小説
贈り物には黄色い薔薇を・08
 火曜朝。
 名もない大樹に実る花々に、朝の日の光が照り返す。夜のうちに溜め込んだ露が輝いて、こぼれ落ちる様は流れ星のようだ。
 華々しく春を謳歌している大樹とは対照的に、大樹に寄り添うように佇む一軒の家は随分と荒れたものだ。
 無用心に窓は開けっ放し。部屋のあちこちには、家の主が置き散らかしたであろう手甲や腰当て、大量に虫肉の入った道具袋が転がっている。
 調べ物をしたのか本は乱雑に落ちているし、クローゼットも開けっ放しになっており、まるで泥棒に入られたかのような有様だ。
 途中の部屋にあるベッドに主はおらず、代わりに小さなバスケットと、青色のラビが大きな鼻提灯を膨らまして熟睡していた。
 家の最奥───二階の一番奥の部屋───も例外ではない。部屋にあるあらゆる物が、中央にある机の上に集中している。
 手入れに使っていたと思われる大量の布と紙、かなりの数の小瓶、楽器に関連した本が数冊、弦の余りと思われる白銀の糸が数本。そしてハープが一つ。
「うえっくしっ」
 もたれた椅子で眠りこけていた那由羅は、寒さに身を震わせて目を覚ました。肩からずり落ちていたショールを、のそのそと羽織る。
「ん、う………んー………?」
 しばらくぼうっと朝日を眺めていた那由羅だったが、テーブルに置かれたハープを見て目を見開いた。
「今何時?!」
「わひゃあっ!」
 就寝用のバスケットに収まって寝ていたリーンが、彼女の叫び声を聞いて素っ頓狂な声を上げて目を覚ます。
「うわ何この有様!部屋ぐちゃぐちゃじゃない〜。いや、ぐちゃにしたのは私だけど、ぐちゃぐちゃになったのは風のせいね。というか、開けっ放しの窓が一番悪いのかこの場合?イヤ、そんな事言ってる場合じゃないのよ。もうすぐ来る、じきに来る、すぐにも来る!っていうかいつ来る?!あああもう!なんでこの家には時計がないのよ〜!」
「…規則正しい生活なんてしてない那由羅さんに、時計なんて必要ないじゃないですか…」
 起き上がっておろおろしている彼女を物珍しそうに見ながらも、リーンは突っ込みを忘れない。
「と、とにかく、顔洗って身支度を───」
「那由羅〜!」
 外から聞こえてきたドゥエルの呼び声に、那由羅の顔の血の気がサッと引いた。
 玄関から勢い良く家に飛び込み、一気に二階へ駆け上がってきたドゥエルに、那由羅は声を張り上げた。
「来たの?!」
 何故か誇らしげに、ドゥエルは胸を張る。
「ああ、来たさ!」
「あああああ。もう、何でこんな早く来ちゃうかな!こっち起きたばっかよ?!女の子はお出かけの準備に三時間はかかるんだからっ」
「那由羅さんは髪のセットに時間かけすぎなんです!ドゥエルさん、ドゥエルさんの家で待っててもらう事はできませんか?」
「いいけどさー………………いいのか?」
「え」
 ドゥエルの問い返しに、リーンは思わず声を上げていた。
 ドゥエルもベルボも、自分の趣味の為に必要なものしか家の中には備えていない。
 ジェニファーは、多分今の那由羅と同じ状況だろうし、あの家の散らかり具合は人に見せられたものではない。
 村長なら朝は早いし家も片付いているだろうが、茶の合間に弦の事で口を滑らせる可能性がある。
 どこの家も、人を招くには無理がある事に気がついて、那由羅はがっくりとうなだれた。
「…駄目だね…」
「だろ?」
 一応自覚はあるのか、ドゥエルは小さくうなずく。
「〜〜〜、仕方ない。女神像の前で待たせといて。今行くから!」
「おう、あんまり待たせんなよ!」
 そう言うと、ドゥエルはきびすを返し、小走りに部屋を後にした。
 いくばくかして、家から広場へと走り去った彼の背中を見送った後、那由羅はテーブルに置かれたハープを手に取る。
 弦の張り替えも調弦も、夜のうちに済ませてある。ボディの手入れもしてあるので、引き渡すだけなら問題ない状態だろう。
 ただ、元々ハープは何度も調弦を繰り返して音色を拵える楽器なので、村長が弦を切る前と同じ状態にまで戻ったかどうかまでは、正直自身が無かった。
「大丈夫なんですか?」
「た、多分…」
 不安が顔に出てたのか、恐る恐る声をかけてくるリーンに、那由羅はそう返すだけで精一杯だった。

 身支度をそこそこに済ませ広場へと足を運ぶと、男性楽師は女神像に賽銭を投げているところだった。賽銭を入れた事でちょっと幸せな気分にでも浸れたのか、満足そうに女神像を見上げている。
 と、楽師はこちらに気がついて、軽く手を振ってきた。那由羅とリーンも彼のところへ寄って行く。
「ああ、朝早く来て悪いね。今日は髪下ろしてるんだ」
「たまにはね。っていうか、あれ結構肩こるし、セットに時間かかるのよ」
「切ればいいじゃん」
「ばっ…!命の次に大切と言われる女の子の髪を、切れとか言う普通?」
「いつの時代の人の話だよ、それ………ああ。髪切ると男の子に間違えられたクチなんだ」
「む、なんで知ってるのよ」
 不機嫌に顔を膨らましながら、那由羅は辺りを見回した。
 呼びに来たドゥエルも含め、朝方にも関わらず村人達の姿は見えない。だが、家の中から様子見をしているような気配は伺えた。
 村長の家だけ何やらあわただしい物音が聞こえるが、あまり深く考えずに那由羅は持っていた袋からハープのケースを取り出した。
「まぁいいや。はい、預かり物」
 ハープのケースを受け取った彼は、嬉しそうに顔を綻ばせる。
「ああ、ありがとう。助かったよ。いやぁ、これがないと、何だか落ち着かなくてさ」
「それなら一緒に持って帰れば良かったじゃない」
「行く先々で人に演奏を頼まれたくなかったんだよ。あの時はちょっと…そんな気分じゃなくてさ」
 苦笑いを浮かべる彼を見て、那由羅も苦々しく頬を掻く。
 楽器を持って、町や酒場に行ったり色んな楽師に会ったりすると、割と演奏を頼まれる事が多い。顔が知られるようになると尚更だ。
 気分が乗らなくて演奏したくなくても、狭い町の中の風評を考えると断りづらいので、那由羅も買出しの際は楽器を置いて町へと行く事が多い。
「…名が売れるのも困りものねぇ」
「お互いにね」
 と言いながら、彼はケースからハープを取り出してしげしげと眺め始めた。
 那由羅はぎょっとしながらも、何も言い出さずに彼を見つめる。リーンが肩の上でおろおろしているが、何も言わないように、と目配せをした。
 弦を何度か弾いて、彼は那由羅に顔を向けた。
「…一曲、奏でてみてもいい?」
「え」
「だめ?」
「あ、ああ、どうぞどうぞ」
「ありがとう。…先日覚えた曲なんだけど、結構気に入ってね。ハープを返してもらったら、早速弾こうと思ってたんだ」
 ポロンと弦を弾いて、彼の演奏が始まる。
 とても穏やかで優しい音色。始めは単音だった音が、おもむろに音が増えて曲が豊かになっていく。途中からほんの少しだけ寂しい雰囲気を漂わせて、曲は進行していく。
 ───この、曲は───
「はぁ〜、素敵な曲ですねぇ」
 額から冷や汗がだらだら流れる那由羅を余所に、肩に乗っているリーンは呑気に曲を堪能している。
 それほど長い曲ではない。最後はリピートして序盤の音色をかき鳴らし、しばらくして終曲した。
 直後、周囲から拍手が沸いた。ぎょっとして那由羅が見回すと、ジェニファー、ベルボ、ドゥエルが家から出てきていた。
「素晴らしい音色を聴かせてもらいましたわ」
「心揺さぶられるような響きだったぞ」
「大雑把で乱暴な那由羅の演奏とは大違いだぜ!」
「…ほっといてよ、もう」
 ドゥエルの言葉が癪に障ったが、それ以上突っ込む気にはなれない。
「歌詞はついていないんですか?」
「ついてるみたいなんだけどね。詳しくは知らないんだ。僕も気になってはいるんだけど…」
 ちらりと見て来る彼に、つい目を逸らす那由羅。彼は諦めた様子で、リーンに微笑みかけた。
「…まぁ気に入ってもらえたんなら、今度来る時までに調べておくよ」
「分かりました。次のパーティーを楽しみにしてますっ♪」
「うん───それじゃあ僕はそろそろ失礼するよ。那由羅、また今度ね」
「ええ。また…今度」
 村人達に一礼し、村の入口の方へと出て行く楽師。
 彼の背中を見た、その場にいる村人の誰もが、これで今回の一件が解決した───そう思った。
 ───が。
「待つにゃ!」
 ばたーん、と威勢の良い音に目を向けると、村長宅の扉が開け放たれていた。そこから、一つの白い影が躍り出る。
 村長だった。が、普段のいでたちではなかった。
 手には黄色い薔薇のブーケ、頭には純白のヴェール、服は純白のドレスでところどころ花があしらえてある。だが、ドレスのサイズが合わなかったのか、サイドのファスナーが半分ほど下がっていた。
 男性楽師の前に立ちはだかり、村長が照れ恥ずかしそうにポーズを取ると、ぶちっという音と共に胸元に止まっていたボタンが落ちた。
「どうにゃっ?!」
「ど、どうと言われても、えーと…き、綺麗だと思いますけど…」
「道具も一揃えしてあるし、いつでも準備はできてるにゃ!ふつつかものだが、よろしく頼むにゃ!」
「はあ…ええと…?」
 困り果てた様子で那由羅を見てくる彼だが、彼女も彼女で困惑した顔で視線を明後日に向けた。リーンもどうしていいか分からず、彼女の横で固まっている。
 やおら、村長は楽師の腕の中のハープに気がついた。目を丸くして、大口を開けて絶叫する。
「にゃ、にゃにいいいいっ!?そ、そのハープは、確か、この間───っ!」
 村人達三人の反応は素早いものだった。
 余計な事を言いそうになった村長を、まずドゥエルが足払いをかけてすっ転ばせ、ベルボの小柄な体が村長の顔にへばりつく。ジェニファーは村長と楽師の間を割って入り、愛想笑いを浮かべて誤魔化した。
「うふふふふ。気になさらないで下さいな。最近ちょっとボケが進行してますの」
「は、はあ、そうなんですか…」
 村長らを見て、あまり納得していない様子の楽師だが、ジェニファーはその腕をむんずとつかまえて、村の出口へとエスコートしていく。
「離すにゃーっ!わしはっ、わしは責任を取っていかなきゃいかんのにゃー!!」
「もう終わった事なんだよ!お得意のボケでとっとと忘れちまえって!」
「往生際が悪いぞ村長」
「見苦しい所をお見せしてごめんなさいね。村長にはきちんと言ってきかせますから、今日はどうかお引取り下さいね」
「え、あ、その、ええと………」
 砂埃を撒き散らして暴れる村長、村長を取り押さえるドゥエルとベルボ、半ば強引に村から追い出そうとするジェニファー、おろおろしながらも村から出て行く楽師。
「これで…めでたしめでたし、って言っていいものなんでしょうか…?」
「さあ、ねえ…」
 リーンのもっともな意見に、那由羅はこめかみを押さえながら空を仰ぎ見た。
 朝から騒々しい那由羅の村の空を、今日も郵便ペリカンが飛んでいた。
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