小説
贈り物には黄色い薔薇を・04
 風曜昼。
 授業の終わりを告げるチャイムの音がせわしなく鼓膜を震わして、そして駆け抜けていく。
 余韻を残して消え行く音色の合間、ほんの一瞬だけ町全体が静かになり、それが合図と言わんばかりに学園から飛び出してくる小さな影が三つ。
 先頭を走る少年二人は何かを喋りあっているようだが、距離があって話の内容までは聞き取れない。
 ただ、彼らの少し後ろにいた少女からは、「待ちなさーい!」と叫ぶ声がはっきりと聞こえてくる。どうやら少女は少年達を追いかけているらしい。
 彼らはフルーツパーラーには用はないのか、走るスピードを変えずにそのまま町の外れの方へと走り去っていった。
 三人が消えていくばくかして、魔法学園の他の生徒達の姿がちらほらと見え始めると、通りもにわかに活気付く。
 先程までは聞こえてこなかった客引きの声も、生徒が通る度に道に響き渡る。生徒達の賑やかな会話が町にこだまする。どうやらこれが、この町───魔法都市ジオ───の本来の姿らしい。
 紅茶片手に頬杖をついて、まるで奇想曲を聴いているかのような情景に心奪われそうになりながらも、那由羅は感想を漏らした。
「平和ねぇ…」
「のんびりしてる場合じゃありませんっ」
 自分の背丈ほどもあるフォークの柄の先で、コツ、とテーブルを突いて、リーンが高らかに叫んだ。
「こうしている間にも今日という日は刻一刻と過ぎてるんですっ!あんまり時間はないんです!村長さんを救う為にも、もっとたくさんの情報を集めないと───」
「パンケーキ食べながらじゃ説得力ないよ」
 那由羅の言葉に、リーンは空を仰いだまま固まる。
 リーンの目の前の皿の上に、リーンからすればかなり大きいサイズのパンケーキが三段に積み重なって鎮座していた。メープルシロップが皿いっぱいにかけられ、バターが一つケーキの上に乗っている。今日は風の精霊ジンを象ったチョコレートが添えられているが、このオプションは曜日ごとに異なるらしい。
 痛いところを突かれたらしく、悔しそうに唇を尖らせてリーンがぼやく。
「うぐぐ…だって仕方ないじゃないですか、那由羅さんが頼んじゃうから…」
「食べたそうにメニューを見てたのは誰だっけかなー?」
「でもっ…でもっ、このメープルひたひたのパンケーキが私を呼んでたんですっ。お願いを拒否するなんて私にはできませんっ」
「確かに、ここのパンケーキは評判いいからねー。はい、紫苑、あーん♪」
「きゅー♪」
 尻尾を振りながら、紫苑と呼ばれたペットのラビは大きく口を開いた。パンケーキを口の中に入れてあげると、二・三度咀嚼して、やがて嬉しそうな声を上げる。
 目を輝かせて次のパンケーキをおねだりする紫苑にパンケーキをあげながら、那由羅はティーカップに口をつけた。
「まぁ、留守してたんだししょうがないじゃない。食べ終わったらもう一度店に行ってみようよ。もしかしたら帰ってきてるかもしれないし」
「…そうですね」
 不満げに頬を膨らませていたリーンだったが、それで一応は納得したらしい。リーンは自分の食事を再開して、そのパンケーキの絶品ぶりに狂喜乱舞した。

 食事を終えて店に再び顔を出したら、留守をしていた人の姿はカウンターの奥にいた。
「アレックスさん、こんにちわー」
「ちわー」
「きゅー」
 二人と一匹で声をかければ、カーキ色の髪を一つに結わえた丸眼鏡の青年は、いつもと変わらない愛想の良い笑みを浮かべて応じてくれた。
「やぁ、那由羅さん、リーンちゃん、紫苑君、こんにちわ。今日は何の骨を鑑定しますか?」
「あー…骨の鑑定じゃないんですけど、この弦の材質が分かるかなって思って」
「弦?」
「これなんですけど」
 言って、那由羅は道具袋から切れた弦の一部を取り出した。アレックスに渡すと、彼は興味深げに丸眼鏡を動かして弦を見始める。
「ふむ…ほう…」
「『レスターの竪琴』にも行ってみたんだけど、よく分からないらしいんですよ。少なくとも、市販のものじゃないらしくて…」
 一応言ってみるが、彼はあまり聞いていないらしい。アレックスは、弦を指に滑らせたり、引っ張ったり、弾いたりしている。
 彼女がちらりと入口の方を見やると、専門な話に飽いたリーンと紫苑が箱を眺めていた。細かい装飾が施された頑丈そうな造りで、厳重に鍵までかかっている。多分仕事道具が入っているのだろうが、大人一人入りそうなほどの大きさのせいで、いつ来てもいらぬ想像をしてしまう。
 視線を戻すと、那由羅は続いて道具袋からハープ本体を取り出し、アレックスの目の前で掲げるように見せた。五秒くらい弦だけを見ていた彼だったが、本体が視界に映ると弦をカウンターに置き、ハープの吟味もし始める。
「…なんか、分かります?」
 どこか慣れない手つきでハープに残った弦を弾くアレックスは、やがて瞳を閉じて眉間にシワを寄せた。
「うーん…さすがにこれだけでは、何のモンスターの物かまでは分かりませんねー…」
「そうですかー…」
 那由羅はあごに手を当てて同じように眉間にシワを寄せた。
 だが、アレックスは楽器と弦を渡しながらさらに付け足してきた。
「ただ…わずかですが、月の精霊力を帯びているようですよ」
「…精霊力?月の?」
「ええ。生憎と楽器は専門外ですが…弦を弾く事で、周囲の精霊に働きかける作用があるのかもしれません。この精霊力が、素材そのものについていたものか、後から付加したものかは分かりませんが…」
 弦をしまい、那由羅は受取ったハープの弦を軽く弾いた。
 響き渡る音色の中の不思議な癖。普通の弦の材質でこの癖が出ないのであれば───精霊力が影響を与えている可能性は高い。
「…なるほど。月の精霊なら、中枢神経系に刺激を与える魔法もあるし、この音の癖も説明がつくか…。なら、あとは強度の問題か───」
「…お役に立てましたか?」
 心配そうに見つめるアレックスに、那由羅はハープをしまいながらにこやかに答えた。
「ええ。月の精霊の力が働いてるのが分かっただけでも大収穫です。アレックスさんに頼ってよかった」
「そう言っていただけるとありがたいですね」
「こちらこそ、ありがとうございます───リーンちゃん、紫苑、そろそろ帰ろっか」
「はーい」
「きゅー」
 リーン達は箱を開けようと目論んだようだが、鍵の頑丈さに諦めたらしい。振り返れば、既に一人と一匹は鑑定屋の外に出ていた。
 追って鑑定屋を出ると、一緒に店を出て店仕舞いを始めたアレックスが、思い出したように口を開いた。
「そういえば…那由羅さん。最近、新種のモンスターがあちこちで出没している、という話は知ってますか?」
「…新種?」
「ええ。ちょうど、あなたの連れている紫苑君のような、通常のモンスターとは異なる色のモンスターが出てきたらしいですよ」
 言われて、紫苑を見やる。紫苑はペット同士の配合で生まれたペットで、配合した時に魔界の実という果実を使った為、通常のラビと異なり体の色が青く変色している。
 果実の中にはそういう作用を及ぼすものもある、という話は随分前から知っていたが、野良で出没しているという話を那由羅は知らなかった。
「誰かが捨てたペットが自然繁殖したものだとか、よそから流れてきたモンスターだとか、諸説はあるようですが…実際のところ、あまりよく分かっていないそうです」
「死の山にもいるんですか?そういうモンスター」
「今のところ、死の山にはそういうモンスターの話は出てきてないみたいですね。聞いた限り、マドラ海岸やデュマ砂漠などで出てきているらしいですよ」
 アレックスの言葉に、那由羅は顔の縁に不安の色を落とした。
 ───最近、モンスターの動きが妙に大人しい気がしていたのだ。
 楽師が増えて、タナトスが減って、ミ・ディールに幸せが満ちて、それがモンスターを弱体化させている…というのなら問題はなかったのだが。
 カルマの姿は結構な頻度で見かけるにも関わらず、クローディア自身の動きが全く分からないのもある。
 そんな中で出現した、色違いのモンスターの出現。
 こういう形で異変が起こっている以上、ミ・ディールそのものに何かが起こる前兆なのかもしれない───
「…何か、良くない事の前触れでなければいいんですけどね…ありがとう。気をつけますね」
「早く弦の材料が見つかるといいですね」
「はい」
 アレックスに一度お辞儀をして、那由羅達は鑑定屋を離れた。
 遠くの山の端に隠れ始めた日の光に目をすぼめながら、彼女は一人呟いた。
「…夜は、ポルポタでバザーがあるかー…目当てのものがあればいいんだけど………その前に現状報告が先か…」
 様々な不安がよぎるも、まずは目の前の問題の解決が最優先───そう言い聞かせて、那由羅は帰路についたのだった。
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