小説
贈り物には黄色い薔薇を・07
 月曜夜。
 白の森の鉱石地帯へたどり着いた那由羅は、紫苑にはちみつドリンクを与えながら心配そうに声をかけた。
「ごめんね、紫苑…大丈夫?」
「きゅっ!」
 気を失っていた紫苑だったが、目を覚ますなり意気揚々と声を荒げ、戦闘態勢が万全である事をアピールしてみせる。
 その頃、ギガクロウラーの行方を追っていたリーンが戻ってきた。
「リーンちゃん、どうだった?」
 リーンは那由羅の肩に着地すると、少し顔を曇らせた。
「…巣穴っぽいものは見つかったんですけど…穴の中が暗すぎて、ギガクロウラーがいるかはちょっと…」
「そっか…まぁどのみち、この時間なら何かの方法でおびき出さないといけないよね」
「それもそうですけど…そんな事よりも、これからどうするんですか?楽器は湖岸に置きっぱなしですし、これじゃ戦闘をしようにも…」
「そうなんだよね…んー…」
 那由羅は思案顔を浮かべ、手に握った道具袋の中身を見やった。
 ギガクロウラー対策に持ってきた水のマナストーンはあと一つ残っている。はちみつドリンクは三つあるから、多分一回の戦闘で使い切る事はないだろう。虫の糸は三本、あとは虫肉がいくばくか。
 そして───
「…リーンちゃん。さっきの場所に戻って、二胡拾ってきてもらえない?」
「え。でも…」
「マンティスアントがうろついてたら、戻ってきてもいいから」
「…はい」
「気をつけてね」
 リーンは小さくうなずいて、白い衣をはためかせて舞い上がった。そのまま速度を変えずに、暗い森の空へと消えていく。
 彼女を見送ってしばらくして、那由羅は道具袋からハープのケースを取り出した。
「…三年ぶりかな?うまく行くかどうか、分からないけど───慣れない音で悪いけど、頑張ってついてきてね。紫苑」
「きゅっ」
 紫苑の威勢のいい声に優しく微笑み返して、那由羅はケースからハープを出して、音を確かめる。
 深呼吸を一つして、彼女はハープの音色に、自分の声音を乗せた。


 ───喜び満ちた、空は影を落として、過ぎ去りし日々は、夢の淵に消えた
 ───心の嘆きは、闇の姿映して、黒い嵐は、ここから目覚める
 ───人よ、勇気の翼広げて、人よ、癒しの歌を奏でよ
 ───紡いだ祈りは、絆の雫となり、彼の人の想いを、あなたへと届けた───

 月の精霊力を帯びた楽器で、生物の攻撃中枢に作用する曲をかき鳴らし、音が届く範囲にいるであろうギガクロウラーを興奮させる事で巣穴からおびき出す。
 最も月の精霊力が強くなる月曜の夜とはいえ、弦の不足を思いついた歌詞で適当に歌って補うしかなかったので、あまり期待しなかったのだが───意外な事に、効果はすぐに出た。
 一曲弾き終えて気がつけば、その場の空気は一変していた。静寂しかなかった鉱石地帯に、少しずつ憤怒と憎悪の吐息が広がっている。
 殺気のこもった赤い瞳が一つ、また一つと増えていく中、一対だけ強い光を放つ目と、那由羅の目がかち合った。
「誤算だったな…リーンちゃんが戻ってくるタイミングで、出てきてくれるのを期待してたんだけど」
 一人ぼやいて紫苑に目配せをすると、青色のラビは一歩前へ踏み出る。月の加護を受けているラビだけあって、音色の影響を強く受けたらしい。目を血走らせ、今にも飛び掛りそうだ。
「まぁ、仕方ないか───お互い、待ったなんてできないものね!」
 そう言って不敵に笑った那由羅が戦闘用の音楽へと切り替えると、紫苑は姿を現したギガクロウラーとメガクロウラーに向かって飛び出した。

 ───駆けよ、茨道を、剣持ちて、旅立て
 ───嵐越え、闇払い、罪深き大地へ
 ───月影、照らす空、この手に、栄光の、証しを───

 ───ハープって、結構便利かもしれない。
 普段持っている二胡は身の丈ほどの長さがある。戦闘中にモンスターがこちらに襲い掛かってきた場合、演奏を中断して逃げなければならず、紫苑の集中を妨げる事が多かったのだ。
 ハープだと、ボディのベルトを肩にかける事ができる為、移動しながらの演奏ができる。多少音を外す事はあるだろうが、演奏が中断する事はない。
 二胡にも腰で固定できる短めの物があるので、戦闘用に購入を検討してみるべきか───
 などと思いながら那由羅は身を屈め、飛んできたメガクロウラーをかわした。無論、演奏しつつ、歌いつつ。
 目標を見失って地面に転んだメガクロウラーを、暴れないよう踏みつけながら、彼女は紫苑を見やった。
 紫苑の周りにいるのは、メガクロウラーが二匹とギガクロウラーが一匹。
 先の演奏の影響もあって、戦闘開始直後は回避や防御を無視したぶつかり合うだけの状況だったが、曲が切り替わった事で効果が薄れてきたらしい。
 紫苑は、メガクロウラーの猛攻をかわしながらギガクロウラーを集中的に叩きだし、周りのメガクロウラーとギガクロウラーは連携を組んで、紫苑に向けて交互に攻撃を浴びせ始めている。
 那由羅は足元のメガクロウラーを蹴飛ばして近くの茂みに放り込むと、転がしておいた道具袋を奏でていない手で開けて中身を確認する。
 先程一つ使用した為、はちみつドリンクは二つになっている。あとは水のマナストーンが一つ。
 ───今なら、マナストーンを使えばすぐにカタはつくんだけど…。
 精霊とのシンクロ率が高いリーンだと、マナストーンの使用にさしたる時間はかからないが、那由羅が使うと精神集中と発動の手順に結構な時間がかかる。無論、その間は演奏を中止しなければならない。
 『信心が足りないからです!』とリーンが言うのだから、常日頃女神像に御賽銭をあげていれば発動スピードが早まるかもしれない。が、こんな切迫した状況で急に祈った所で、精霊とのシンクロ率が高まるとは到底思えなかった。
 戦闘開始から随分時間が経過しているから、騒ぎを聞きつけていれば、そろそろリーンも湖岸から戻ってこれるはずだが───
「っ!」
 新たに生まれた気配に視線を向けると、紫苑の後ろの茂みから、メガクロウラーが一匹顔を出してきた。紫苑に向けて、敵意を向けている。
 一方、紫苑は戦闘に夢中で、後ろのメガクロウラーに気付いていない。
 ───まずい!
 那由羅の目の前のメガクロウラーが、紫苑の背中に向けて突進していくのと、
「那由羅さ〜ん」
 リーンが、対峙しているギガクロウラー達の後ろ頭上から姿を現したのはほぼ同時だった。
 ───来た!
 那由羅は、足元に落ち袋からこぼれた水のマナストーンを一瞥し、リーンに向けて声を荒げた。
「リーンちゃん!」
「え、あ、はいっ───」
 にやりと笑った彼女の顔を見えたのか、声を上げたリーンの顔が一瞬こわばる。
「う・け・と・っ・てー!」
 足の上でマナストーンを軽く浮かせ、那由羅はリーンに向けて思いっきり蹴り上げた。
 蹴飛ばされたマナストーンは、紫苑の背後に迫っていたメガクロウラーの小さな体にヒットし、高らかに頭上に舞い上がる。不意打ちを喰らったメガクロウラーは、敢え無く草葉の上に沈んだ。
「任せた!」
「は、はいぃっ!」
 半ばやけくそ気味に応えると、リーンは宙に舞ったマナストーンを受け取って、半ばやけくそ気味に精霊に祈りを捧げた。
「すみませんごめんなさい!那由羅さんにちゃんと言い聞かせますから、とにかく力を貸して下さいーっ!」
 リーンの感情に反応したかどうかは定かではないが、マナストーンから放たれた膨大な寒気は、その場一帯に局地的な猛吹雪を巻き起こした。
 威力は先程のマナストーンの非ではない。春の芽吹きを見せ始めていた草原の、花々の、木々の、あらゆる生命が成長を止め、空気はひしめき、大地は凍寒の蔦に縛られ───
 気付けば、鉱石地帯全域が氷の世界に変貌を遂げていた。
「………………………」
 あまりの高威力に、吐息まで白い。歯をかちかち鳴らしながら、那由羅は無意味に胸をそらした。
「ふ…ふふふふふ。わ、私のボールコントロールも、案外、捨てたもんじゃないわね…!」
「何やってるんですかーっ!!!」
 周囲の寒気などまるで感じていないのか、リーンは顔を真っ赤にして視界に飛び込んできた。
「那由羅さん!マナストーンを蹴り飛ばすなんてどういう了見ですか!」
「いやー、ゴメンゴメン。と、とっさの事で、あれしか思いつかなくて。でも、お、怒ってる割には息ピッタリだったじゃない?」
「那由羅さんならやるかもしれないと思いましたから!でも、まさか…本当にやるなんて…っ」
「なら、私の行動をちょっとは読めてたワケね───じゃあ責任は半々ってことで、水の精霊のご機嫌取り、もちろんお手伝いしてくれるよね?」
「な、なんでそうなるんですかーっ!」
 那由羅は近づいてきた紫苑の体毛にまとわりついた霜を払い落としながら、満足げに戦いの跡地へ顔を向けた。マナストーンの力が直撃したギガクロウラー達は氷の塊と化し、ぴくりとも動かない。
「まぁ、今日は結構暖かい日だし、明日になれば氷も溶けるでしょう。こっちも念願の糸も手に入ったし、よかったよかった♪」
「トノサマウグイ十匹で…いや、グレートボラの方がいいかな…ノボリゴイとか要求されたらどうしよう…」
 ほくほく顔の那由羅とは対照的に、深刻そうに青ざめるリーンを見て、紫苑はため息混じりに「きゅう…」と鳴いた。
Home010203040506・07・0809後書