫苑は一緒くたに吹っ飛ばされ、茂みの中に放り込まれた。
「っ───!」
 気がつけば土と木の葉に埋もれていた那由羅は、全身を駆け巡った痛みを堪えながら衝撃の原因を視界に捉えた。
 最初に目に付いたのは、人間の背丈の倍はあろうかというほどの巨大な鎌だった。昆虫類を思わせる鎧のような外殻に守られるように、中央に置かれた二つの真っ赤な瞳がこちらを睨みつけている。
 人間はおろか、飼えるペットの中にも、これほど大きいモンスターはいない。
 マンティスアント───高級食材としても、捕獲・退治が非常に難しい事でも有名なモンスターだった。
 とはいえ、戦闘技術の高い紫苑の敵ではない。指示を出すべく手を後ろに滑らせて───彼女が愕然とした。二胡のケースがない。
 再びマンティスアントを見やれば、その足元に道具袋と一緒にケースが転がっていた。道具袋の口からは虫肉が溢れている。
 自分の好物を目の当たりにして、マンティスアントは目の色を変えた。巨大な鎌を使って、器用に道具袋の虫肉を漁り始める。
「やばっ」
 道具袋の中にはハープのケースも入っている。ケースはある程度強固に出来ているが、マンティスアントのような巨大なモンスターに踏まれればひとたまりもない。
「ダメです!今行っちゃあ!」
 リーンの制止の声を聞く前に、那由羅の足はマンティスアントの足元へと走り出していた。
 できるだけ視界に入らないよう、回り込んで近づいたつもりではいたのだが、後数歩で道具袋に届く───そこまで来て、轟音と共に、目の前に鎌が落ちてきた。
 慌てて足を止め見上げると、食事の邪魔をされて腹を立てたマンティスアントが睨みをきかせている。
「うっ…」
 下がるべきか進むべきか───そう躊躇っている那由羅に向けて、巨大な鎌が振り上げる。が。
「きゅーっ!」
 鎌が振り下ろされるすんでの所で、紫苑が横から踊りかかってきた。紫苑の体当たりはマンティスアントの頬に直撃し、数歩たたらを踏む。
 那由羅は、その隙に近くにあった二胡に手を伸ばしたが、態勢を整えたマンティスアントの足が運悪く二胡のケースを蹴りつけ、茂みの中に消えてしまう。
「ちっ!」
 舌打ち一つして、一度距離をとるべく後ろへ下がる那由羅。
 一方マンティスアントは、攻撃を加えてきた紫苑を鎌の腹で横なぎした。紫苑の体は軽く吹っ飛び、木の幹に叩きつけられる。
「───紫苑!」
 ぐったりしている紫苑を、那由羅は駆け寄って抱えあげた。怪我自体は大した事はないが、木に叩きつけられて一時的に目を回しているらしい。
「よくも───紫苑さんのカタキ!」
 リーンはマンティスアントの周囲を勢いよく旋回しながら、足元の道具袋から飛び出した火のマナストーンを掠め取った。再び頭上へと高く飛び上がったリーンの手から、灼熱の炎がほとばしる。
 薄暗闇の中、目の前に突如訪れた業火の渦に、マンティスアントの体が飲み込まれた。静寂の森の中に、モンスターの悲鳴が響き渡る。
 那由羅は紫苑を抱えたまま走り出し、火だるまになっているマンティスアントの足元の道具袋を拾い上げた。森の奥の道に向かいながら、リーンに向けて声を荒げる。
「一旦退くよ!」
「でも、楽器は?!」
「後で回収すればいいから!」
 そう告げられたリーンは、一人うなづいて那由羅を追いかける。
 那由羅の横に飛んできたリーンが追いつくと、彼女が走ったまま愚痴を撒き散らした。
「ってゆーかっ、なんで今日マンティスアントが出てくんのよ!出るなら明日でしょーが!」
「マスターが欲しがる曜日がたまたま明日なだけでっ、普段は住み着いてると思うんですけど!」
「それはそうだけど───ああもう、あんな雑魚に遅れを取るなんて…ムカツク!」
「それよりも那由羅さん!ギガクロウラーの居場所、分かりました!南東の鉱石地帯に巣穴があるみたいです!」
「よし。そっちに行こう!今度こそとっちめる!」
「はいっ!」
 モンスターの蔓延る森を抜け、二人と一匹の足は鉱石地帯に向けて走り出した。
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